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トシヤの雑記帳(35) ~自分ごととして常に考え続ける~

Twitterで、いじめについての投稿が流れてきた。

そのとき、ふと『事例で学ぶ発達障害者のセルフアドボカシー』という本にあった、以下の一節を想起。

差別や偏見については、そのこと自体絶対にしてはいけないもの、ダメなものとして固定的に捉えると、その本質についてそれ以上探ろうとしなくなります。 むしろ、差別や偏見の心は誰にでもあり、その心が生じたときには、どうしてその思いを抱いたのか向き合って考えること、差別や偏見は、その人のことをよく知らないときに生じるものであり、もっとよく知ろうとすることで、差別や偏見の心はしぼんでいくと捉えことが大切です。 差別や偏見について、常に考え続けることが、障害の有無にかかわわらず誰もが豊かに生きる社会づくりにつながります。

「差別や偏見」についての文章だが、「いじめ」にも通じるものがあると思うのだ。

いじめをタブー視しすぎるのではなく、自分がいじめの思いを持ったときに、その思いを抱いた自分を認め、その背景を考え続けることの意義が今、自分にも、他人にも、社会にも問われている気がしてならない。


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