spoon_knights_2のコピー73

銀匙騎士(すぷーんないと) (19)

 自分の声の余韻を、こびりついた耳の穴の壁に聞いて、安稜(あろん)はちょっとはずかしくなった。妙に声を高く調律して、のっぺらぼうの夜に虚勢を張っていた。そうだ。ささやかな空気の振動で、もやもやを、背中のぞわぞわを、近づくな、と制して、しかも女の子には、おれはこわくないぞ、という証拠にしようとしていた。
 黒いのは、でも、白いことの反対でしかないと考えようとした。
 光は白くなる。夕焼けと火の赤、角灯(らんたん)の橙、海と空にはさまれて波の上をわたる青、紫陽花(はいどらんじあ)の葉っぱをすかした緑、全部をたしたらまっ白だ。
 色は黒。風船の赤、青、黄色、紫、花の白、紺、緑、ひとみの色、手のひらの色、土の茶色、泥のこげ茶、全部をたしたら黒になる。
 黒い夜には、全部の色がふくまれているので、闇が極彩色、絵の具箱だ。
 たき火で頭のなかの夢や記憶をうつしたら、あの裸幹の縦格子に、しましまになって見えるのではないかと、安稜(あろん)は今日一日のことを少しだけ思い出そうとした。
 火種をおこしてそれっきり、枝も枯葉もぜんぜんやってないのに、元気にのびちぢみする火のせいで、赤く、むらになってはいたけれど、見えた。
 化物虫の木に花が咲いた。
 えっちらおっちらした。七階ぶん降りて、女の子は起きた。
 安稜(あろん)と女の子、手をつないだ。
 手をつないで、三位一体(もなるきあ)美術館、五階ぶんの螺旋階段をぐるぐる降りた。
 手をつないでいたことに、外に出て気づいた。
 熱い薬罐をなでてしまったように、ぱっとはなして、ごしごしズボンでぬぐった。
 ごめん、と言った。
 ご、め、んー、と赤舌(あかんべ)をべろりとした女の子。
 なんか、腹立つな。おまえ、助けてくれてありがとうだけど、だいたい、おまえがあんなところで寝てるからだ。まあいいや、おあいこだ。じゃあな、曲馬団(さーかす)だか舞踊団(だんさー)だか渡佐廻(ちほうじゅんぎょう)だか迷子だか知らないけど、ちゃんと帰れよ。
 帰るわ。
 ああ、帰れ。おれは、もう行くよ。
 行く。
 お祭りおしまいだし、もうどっか行くんだ。どこがいいかな。
 どっか。
 聞いたおれが悪かったよ。じゃあな、本当に、じゃあな。
 帰る。
 帰れよ。
 帰るわ。
 引っぱんなよ。
 引っぱるわ。
 帰るんだろ。
 か、え、る。
 だったら、はなせ。それで、帰れ。いいか、ぐるっとまわって、右足出して、左足出して、右足出すときは右腕うしろ、左腕前、左足だすとき、左腕うしろ、右腕前。
 帰るもん。帰るもん。
 え。
 帰るもん。
 おれも。おれと行くのか。
 行く。
 送ってくのか。まあ。ううん。ええ。まあ、それは、次どこ行くか決めてないから、いいけどさ。
 いい。
 い、いー、と歯をむいた女の子。赤舌(あかんべ)はからかったのだが、これは最大級のよろこびの表現だった。
 笑い返してしまいそうで、とっさに化物桜、毒々しくも艶麗な赤紫の花に目をそらそうとした安稜、おぶさった女の子。
 ざらざら、しゃかしゃか。
 弩弓兵(ぼうめん)が秋の虫みたいに草摺(たせっと)を鳴らして双子棟塔から降りてくる。
 引いた潮が満ちてくる、どこに隠れていたのか、見物の人々が逃げ腰で浮き足だっていた避難民からくんくん嗅ぎつけようとする鼻を、ちょっとでも角度をつけようとつま先立とうとするのを制しかね、熱狂よりは無関心に似た条件反射みたいな興味の温度で、ぐにゃぐにゃに弓なりにまがった針金細工の姿勢の野次馬に身を変えて、もとのとおりそうなって、じわじわ集まってきた。
 めんどくさい、いろいろ聞かれるのはかんべんだ、と、安稜は館内にあともどり、側廊の影をひろってこそこそ裏へ。
 べし、べし、べし、べし、べし。
 五百歩くらい走って、うしろで女の子が頭をたたいた。なぜか、むかつかなかった。
 その音は、あ、り、が、と、う、に似ていた。
 で、どこ行くんだよ、と聞く前に、女の子は、つんとそらせて棒薄荷飴にした人さし指で、山のてっぺんをさした。
 安稜(あろん)、あっちか、と聞く前に、女の子、ちかれた、と、つぶやいて寝息を。
 つぶやいた気がしたのだ。
 また寝た。猫みたい。でも、起こすのはかわいそうだから、そろそろ歩いた。
 背負箱(らんどせる)に胸があたって、窮屈じゃないのかと思ったが、大丈夫そうだった。
 軽かった。
 歩いた。たくさん、歩いた。ざわざわが遠くなり、消えて、蝉時雨で遮断されて、蓋をされた。都はもう見えない。
 粟苺(きゃんでぃーぐみ)を収穫する早乙女が、雁の隊列、鈍角の楔型で畑を前進していくのを見た。
 峠でひと息ついたら、膝ががくがくした。日暮れだった。ずいぶん歩いたから、今日はこのあたりまでだということにした。
「ちかれた」
 安稜(あろん)はつぶやいた。はっとした。なんだか、女の子に先どりされていたような気がして。
 それから風、虫がそれほどでもなさそうな寝床を探して、火をおこした。
 横になっていた女の子、手枕のままに、いつのまにか目をかっと見開いて、火の穂先を追っていた。
「起きたなら起きたって言えよ。びっくりした」
「起きた」
「はいはい」
 そういえば、ずっと話している。つまり、安稜(あろん)がしゃべりつづけて、女の子がときどき忘れたころに半畳を入れて。

 風 吹く 丘で 咲いていた
 こんなに やさしい 春の日に
 あなたは 咲いていたけれど
 少しも ゆれる ことはなく

 夜 降る 海に 立っていた
 あんなに つめたい 波を踏み
 あなたは 立っていたけれど
 ぜんぜん 星に 興味なく

 どんなことばが ほしいのか
 どんな気持ちで 眠るのか
 明日は 明日 今日は 今日

 どんなかたちで よりそえば
 色 光 線 未来 熱
 どうして ひとりのふりをしている

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