としちる

あそび、ゆらぎ、むすぶ『Share Study』編集長(http://share-st…

としちる

あそび、ゆらぎ、むすぶ『Share Study』編集長(http://share-study.net )。noteでは『Study Note―つれづれちるよしなしごと』なる編集長雑記を月に2回ほど更新中(https://note.mu/sharestudy )。

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  • ひとこと読書感想録

    手にした本/借りた本/買った本/読んだ本などなど、ひとことで書き記していく読書感想録

最近の記事

正直、「(知識的な)教養を身につけたい」的な言説見るたびに違和感。かといって、人格形成的なものにも違和感。抽象的な概念としてのものってそんなふわふわとしたもので語れるのだろうか。

    • 情報に流されるだけじゃなくて、情報に埋もれないあり方。

      • 優等生的な言説が単なる「優等生」として片付けられてしまう、このある種のぐちゃぐちゃな世界とどう向き合うのかという問題。

        • 境界線が溶けている世界で境界線の策定でえんやわんやしている過渡期の世界

          ポストモダンの宣告がなにかといってしまうと、基本的には長期的にも境界がなくなって動的に変容されてしまうものだという認識をしている。 これまで既存のものとして当たり前に捉えられていた「男と女」とかそういうのが。 けど、何かそういう「言明」をすること自体、つまりある種の「自己言及」として「境界における境界性の有限性」のようなことを「ことば」として語る"だけ"で、そうではない"別の"のものを境界としてまた策定していくことを、言語を用いたコミュニケーションをする上ではしてしまう。

        正直、「(知識的な)教養を身につけたい」的な言説見るたびに違和感。かといって、人格形成的なものにも違和感。抽象的な概念としてのものってそんなふわふわとしたもので語れるのだろうか。

        • 情報に流されるだけじゃなくて、情報に埋もれないあり方。

        • 優等生的な言説が単なる「優等生」として片付けられてしまう、このある種のぐちゃぐちゃな世界とどう向き合うのかという問題。

        • 境界線が溶けている世界で境界線の策定でえんやわんやしている過渡期の世界

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        • ひとこと読書感想録
          1本

        記事

          人は結局のところ"わかりえない"という前提は大事だとして、"それでいいじゃん"も"それではいけない"も射程に含めたメタ的な思考込の、この時代における妥当的でかつ認識の地平を切り開く論が重要、というか考えたい。

          人は結局のところ"わかりえない"という前提は大事だとして、"それでいいじゃん"も"それではいけない"も射程に含めたメタ的な思考込の、この時代における妥当的でかつ認識の地平を切り開く論が重要、というか考えたい。

          哲学、批評に関する論の組み立て方に関する一雑記

          対象はなに? 概念はどこから拾い上げる? 関連する論者の概念との関係性は? 概念や論理が組み立てられた当時の歴史的状況は? 何を取り上げ、何が今における前提との差異にあるのか? 基本的な理論や研究対象への論理への前提を持った上で、その前提のさらに前提、さらにさらに前提になにがあるのかということを確認する。 メタ的にその論理的な前提を掘り返した上で、ある概念や論の歴史的な状況性をある特定の分析としての組み立てとして再構築する。 哲学や批評について考える上では上記のような「

          哲学、批評に関する論の組み立て方に関する一雑記

          知識や論理を突きつけても、相手が応じられなければそこには「暴力性」が伴うってことを意識する人とこれからを作っていきたいと最近よく考える。

          知識や論理を突きつけても、相手が応じられなければそこには「暴力性」が伴うってことを意識する人とこれからを作っていきたいと最近よく考える。

          お金がないと素直に言い、記事を書くことで得たお金による「革命」

          基本的にかっこつけたくなるので、あまり「お金がない」とか、あまり金銭的な意味でお金がないということを積極的に語るようにしてこなかった。いや、この文章にもまだかっこつけが潜んでいるようだ。むしろ、「語るべきではない」くらいに考えている節もある。 しかし、今回、下記の記事を書いて、素直に 「お金がないので僕に課金してほしい」 と宣言してみたところ、普段お世話になっている方だけども、支援を頂いた。 なんというか少し世界の色が変わったような感覚を覚えた。なぜなら、基本的に僕は書く

          お金がないと素直に言い、記事を書くことで得たお金による「革命」

          SNSにもシェアしないけど、思いつくままに書くnoteというのも良さそう。はっきりと自分のテンションを保つために書く場。

          SNSにもシェアしないけど、思いつくままに書くnoteというのも良さそう。はっきりと自分のテンションを保つために書く場。

          書き続けることで書くテンションを上げる?

          昔よりずっと「書く」ということに緊張感を覚えるようになってしまって筆が止まることが増えた。そんな話をしたときに言われた一言。 それは前より"かっこつけて"文章を書きたくなってきてるからだよ。 勉強して慎重になったという一面も確かにある。が、より本質をついた一言はこの「かっこつけてる」で、「ぐわぁ!」と血を吐く像が胸をよぎった。 つまり、これは図星というやつだ…! というわけで何かしらに書こうと思うのだけど、なんだか最近はTwitterで書く気になれない。ツイートで表現

          書き続けることで書くテンションを上げる?

          メディア共同体

          2018年6月24日に起きた福岡でのIT講師刺殺事件が起きてから、ずっと気になっているワードで「メディア共同体」というものがある。これは便宜的に付けている名前にしかすぎないのだけど、いわゆる「はてな村」といった特定のメディアを媒介に、オンライン上をきっかけとした、オフラインの生活上でも重層的に関係性を持つ共同体のことを指すことにしよう。 オンラインでのやりとりがきっかけに、オフライン、いわゆる現実に影響を与えたり、何かしらの事件を起こしたりすることは何もこの事件がはじめてで

          メディア共同体

          小倉ヒラク(2017)『発酵文化人類学』木楽舎:優しく発酵の世界を語りかけつつ、文化人類学的・生物進化的な観点から見た「人類」論を語る、というスタンスが小倉ヒラクさんの文体にはよく現れてました。発酵と文化を起点に「人類とはいかなる存在か」ということを問うているようです。

          小倉ヒラク(2017)『発酵文化人類学』木楽舎:優しく発酵の世界を語りかけつつ、文化人類学的・生物進化的な観点から見た「人類」論を語る、というスタンスが小倉ヒラクさんの文体にはよく現れてました。発酵と文化を起点に「人類とはいかなる存在か」ということを問うているようです。