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スタ丼ノスタルジー

時々、無性にスタ丼が食べたくなる(知らない連中には教えておいてやるが、あれは断じて「すた丼」などではない。「スタ丼」が正しいのである)。これは、あのアホな大学——学生も教授陣も本当にアホな連中ばっかりだった——に行ったことによる副作用なのだが、今となってはもう、スタ丼自身はどこにでもある上に、最近ではデリバリーにまで対応しているらしい。国分寺のサッポロラーメン(これも言うまでもないことだが、「伝説のすた丼屋」などではない)で、トッポい兄ちゃんが鍋振りながら「はい、スタ丼でした〜!」とかわめき散らしていたのはもう20年以上も前のことである。
しかし、現在は下北沢でもスタ丼が食べられてしまう。そして、悲しいことにあの国分寺、国立のサッポロラーメンとまったく同じ味なのである。そっか、こんなに簡単だったんだ。昔、スタ丼を自分のうちで再現しようとしたりもしていたが、こんな風にどこででも食べられてしまうようになると、ちょっと複雑な気持ちではある。それでも思う。オレはスタ丼屋がある街に、また帰ってきたんだ。
店に入ると、やる気のない「いらっしゃいませ〜」。どうやら店員のやる気のなさだけはこの店の遺伝子に刷り込まれているらしい。今日は昼前からクライアント訪問で朝から何も食ってない。オレは空腹で頭のネジが少し狂ってしまったらしい。気がついたら何故かスタ丼以外にも山盛りの唐揚げを注文してしまった。注文して3分もしないうちに配膳される。昔は生卵が乗った状態で出てきたものだが、いつ頃からか客が自分で割って入れる形式に。オレの食べ方は決まっている。大学の寮の大先輩、西川さんから伝授された、秘技「生ニンニク追加醤油かけまわし」である。詳細な説明は必要あるまい。ざっくりとかき混ぜ、肉とともにご飯を口に放り込む。うむ。決してすごくうまいわけではないが、こういう味だよな。
もちろんマイナーチェンジはされている。例えば、昔は海苔が2枚、ちょうど丼が土俵ならそのしきり線のような形で飯の上に置かれ、その上に肉が乗っていた。その間に箸で穴を開けて卵を陥没させることができたのである。しかし、今はどう見ても一枚しかない。あるいは味噌汁の具がもやしからワカメになっている。あのまずい味噌汁、もやしがすっぱくなっているあの味が、実はスタ丼を引き立てる役割を演じていた。ずるずるわしわし。イノカシラ・ゴローになった気分だ。
結局唐揚げは食べきれず、残してしまう。ごめんよ、母さん。息子は食い物を残してしまうような悪いオッサンになってしまいました。店を出たところを、近所の女子大生と思しき女の子にじろりと見られる。
——こんなオッサンがスタ丼?スタ丼は若者の食べ物なんだよ。オッサンは回転寿司でも食ってろ——
若者よ、その通りだ。スタ丼は紛れもなく、オレの青春の味。今や国立まで行かなくても、国立の杜を思い出せるということに、感謝しなければならないのかもしれない。偶然ながら、今週末はあの頃のアホな連中と久しぶりに会う予定が入っている 。スタ丼はちょうどその前祝いといったところかな。

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