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ものとプロセスと人(2)

作り手になりたいわけではないと感じているのは、自分が作り手側に立ち、使い手にとっての豊かさを提供するのではなく、それぞれの使い手が、ものへの向き合いかたを変えることで、意味と文脈による価値、豊かさを自身で生み出せるか、みたいなことを考えているのかなと。
それで、前回述べたように、人間の思考や工夫が介入できるものと接することを僕が“人が豊かである”と捉え、作り手としてそうした余地があるものやサービスを提供していくことも、自分にとってアリなのですが、社会では同時にそうでないものもうまれていくのが現実で。だから、これからでてくる"価値とされるもの"に対して、使い手が一方的に価値の受け手になるのではなく、それぞれが豊かさや価値を判断し、選択する必要があるのでは?といった感じ、かな。

価値の評価

価値という曖昧なもの評価するために「お金」が存在しましたが、お金ではない価値評価の手段も多く存在しています。それらの多くは人が価値を認知するために可視化がされることが多く、Amazonや食べログ、映画などの星5つシステムが、その代表的な例かなと思います。自分で良いと思ったものを購入した後に、ネットで価格やレビューを見るのは、自分の価値の判断が客観的なものと間違っていなかったかを確かめるための行為であり、多くの人が価値を感じれば、実際に価値が生じてしまう現象が存在しています。個人にとって価値の判断、評価とは非常に難しいものであり、周囲の評価が一つの評価基準になることも理解できます。しかし、価値は絶対的なものではなく、個人それぞれの意味や文脈によって影響されるものです。例えば、贈与という行為もその一つで、実用性としての価値ではなく、そのコンテクストが価値の評価に影響を与えます。

プロセスが変化させる価値

このテーマに最もはまるのが行動経済学という分野だと思います。行動経済学とは、以下の通り。

“人間がかならずしも合理的には行動しないことに着目し、伝統的な経済学ではうまく説明できなかった社会現象や経済行動を、人間行動を観察することで実証的にとらえようとする新たな経済学”行動経済学とは - コトバンク

水を加えるだけのパンケーキの粉は、料理をする人にとって簡単すぎて、完成したケーキが自分で作ったものという感覚が持てなかったから売れなかったことや、折り鶴に値段をつけさせるというアリエリーの実験で、製作者が自分の作品をプロの作品と同じくらい高く評価したということ。こういった現象や実験はプロセスに人間が加わることで、その対象に対する価値の評価が変化することを示しています。
最近周りでよく聞いたりするところで言うと、梅酒作りなどがいい例なのではないでしょうか。わざわざ自宅で手間と時間をかけて梅酒を自分で仕込むというプロセスには、どんな味になるのかの想像や思考、工夫の余地が存在します。少しタイプが異なる例としては、"写ルンです"が流行していることも、この余地の存在が影響している思っています。スマートフォンで写真を取ることとは違い、限られた枚数で何をとるのか、どんな写真が取れているのだろうか、という思考や期待という余地が残されているということです。
他にも、BBQのように庭でご飯を食べることや、ゲームを改造したり、家のリノベを自分で行なったりするなど。このように自分で試行錯誤しながら、プロセスと向き合う行為は、可視化されることなく価値の評価に大きな影響を与えます。ものとプロセスとそれぞれが人によって作り出される価値です。

使い手が主体の場

ものやサービスという価値が溢れるこの社会で、価値とは生活者自身が見つけていくものです。それぞれの作り手は、使い手がこうなったら嬉しいのではないかと推測し、エモーションに焦点を当てた体験設計を行っていくわけですが、上で述べたようなプロセスによる価値の変化なんてものは人によって違うことは当たり前なので、体験設計⁇ってそれもなんだか少し押し付けがましいのではないか?とも感じます。
ナガオカケンメイが、「生活者が生活の中で使い込むというデザインをしたものがロングライフデザイン、デザイナーには作れない。」と言っているのと少し似ていて、プロセスと向き合うということは、作り手よりも使い手が主体性を持って初めて生まれゆくものなのです。だから、僕は作り手の立場に立つのではなく、使い手を主体として物事に対して向き合い方を変えてみる場、人間の能力や技、思考、工夫、知恵が介入する余地のあるプロセスを経験する場を作りたいと思っているわけであります...

頭も文章もうまくまとまらないのですが、徐々に整理していければ。
今まで「レコメンド」や「贈与論」「待つ」「情報の得方」などに興味を持ってきたのですが、やっぱり、モノに出会うまでのプロセス、向き合い方を変えることから価値を考えるのが好きなのだなと。多分僕が、生まれた時からモノに囲まれて育った「ないものがない」と言われる世代の一人であり、生活に大きく困ってこなかった人だからこそ、新たなものではなく、今あるものの使われ方や向き合い方を考えるようになったのでは?と思っています...

前回のものとプロセスと人の続きみたいなものでした。また何か書くと思います...

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藤 匠汰朗

九州大学芸術工学府デザインストラテジー専攻 修士1年2018.8-2019.6までフィンランドのAalto大学で学びます。
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