枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け

 先日放送されたEテレの「デザインの梅干し」という番組の中で紹介されていた言葉です。とても良いなと思い調べてみると、江戸時代の哲学者の三浦梅園という方の言葉でした。

枯れ木に花が咲くことは誰でも驚くけれども、本当に驚くべきことは、毎年春になるとあたりまえのように花が咲く、そのことにこそ驚くべきではないか。

珍しいものや珍しいことではない、ふつうにあるもの、ふつうにあること、花が咲くこと、人が生きているということ、そうしたことにどれだけ奇跡的なことが起きているのかということを驚くべきではないかという意味です。

 私たちの身の回りには色々なものがあります。自然なものも進化の過程で環境に適した形になっていますし、人が作ったものでも、たくさんの作り手の見えない工夫があって、私たちの暮らしを支えてくれています。

 例えばジュースの缶も私が見てきた30年の間でもずいぶんと形が変わりました。昔はプルタブと呼ばれる指をかけてひっぱり開ける部分が外れるようになっていました。しかし外した後はその部分で指を切ったり、ポイ捨てをしたりと、安全面や環境面での問題が起こりました。

そこを改良したものが現在のようなひっぱり開けてもタブが外れない缶です。

この形が主流になり、現在もそれが続いています。さらに飲み口の横に点字をつけたり、より飲み口を大きくして飲みやすくしたりと、様々な改良が加えられ、私たちも周りに存在しています。

 ペットボトルのふたも、未開封の状態がすぐにわかるようになっています。海外で水を買う時に気付いたのですが、あちらでは一度飲んだものに水道水を足してそのまま販売しているという事があります。

 そのときに未開封のものと、一度開けたものとを見分けるのは、キャップのパキっと割れるリングの部分です。あれがあるおかげで安全な水を買う事ができました。

 仏法に出会うと、当たり前だとおもっていたことが実は当たり前ではなかった、ありがたいことだったと気づくようになります。それはご縁の世界に生かされているということに気づくという事だと思います。

 身の回りで当たり前に使っているものには工夫が込められているのです。そういうものに目を向けてみる事もまたご縁の世界を教えてくださるのではないでしょうか。

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