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時代が違ったら学生運動に身を捧げていたのかも!?良い時代に生まれました

※stand.fmでこの内容の音声配信を聴くことができます。

こんにちは、TOSHIです。

こちらの本を読んで思ったことをアウトプットしてみます。

私が大学生だったのは、ちょうど2000年になった頃でしたから、この本の時代背景は1世代前というか、親の世代が学生だった頃の話です。

東大の安田講堂でヘルメットをかぶった学生がバリケードを張っていて、その学生に対して機動隊が放水車で水をかけている様子を、映像で見たことがある程度しか知りませんでした。

縁もないし理解できないと思っていたけど

学生運動や左翼運動なんて、私にはまったく縁が無いものだし、興味もないもののように思っていました。

でも、この本を読んで学んでみると、あながちそうでもなかったというか、時代が違っただけで、
「もし私がこの時代に学生だったら運動に身を投じていたのかもしれない……」
とリアリティを持って感じられてしまいました。

社会に出る前の何とも言えない虚しさ

大学生の時期というのは、「最後の学生生活」の時期です。卒業したら就職して、社会に組み込まれていくことになります。

社会に出たら、お金を稼ぐためにせっせと働いて、結婚して家庭をもって、子供が産まれて家族を養って……と、人生の流れが加速していくのを強く感じている時期でもあります。

これを「虚しい」と感じてしまう人もいるでしょう。私もその一人でした。

社会の歯車の一つになって、お金のため会社のため社会のために働いて、気づいたら人生が終わっているんじゃないか。そんな不安というか、寂しさというか、無力感というか。「虚しさ」です。

私は休学して、大学院に進学することで、社会に出るのを3年間は引き延ばして遅らせました。ちょっとした抵抗のつもりだったのでしょう。皆と同じようには就職活動をせずに、ナメていたらブラック企業に就職してしまい、散々な目に遭いました。

受け皿としての学生運動

学生時代の私のように、なんとなく社会に対する虚しさを感じていた学生にとって、学生運動が受け皿になっていたのではないかと思います。

当時の潮流としての左翼思想が、そこに理屈を与えてもいたのでしょう。資本主義社会への問題意識や疑問から、活動の大義を得ていたのだと思います。

それがすごくマッチしたはずです。社会に出る直前の、「なんとも言えない虚しさ」を抱えている学生には。

ここにすごくリアリティを感じてしまいました。

私は過ごした時代が違っただけで、私の学生時代にも周りに学生運動があってそんな社会状況だったら、普通に活動に参加していたんじゃないか。さらには、より過激な運動に身を投じて、捕まって人生を棒に振っていたのではないか。

恐ろしくなりました。

良い時代に生まれました

私は転職を繰り返して、結局は会社勤めを辞めて独立して、自分でビジネスをするようになって今に至ります。

普通の人はいかに学生時代に「虚しさ」を感じて、社会に出ることに抵抗感があろうと、慣れるはずです。順応していくはずです。そうでなければ社会は成り立ちません。

不幸なことに、私は馴染めませんでした。ずっと「虚しさ」を感じていて、ある意味で精神的にはずっと学生だったのでしょう。

自分でビジネスをするようになって、ようやく解消されました。

私の時代にはインターネットがありました。「起業する」ということに対しても、抵抗感が少なく時代の空気ができていました。「ネットビジネス」という言葉も、出てきていました。

だから、絶望して人生をあきらめることなく、前向きに自分でビジネスをする道を選べたし、実行できたのだと思います。

良い時代に生まれたことを感謝しています。

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