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[投げ銭小説] ボウル越しの投げキッス

咳をしても金魚。

……というのもね。

泡の中に閉じ込められちゃったのさ。

そんなアホなことがあるかいなと、きみは思うか分からんが、この世界自体がどうにもアンポンタンなものだろう?

もちろん見た目には自由そのものなんだぜ。

座敷牢に閉じ込められた巌窟王じゃあるまいし、どこに行くなり、何でもお好きにしてくださいませ、ただし懐具合はお寒い限りだったがね。

だからぼくは無限の宇宙を旅したのさ。

夢幻の時空を飛び越えましたとも。

紅いサソリの心臓の光に導かれ、蒼いオオイヌの輝く瞳に魅入られて、幾億光年の茨の細道を踏み越えて、闇深き内奥の旅路を辿った孤独の追憶など、今更披露するつもりもないけどね。

ここで一つはっきりさせて置きたいのは、ぼくにだって世間並みの人生を送ってた時代があったんだってことなんだ。

極東の島国随一の大都市に生まれてラッシュの電車に詰め込まれて学校にも会社にも通ったし、夜の繁華街で魂を持て余して悲痛な叫びを上げる酔漢の一人にもなったのさ。

それが今や、世界の天井を形作る大山脈の麓の異国の街で、小さな泡ぶくに閉じ込められちゃったとか寝言を言ってるんだから、まったく笑止千万とはこのことさ。

けどもだよ、この泡ぶくは本当に奇妙なものでね、ぼくを閉じ込めると同時にぼくを守ってもくれるんだ。

つまりさ、例えて言えば今のぼくの立場は、金魚鉢に閉じ込められた一匹の金魚ってわけ。

しかもその金魚鉢を首に据えて、体は宇宙服にでも包まれてるでくの坊を想像してくださいな。体は自由に動かせるし、頭の中身は金魚の姿をして存在してるんだから、どこにでも行けるし、何でもできるんだ。

ただし、そんな自己像を持ってる存在が、人とどんな関わりを持てるかは知れたもんじゃないがね。

そりゃあね、こんなクソくだらない宇宙服なんてうっちゃって、裸で街を駆け出したい気持ちはあるし、何ならこの金魚鉢をぶち割って、薄桃色のかわいい金魚ちゃんを聖なる大河に放してやりたいところだけど、多分まだ、その時期じゃないっ思うのさ。

そしてそんな時期なんて、結局来やしないのかもしれない。

それならそれで仕方がないよね。

誰だって自分の器の大きさに合ったことしかできないってだけの話で、別にそんなこと恥でも何でもない。

巡礼客の多いこの聖なる街は、湿度が低めで土ぼこりがたくさん舞って、大気汚染もひどいもんだから、この二、三日喉がやられちまってね、やけに咳き込みやがるのさ。

咳をしても一人で、のたうち回る金魚なのさ。

そうして何か求める心なんか金魚鉢の向こうに全部放り投げて、ぼくはきみに投げキッスするんだ。

金魚鉢(ボウル)越しのちょっとさみしい投げキッスをね。

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