オットー_ネーベル

小説の書き方 対話篇(2)

「どのように書きましょう」
「まだ書けないかね」
「はい」
「素直なところだけはいい。文体のことだろうか」
「そうなんですか」
「もう分かりそうなものだ。苦悩しなさい。葛藤しなさい」
「それにはどのような、つまり、文体がいいのですか」
「平易な単語より難解な語彙、的確な描写より不可解なレトリック」
「少し具体的になってきたようです」
「だいたい、小説というのは多かれ少なかれ非日常的な出来事を書くものだろう」
「そうですね」
「それなら、表現もまた非日常的なほうがいい」
「すごく腑に落ちました」
「いま、どうなっている」
「小説ですか。まあ、電車に乗っているとしましょう」
「窓から見える天気でも書けばいいだろう」
「晴れてはいないでしょうね」
「つづけて」
「くもり。どんよりしていて、暗い。黒い。カラスのように、押入れのなかのように、黒板のように、インクのように、夜のように、世界の終わりの日のように」
「そのあたりかな。いいぞ。つづけて」
「まだですか。どれくらい天気を書けばいいでしょう」
「三枚ほども書けばいいだろう」
「何字です」
「一二〇〇字だな」
「長すぎはしませんか。そんなに書けるでしょうか。自信がありません」
「いやでも書きなさい。小説を書くのはつらいものだから。真面目な小説を書くのに、きみが楽をしてはいけない」
「ええと、むずかしいことばをひねり出す、よく分からない比喩をつかう。ほかに気をつけることはありますか」
「改行してはいけない」
「ぼくがめんどくさいのはもういいのですが」
「覚悟を決めたなら、問題ない」
「読みづらくはありませんか」
「きみが身につけるべき文体は、読みやすさを志向しているのだろうか」
「いいえ」
「もう書くのが苦痛かね」
「がんばります。賞をとりたいので」
「つづけて」
「くもっていたら、雨が降ると思います。涙のように、シャワーのように、しとしと、ざあざあ」
「擬音はやめなさい。安っぽくなる」
「分かりました。ええと」
「車軸を流す、篠突く、沛然」
「雨が降るってことですか」
「そうだよ。どれもどしゃ降りの意味だ」
「あんまりどしゃ降りという感じはしないのですが、せっかくなのでつかってもいいですか」
「きみはとても重要なことを言っている」
「なんでしょう」
「右と書くところを左と書く、ななめ右上、あるいは馬手、弓手としてもかまわない。そうすべきだ」
「なぜでしょう」
「簡単なものより複雑なもののほうに価値があるというのが原則だったはずだろう」
「分かってきたようです。まだ天気ですか」
「もちろん。ラスキン言うところの『感傷の誤謬』を実践しているわけだ」
「また分からなくなりましたが、さすが先生ですね。いただいてもかまいませんか。感傷の誤謬のような風が吹いていた、とか」
「そのように仕入れた語彙はすぐにつかいなさい。書いていれば勝手に文章や展開のほうがついてくるから。少々錯乱しても、それがきみの文体、きみの個性なのだから。文法が破綻しても気にしてはいけない。きみの書きたいものは破綻した文法を必要としている。読者はそう思う。作家が書いた文章には意味のない文字、句読点、一個たりともないことになっている」
「先生とお話ししているだけで、文章がうまくなった気がします」
「自信を持ちなさい。きみは筋がいい」
「そろそろ別のことを書きましょうか」
「いいだろう。ガラスの大きさ、窓枠の材質、広告、目の前の乗客の顔あたりかな」
「そこまで書かないといけないんですね」
「描写をおろそかにしてみろ、どんな窓から外を見ていたのか分からない、電車のなかに広告がないはずはない、乗客の描写がないとか意味が分からない、情景が伝わらない、リアリティーがない、共感できない、などと批評される」
「おそろしい。ちゃんと書きます」
「その気持ちを大事にしなさい。俗に言う創作意欲というやつだ」
「でも、ちゃんと書いて、ちゃんと読んでもらえますかね」
「きみは読者に読んでもらうことを期待していたのか」
「ちがいました。賞をとります」
「きみだって私の作品を読んだことないだろう」
「はい」
「こうまで言われても読まないだろう」
「はい」

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