見出し画像

旅の風景・カンボジア②11年越しの恋が実った瞬間泣けてきた

旅の風景
カンボジア🇰🇭②バンテアイ・スレイ
1995年そして11年後


バンテアイ・スレイ (Banteay Srei) 

1995年、夏。初めてのカンボジア。
アンコールワットの街シェムリアップへは日本からの直行便はない。どこかの街でトランジットすることになる。当時はバンコクからのダイレクト便も無かった。カオサンでロイヤル・カンボジア・エアーと言う仰々しい名前のキャリヤーを選び、片道キップを手に入れた。そして、まずは首都プノンペンへ飛んだ。

Royal Cambodian Air

僕たちバックパッカーの間では、既に95年当時から伝説レジェンド化されていた安宿、キャピタルゲストハウスに迷わずなだれ込んだ。ただ、この街にも沈没の罠がそこら中に仕掛けられていた…。

『このままでは一生アンコールワットに辿り着けないかも…』


直感でそんな危機感を感じた。
『沈没のためにここに来たんじゃない』
プノンペンのトラップを何とかかいくぐり、シェムリアップを目指した。トンレサップ湖の支流の河を遡っていく高速ボートのチケットを手に。これでシェムリアップに辿り着ける。

僕が初めてアンコールを訪れた95年当時はまだ、ポルポト派クメールルージュの残党が遺跡周辺で抵抗を繰り返し悪あがきをしていた。中心から少し離れた位置にある、バンテアイスレイ遺跡へ行く事は、禁止されていた。命の危険があるからだ。ダメと言われたら余計に行きたくなる。

バイクタクシーのお兄さんに頼み込んだが、
『今はやめておこう』
と静かに諭された。僕には、今しかないのに…。

アンコールワット…アンコールトム…タプローム…と点在する遺跡群をバイクにまたがりこれでもかと見倒した。これだけたくさんのクメール寺院を見つくしたら、お腹いっぱいかと、思いきや、どうしても、バンテアイスレイの事が気にかかり忘れられない。寂しくて、切ない気持ちでカンボジアを去る事になった。

それから、11年後

インドシナの女神を想う僕の心は全く変わっていなかった。僕は女神に呼び寄せられるようにバンテアイスレイの前に立っていた。

『やっと君に出会えた…』

11年越しの恋が叶った瞬間、なぜだか涙がこぼれ落ちた。

遺跡の前に立って泣けてしまったのは人生初だ。
薔薇色の砂岩、深くそして細かく彫り出された装飾の数々、その中から一際存在感を放ち浮かび上がってくる女神像。優しくてふくよかな笑顔。少し香りを傾けた奥ゆかしい姿勢。どれもが美しすぎる。

1000年以上も前にこの女神を彫り上げた、彫刻師に思いをはせる。

女神

バンテアイスレイが作られたのは、アンコールワットやトムより200年も古い時代の10世紀後半だ。あの巨人アンコールワットよりも200年も前にこの女神たちはいたことになる。

涙の理由を考えた。


答えは、色んな想いが交錯したから、だと思う。

歴史稀にみる大虐殺,内戦で亡くなった無数の罪なき人々、戦場で散ってしまった戦士や世界中のジャーナリストやカメラマンたち。人生を翻弄された人たち。これら全てを、10世紀、1千年前から見つめて来た女神たち。

ただただ泣けてきた。11年間僕を待っていてくれた。女神にとっては11年間なんかたった1分ぐらいかも知れない。千年以上前、日本の平安時代からそこにいるんだから。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」


こちらは、1503年から1506年(16世紀)に制作されたと考えられている。
一方、バンテアイスレイの女神像(デヴァター)は、967年(10世紀)に造られた。モナリザよりも536年も先だ。女神の方が先輩という事になる。

答えが出た。 この女神は、
『東洋のモナリザ』なんかじゃなかった。

誰が東洋のモナリザなんて言い出したのか知らないが、モナリザの方が真似たんだ。
ルーブルにあるの方が後輩で、
『西洋のバンテアイスレイ』と名付けてあげよう。

クメール語で『バンテアイ』は砦(とりで)という意味で、『スレイ』は女性という意味だ。まさに『女性の砦』。
全ての彫刻が赤く薔薇色で、彫刻は深く繊細に彫られている。まさにアンコール美術の至宝、最高傑作。

僕はもう一度この女神に恋をしてしまった。

#旅のフォトアルバム

#バックパッカー #世界一周#ひとり旅#放浪#旅日記
#backpacker #旅好きと繋がりたい#travelphoto
#カンボジア #cambodia#siemreap#シェムリアップ
#アンコールワット  


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?