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【通信講座】 小説「破片」 質疑応答②

kobayakawa noriko

川光先生。
最後まで読んで頂きまして本当にありがとうございました。
冷や汗がとまりません。これほどご指導いただいたのは就職一年目以来かもしれません。

①『私がこの作品でもっとも、そして唯一
興味があるのはトウコです。
第二回であれほど魅力的に描かれたトウコが
ミステリー的趣向の小道具のひとつにすぎなかったというのは
本当に残念で、かなしくなります。
もっとトウコのことを知りたい。』

この発想は執筆時から先日まで全くありませんでした。これまで読んでいただいた方々も主人公を変えた方が良いという意見が100%でした。
ただ、先日の川光先生の【小説の書き方48、49】を拝読させていただいた際に何となく疑問が生じ、今日のこのご指導によりようやく先生の視点に気付いた次第です。
ただトウコが魅力的だとおっしゃったのは先生が初めてですので少々困惑しています。

③『作者の構想、意図がどこにあるのか
どのようなテイストで一貫性のある作品を構築するのか
よく分からないことが最大の欠陥だと思います。』

この作品の元々の構想は段階を追って変化しました。
そこの辺りが、先生に見抜かれているような気がします。

【初動衝動→会話の出来ないトウコを主人公にしたい】
しかしどうやって書いていいのかわからず、筒井康隆氏が仰っていた「純粋文学」でなら実現できるのではないかと考えた末の挑戦でした。三人称他視点で感情を確定しないという方法を使うそうです。ただ目の前の状況を客観的に描くことのみで文章構成をしながら物語を展開させなくてはならず未だ存在していない文学だそうです。主人公の感情さえ読みとれない状況描写ということで、相性が良いと考えました。
しかし途中で誰が話しているのか分からないことに身震いがして、大変気持ちの悪い作品になってきたと認識して、それを補うためにミステリー色が濃くなっていった気がします。

④⑤【「戦後派」のような、「第三の新人」のような「破片」という
作品の全体的テーマの象徴となりえていない
思わせぶりなだけのタイトルも
作者の表現したいところをあいまいにしているのではないでしょうか。】

④「破片」という作品名は絶対的にトウコには必要なキーワードでした。
『破片』というネガティブなイメージの言葉をトウコは持っていません。
昭和から平成にかけて「破片」を「かけら」と読む文学や歌詞が多くあります。でも私にとってそれはどうしても納得がいきませんでした。「障害者」を「障がい者」と言い換えたことも同様ですが、もともとの言葉の読み方を変えることで、一時的に柔らかい印象を持たせるのではなく、「破片」という言葉そのものが素晴らしいと言える世界にしたかったのです。

最後です。長くなり申し訳ございません。

⑤「戦後派」「第三の新人」という印象についてですが、まさかそのように考えていませんでした。戦争というテーマは私にとって非常に大きなもので、何を描いてもどうしても"反戦"が顔を出していると指摘を受けては書き直す、といった事の繰り返しです。まるでそれ以外には何も描く能力がないという感覚になって嫌になります。

 
⑥『私は読者として
第二回の文体で書きはじめ、書き終えることを強く希望します。』

先生としてではなく、読者の方としてご希望されるということは、何という初めての感覚で大変嬉しいです。第二回は唯一トウコの心情が見える部分です。つまり三人称一視点に近い文体です。第二回が描いていて一番楽しかったのは事実です。それを見抜かれたのか、それともトウコ自身に興味を抱いてくださったのか、後者だとより嬉しいです。今、一人称一視点で描き直していましたが不自由さを感じています。もしかすると第二回のような文体の方が良いのかもしれません。

申し訳ないほどに長くなりまして、恐縮いたします。




川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu

たいらかな心で読めば
作者、作品の長所と短所は一目瞭然ですので
そんなに意外なことなのだろうかと思いました。
 
筒井康隆にはなんの罪もありませんが
複雑で困難な技法をつかわずとも
今村夏子『こちらあみ子』
だけでなく
ヘンリー・ジェイムズ『メイジーの知ったこと』
ニコルソン・ベイカー『ノリーのおわらない物語』
ジョージ・マクドナルド『フォトジェン』
など
作者が子供の視点に寄り添うようにして
ゆたかな内面を表現している作品はたくさんあります。
 
すでに他人のまねをする必要さえなく
「第二回」で発揮した文体、作風に自信を持って書ききればよかっただけです。
本来のスタイルが「第二回」であることは明らかなので
作者の筆がうれしそうに踊っているのが分かりますし
そうして書かれたキャラクターが魅力的なのも必然で
そこに本質的なちがいはありません。

「戦後派」「第三の新人」に深い意味はありません。
いわゆる日本近現代文学っぽいタイトルということで
安易に選択したのではないかと思ったのです。
意気込み、思い入れは分かりました。
あとはそれが作品の内容によって自然に納得できて
説明する必要がなくなればいいだけです。
そして
それが可能であることは十分に証明しています。
なんの心配もありません。
 
ご健筆を!



kobayakawa noriko


川光先生!
大変勉強になりました。良いところを探して下さり、自信が持てました。
先生に忘れられないように、これからも自分らしく描いていきます。
ありがとうございました!!ハッピー!

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