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ヤギちゃんという人物

私の友人に八木という人物がいる。
彼はギタリストであり、バンドメンバーであり、ソングライターであり、マジシャンであり、有識者であり、映画狂であり、凄腕FPSプレイヤーであり、マジシャンである。
私は敬意とリスペクトと友好を込めて彼をヤギちゃんと呼んでいる。

当初はただの一方的なファンであった。
2010年頃、彼は東方界隈にてモノクロスタジオという屋号で楽曲の制作を行なっており、私はその活動を熱心に追っていた。彼の作る創作物は他の追随を許さないほど先鋭的で、アレンジ手法、歌詞、サウンド、どれを取っても唯一無二と言えるものばかりだった。
特に彼の放つギターサウンドは極めて強烈で、異常なほどに鋭く歪んだその音は初めてライブで聴いた際、頭をバットでぶん殴られた様な衝撃を受けた。

話は飛んで程なくして私自身も東方界隈で深夜放送を名乗ってサークル活動を始め、2012年12月15日に初ライブをする事になった。数少ない友人に頼んでベース(イカズチ君)とドラムは無事決まったが、ギターが居ない。どうするべきか一瞬は考えたが、選択肢はほぼ一択であった。史上最大級の勇気を振り絞って八木氏にサポート依頼のメールを送る事にした。

後日、八木氏から届いたのは承諾の報であった。私は喜びと同時に震え上がった。どうしよう、あの方の演奏に耐えうるスキルも無ければバンド自体の経験も大して無い。当時バキバキのコミュ障だった私はまず面と向かって喋る勇気すら無かった気がする。最早何も無い。BPM4000弱の心臓のビートで小刻みに揺れながらスタジオの日程を伝えた。練習用の音源も渡した。毎日祈りながら眠った。何を祈っていたのかはあまり覚えていない。

スタジオ当日。やや遅れ気味で八木氏が到着された。ステージで幾度となく見たあのシンラインが今目の前にある。笑い目的でダンエレクトロのカスみたいなギターを持ってきた自分を殺してやりたい。準備が整い、初めて深夜放送の拙作がバンド形式で生演奏された。マーシャルのアンプから「あの音」が爆音で鳴り、感動を覚えた。総合的な点数としては45点ほどだったが、八木氏と同じバンドで演奏出来た事が何より嬉しかった。「後ろを向いて弾け」「もっとノイズを出せ」等の珍妙な要求にも応えて下さった事には感謝しかない。その後2〜3回ほどスタジオで練習を重ねた。

初ライブ当日。リハから全力を出した私はその日の出演者から早々に引かれつつも手応えを覚える。雰囲気作りの為に座って弾くと決めていたがライブハウスに手頃な椅子が無く、近隣の音楽スタジオから無理を言って椅子を借りてくるという暴挙に出る。八木氏もギターのストラップを通常より下げる意気込みを見せてくれた。ライブハウス側に提出するシートの照明要望欄に「薄暗く」とのみ書いて渡し、遂にライブが始まった。オープニングアクトとしての責務は全う出来たのではないかと思う。八木氏の演奏はスタジオの時よりも数倍キレており、ステージに立った回数が違うのだなと改めて凄さを感じた。ちなみにこの日から今日に至るまで、演奏中に発声や拍手をした観客の方は誰もいない。理解のある方ばかりで助かっている。

その後も深夜放送は定期的にライブに呼んで頂けるようになり、スタジオ練習の度に食事に行くなど必然的にヤギちゃんとの交流も増えていった。2016年の誕生日には日頃の感謝を込めてカラオケで生誕祭を行った。色弱同士でのUNOやガチンコスマブラ対決(大敗)等、そこそこ楽しんで頂けていた気がする。
近年ではヤギちゃんの方から喫茶店で話さないかと時々誘いをくれるようになり、大変嬉しく思っている。ヤギちゃんは話し方が上手で内容もめちゃくちゃ面白く、5時間は余裕でトークセッションが出来てしまう。そしてコインを使ったマジックのクオリティがあまりにも高い。何故あんなに面白いエピソードばかり取り揃えているのか不思議になる。こっちも負けじと面白エピソードの切り札を切ったりするが、それでもやはり面白さでは勝てない。精進していこうと思う。

2012年頃にモノクロスタジオが活動休止状態になってからも名義を変えながら東方アレンジやオリジナル曲の制作を続けられており、ソロプロジェクト「ベス・クーパーに」としては2枚のEP、スプリットアルバム「SUCKER PUNCH」への参加など定期的な曲の発表を行なっている。
個人的な感想ではあるが、年を追う事に曲構成も歌詞も難解になってきている様な気がしてならない。ヤギちゃん本人の解説を聞いてやっと少し理解出来るかどうかの世界である。ただそれがひたすらに格好良いのでどんどんやってくれ。その調子だ。いいぞ。

ヤギちゃんの曲において特に凄いと感じるのは、曲を制作している本人がスケールやキーを理解していない点である。「(音が)間違っているかどうかは分かる」というヤギちゃんの話からほぼ感覚だけでコードを選んでいる事が伺える。実際、ヤギちゃんの曲を聴いていて違和感を覚える点はほぼ無い。強いて言うならあの常軌を逸したコード進行くらいである(それも恐らく間違っていない)。あれを感覚でやってしまうのだから恐ろしい。そしてあの曲達のルーツにあるのが山崎まさよしなのだからなお恐ろしい。一体何があったのだろう。

ヤギちゃんと交流を始めておよそ9年になるが、まず縁を切らずにいてくれて心からありがたく思う(切る時はバッサリ切ってしまう人なので)。彼は今後も私の尊敬する人物の一人であり、偉大な友人であり、ギタリストであり、バンドメンバーであり、ソングライターであり、マジシャンであり、有識者であり、映画狂であり、凄腕FPSプレイヤーであり、マジシャンである。いつもありがとう。

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