自己組織化とむすんでひらいてで考察するデジタルネイチャー

むすんで ひらいて
手を打って むすんで
またひらいて 手をうって
その手を 上に
むすんで ひらいて
手を打って むすんで

「結ぶ」は、手を握るように閉じる、繋がる、意思を固めるという事。
「産霊(むすひ)」の意味も重ねれば、産まれる、創造するという事。
「ひらいて」は、開放する、表に出すとともに受け入れるという事。
「手」は身体の象徴であり、モノを産み出す創造の象徴。
「手を打つ」はモノとモノを合わせるとエネルギーに変換できる事。音という波動、波を表すとともに、身体の五感で感じる事。
「結んで、またひらいて、手を打って」を繰り返すという事。
「その手を上に」自分の枠の外側にリフレーミングするという事。
2番は「その手を下に」自分の内側の枠を内観しリフレーミングするという事。

それはあたかも心臓の鼓動のように結んで開いて、世界に生きる血を循環させるように思える。

私達はZOOMで対話する時、
「話すという事(想い)を決める」=むすぶ
「言語化して放つ」=ひらく
そうすると皆が「拍手してくれる」=手を打つ
すると人と人が繋がる=むすぶ
「一人では無しえない言葉が場に放たれる」=ひらく
そうすると皆が「拍手してくれる」=手を打つ
すると新たなモノが創造される=産霊
これらを繰り返す事は非平衡開放系の揺らぎで何かを産み出す自己組織化が持続可能であることを証明しているかと思える。

これを思いついたのは、デジタルデトックスで散歩に出て、
「木」と「デジタルネイチャーと自己組織化の繋がりは?」
と対話して出てきた答えだ。

私は「木」というアクターネットワークの中で、
「自己組織化むすんでひらいて理論」を産み出したのだ。

そして多分デジタルはタイムラグが無くなりリアルタイムになりつつある。
その時状況主義にデジタルはあたかも自然のように実装される。
私達はデジタルもネイチャーも如何に内包し身体拡張できるかの過渡期にいる。
これから産まれる人類はデジタルネイチャーが当たり前の世界に出現するという事になる。

色即是空空即是色は新たな段階を迎えるのだろう。

そういえば落合陽一はヌル即是色色即是ヌルというハッシュタグの作品を出し続けている。

「陽一」は「陽の+(プラス)」と「一はー(マイナス)」の陰陽の名付けらしい。興味深い。

さぁ、むすんでひらいてを歌ってみようか!

#むすんでひらいて
#デジタルネイチャー
#落合陽一
#自己組織化

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