としちる

あそび、ゆらぎ、むすぶ『Share Study』編集長(http://share-study.net )。noteでは『Study Note―つれづれちるよしなしごと』なる編集長雑記を月に2回ほど更新中(https://note.mu/sharestudy )。

正直、「(知識的な)教養を身につけたい」的な言説見るたびに違和感。かといって、人格形成的なものにも違和感。抽象的な概念としてのものってそんなふわふわとしたもので語れるのだろうか。

情報に流されるだけじゃなくて、情報に埋もれないあり方。

優等生的な言説が単なる「優等生」として片付けられてしまう、このある種のぐちゃぐちゃな世界とどう向き合うのかという問題。

境界線が溶けている世界で境界線の策定でえんやわんやしている過渡期の世界

ポストモダンの宣告がなにかといってしまうと、基本的には長期的にも境界がなくなって動的に変容されてしまうものだという認識をしている。

これまで既存のものとして当たり前に捉えられていた「男と女」とかそういうのが。

けど、何かそういう「言明」をすること自体、つまりある種の「自己言及」として「境界における境界性の有限性」のようなことを「ことば」として語る"だけ"で、そうではない"別の"のものを境界とし

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人は結局のところ"わかりえない"という前提は大事だとして、"それでいいじゃん"も"それではいけない"も射程に含めたメタ的な思考込の、この時代における妥当的でかつ認識の地平を切り開く論が重要、というか考えたい。

哲学、批評に関する論の組み立て方に関する一雑記

対象はなに?
概念はどこから拾い上げる?
関連する論者の概念との関係性は?
概念や論理が組み立てられた当時の歴史的状況は?
何を取り上げ、何が今における前提との差異にあるのか?

基本的な理論や研究対象への論理への前提を持った上で、その前提のさらに前提、さらにさらに前提になにがあるのかということを確認する。

メタ的にその論理的な前提を掘り返した上で、ある概念や論の歴史的な状況性をある特定の分析と

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