spoon_knights_2のコピー90

銀匙騎士(すぷーんないと) (23)

 安稜(あろん)は、おい、と声をかけようとして、な、と言い変えたのだが、そういえば名前を知らない。灰が藁半紙一枚ぶん、うっすら地べたにかぶさって、その紙に頭からどぶんと潜りこんでしまいたそうに、こちらから見た女の子のころころした背中は犰狳(あるまじろ)か海老のまる焼き。安稜(あろん)、
「絵か。土に落書きか」
「落書き」
「絵が好きなのか」
「好き」
「話、聞いてたか」
「聞いてたわ。聞いてた、聞いてた、き、い、て、た、わ」
「はいはい、ちゃんと聞いてたよ。どうせ、中身も落ちもなかったよ。どれどれ」
「むう」
「見せろよ」
 服は白い貫頭衣(とぅにか)、だと思う、でも、もっとあざやかに時間と空間の活動力、つまり神霊みたいなものをあらわすためにあえて赤く塗る。大きな大きな、光かがやくまるいもの、きれいだけれどよく見るとおそろしいもの、望遠鏡で見た月のような顔。燃えさかる氷の玉座にすわっている。そのきらめきは、幻姿分光(ぷりずむ)の赤からむらさきまでどんな繊細微妙な諧調でも、彼の思うがまま。
 頭から流れ落ちる光は白い。人の目にはまぶしすぎて、ほかの色には見えない。四十万の世界を照らす。この光の栄光は、すべての人のもの。正義の人、鳳凰木(じゃけついばら)の聖なる果実と呼ばれるような人。どんな人にもその資格はあると思う。
 あらわれる、一億三千万の世界。白い光は頭の皮をすかして頭蓋骨から発する。ものすごいかがやきで、熱い、あんまりすごい勢いで放射されるから、光がかたまって、かたちを持つ。神秘の露をむすぶ。死んだ人を永遠の生命に呼びさます力を持っている。
 大きな大きな顔、つまり大いなる顔は、三十七億の世界に匹敵すると言われている。だから、長い顔、とも呼ばれる。
 もっとも古い顔、もっとも老いた顔。
 だって、天地開闢以前から存在し、ずっと存在しつづけ、空の青さのなかに住んでいる。くもり空の灰色で寝て、朝焼け、夕焼けのあかね色でごはんを食べる。夜空できらきら、笑っている。
 この顔がのぞんだから、想像世界、あるいは創造世界、大閻浮提宇宙(せかい)が生まれた。彼が駆る戦車だ。
 髪とひげは、あらゆる部分に広がっている。頭蓋骨のなかの透明な玉から毛がはえて、頭蓋骨と頭の皮をつきぬけてまき毛、ふさふさ。百億七千五百、もつれないように、さらさら、牧羊草原(すてっぷ)をかけぬける風より、きよらかな水を脱ぎ捨て脱ぎ捨て立っている噴水の足もとの流れよりも、もっとさわやかですずしい。
 まき毛のひとふさに四百十の髪の毛。髪の毛の一本一本が四百十の世界を照らしている。
 透明な玉は、脳みそだ。最高の知恵がつまっている。その知恵は、うすい表面のもやみたいなもの。脳みそは、三十二の道に別れてのびている。ひげから、十二本の川が流れている。
 手から光線がひらめく。たとえば、父親と母親、おしべとめしべ、光と影、有と無、生と死、天と地のようなもの。光線がまじわったところに森羅万象、存在する力が生まれるから。
 われた額から、また額がのぞく。きっと知恵の額で、顔を見せたなら、きっとかわいい女の子だ。
 安稜(あろん)、
「おまえ、すごいな」
「すごいわ」
「消すのがおしいな、とっときたいけど、地面だもんな。これ、なんだ、曼荼羅(まんだら)か。ああ、赤いのは山葡萄(やまぶどう)で、黒いのは無患子(むくろじ)か、白いのは、砂利(じゃり)、と」
「まんだらー」
「おれの話を聞きながら描いてたのか。こういうことなんだよ。なんだか知らねえけど」
「むくろーじ」
「すっとした。
 ありがとう。どういたしまして、と思ったら、どういたしましてって言え」
「どういたしまして」
 夢。
 昨日の夢のつづきなら、蛍の光の星の子供だし、寝る前に一番気になっていたことが図々しく舞台に踏みこんでくるか、こっちが退場のきっかけを示すのを忘れていて、去っていきそこねているかするなら、それはきっと日記に書いてもらえなかった化物虫で、案のじょう、どっちも出てくる。
 星の子供は女主人公(ひろいん)、化物虫はそのまま怪物、安稜(あろん)は騎士になって、奇巌城の迷路の最深部、助けにいかなくてはならない。永遠の愛をささげ、忠誠を誓ったお姫さまだから。化物虫は洞窟でうろうろしているだろう。星の子供をさらって、食べようとしている。そうでなければ、黒幕はまた別の悪魔で、化物虫は悪魔の愛玩動物(ぺっと)。黒幕悪魔、大悪魔、世界の全部の悪意と憎悪と不幸と嫉妬と軽蔑、その他もろもろの元凶で親玉、起源で終焉、世界人類の存在とともにいつもぐるぐるまわって果てしない呑尾蛇円環(うろぼろす)の暗黒の意志を、絶ち切る。お姫さまを救出するついでに。そうしたら、そうしたら、そうしたら、そうしたら、
「そうしたら、おしまいの行に、みんなしあわせに暮らした、って書いておはなしを閉じられる」
 と、安稜(あろん)は思いいたって、にやっとしたか、しなかったか。もう夢のなか。この夢は目が覚めても忘れないだろうし、それどころか本当の大切な思い出みたいにずっと胸のなかで色あせず金庫にしまわれて、たまに整理整頓虫干しするときに目にとめて、じっと見つめてにやっとしたりぼうぜんとしたり涙を流したり。それとも、こんなふうに、自分で自分の夢の道すじをつけて、無邪気に自分でわくわくしながら夢を生き、飛んだり跳ねたりしたことは、明日の朝まで持ちこせず、わたしたちだけがこっそり抱きしめて、やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、子猫のような乳くささを思うぞんぶん味わっていい。あなたが耳を噛み、手をしゃぶり、しっぽをねじねじした、かわいい安心毛布(らいなす)、ぬいぐるみです。
 星の子供と、食卓で向かい合っていた。将棋のこまを不見転で適当につまんで、順番に動かしていくように、なにかを口に運んでいる。風力玩具(もびーる)が鍾乳石の密度と数で、安稜(あろん)の頭を圧している、落ちつかない。そわそわする。さては、ここがもう洞窟なのかとはじめは思った。
「星が流れたの、見たでしょ」
「たぶん。ああ、見た。日記に書いてる」
「あれ、妾(あたし)なの」
「え」
「あれ、妾(あたし)なの」
「どういう意味だよ」
「そのままだよ。その前に、七個、星が流れたでしょ」
「それは知らん」
「じゃあ、ここでおはなしが終わってしまうけど、いいの」
「え、じゃあ聞かせて」
「まあ、これ以上、特になにもないんだけどね」
「なめてんのか」
「七個の星をね、追いかけて、妾(あたし)が落っこちたの」
「落っこちた」
「そゆこと」
「そゆこと」
「ひしゃく座があるじゃない」
「じゃない、って」
「あるんだよ。天文学にはくわしくないのか。山犬のしっぽ座。あと、ぼうし座とも言う。それ」
「それ、が」

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