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ものとプロセスと人

モノやサービスのデザインによって簡単で便利に使えます、というようにプロセスを省いていくことではなくて、そのプロセスにいかにして向き合うことができるか、というのをテーマとして持っています。ここでのプロセスに向き合うという意味は、人としての能力や技、思考、工夫、知恵を能動的に働かせる余地のある物事に接するということです。
デザイナーが使い手のことを想像し、時間軸で単純化して描かれるカスタマージャーニーのようなものではなくて、人がその余地に面した時に身体と思考、経験によって生まれる多様で複雑なプロセス、そういった意味での人それぞれが経験する物語性、そこに僕の思う”豊かさ”があると思っています。
だからある意味、作り手はそれを誘発はできるけれど、あらかじめ生み出すことはできません。あくまで、ものとプロセスとそれぞれの人が主体です。

ものとプロセスが作る“人”

学部はプロダクトデザイン専攻だったのですが、人間中心的なもの作りへの違和感を持っていました。もちろん、人間工学的な面での使いやすさや快適性、簡単に使えるということは良いことだと思いますが、人間を種として捉えた時にそれらは表面的な欲求を叶えるに過ぎないとも言えます。もっと人間の能力や技によって何かを為すという喜びや嬉しさに目を向けたい、そういった意味でのプロセスが人を豊かにしていくと思っています。
僕はものを新しく作ることや表現することにあまり興味がなくて、物事への向き合い方や関わりかた、それらによって影響を受け変化する人間側に興味を持っています。その関係性の観点から人がどう形作られるのかに目を向けることで、これからの社会における豊かな生活とは何なのかを考えるということです。物質的な豊かさが前提となり敢えて意識する必要がなくなった今、人は何を求めて生きていくのか、という大きな問いでもあります。

資本主義経済

しかし、企業が資本主義経済で生き残っていくためには他社との差別化を図り、購買意欲をそそるためのものづくりが半義務化されているのが現状です。その社会にいる限り、お金を得るためにものやサービスを作って売らなければなりませんし、ユーザーのニーズを汲み取って、その人に使ってもらうための、売るためのものづくりというように、ユーザーに合わせていかないと、産業やビジネスとして成り立たちません。でも正直なところ、ものやサービスを新たに作りイノベーションによって価値を生み出すみたいなことって、もう必要ないとも感じています。(日本の産業という視点ではなく、自分の身の回りの生活として)これは、ものの豊かさが前提となった今、新たに何かを作らなくても、ものへの向き合い方次第で意味や文脈という価値をそれぞれが生み出せると思っているからです。その向き合い方をどう変えるかというのがテーマです。デザインを学んでいますが、デザイナーになりたいわけではありません。

プロセスを踏む場作り(?)

売るため、使ってもらうための産業を持つ社会に対して変化を起こしたいと思いつつも、まずは上で述べたような自分の生きたい社会をどう自分の周りで実現するかにスケールダウンして考えて、(結局は自分がどう生きたいかだと思うので笑) 小さなコミュニティや場づくりから始めたいなと思っています。
物事に対してプロセスを踏む場所。人間の能力や技、思考、工夫、知恵が介入する余地のあるプロセスを経験する場。最初はイベントのような形式で始まり、最終的には生活空間やコミュニティまで拡大していきたいと考えています。
ここでいうイベントというのは、プロセスを踏むという概念を理解してもらう企画やワークショップ。例えば、コーヒーを豆から挽くとか、レコードプレーヤーで音楽を聴くといった具合に。単純化されたものごとに対して、今日はわざわざ何かをやってみます、みたいなシリーズ企画を通して、自分の考えを伝えていき、人とのつながりをつくっていくのがよいのかなって思ったり。こういう企画とかって、バズる必要はないので、興味を持つ10人に届けばいいなと思っていて、そこからコミュニティにまで拡大していけたらなと思っています。これらはまだ、具体的なプランを練っているわけではなく、自分の哲学的なものをまとめただけなので、これから模索していかなければいけませんが、そこに現在交換留学中のフィンランドAalto大学でのCo-design的な学びを生かせたらいいなと思ったりしています。今は “Designing for Services”という授業を履修中です。これについてはまた詳しく。

コミュニティを作る意義

それで、最終的なゴールとしては資本主義の社会から少し離れた半自給自足的なコミュニティを作りたいと思っています。でも完全にその社会と切り離す必要はなくて、要はバランスというか割合だと思っています。お金を通して消費するということは全くもって悪いことではありませんが、お金という媒体を通さなくても、豊かな生活は手に入れることができると思います。僕は高いレストランでお金を払って美味しいご飯を食べるよりも、自分で釣った魚を自分で調理した方がうまいと思っているので。笑 それくらい価値って曖昧なもので、プロセスや向き合い方、コンテクスト次第で変化するし、必ずしもお金を介する必要がないと思うのです。もちろん、プロセスを踏むためにもお金が必要なことはたくさんありますし、お金で何かを消費するという欲求はあるので、ここもバランスです。毎日夜遅くまで働いて1000万のお金でレストランやショッピングといった消費を楽しむか、200万のお金と自分でまかなえるものは賄うのか、というように。お金の価値自体が曖昧になってきている世の中で、自分が何に価値を見出すかが、その判断がますます重要になってくると思います。なので、これからの勉強領域としては、お金やコミュニティデザインあたりかなと思っています。

わざわざカルチャー国フィランド

話は変わりますが、僕が今住んでいるフィンランド、そのカルチャー面にとても興味を持っています。上で述べた”人は何を求めて生きていくのか?”という問いと少し関わってきますが、フィンランド人は経済発展の中でお金と時間を得たとき、自然との結びつきを追い求めたそうです。消費を楽しむのではなく、日常の煩雑さや人間関係から逃れ、自然の中に身を置くための場所や環境を手に入れようとした、といったように。
仕事における効率化は進む一方、サウナ付きの別荘を湖畔に自分で立てたり、水道や電気のない場所で休暇を過ごしたりという、文化の違いの一言で片付けるには勿体無いような、わざわざカルチャー的要素をもっと深掘りできたらなと思っています。

ちなみに卒業研究のテーマ「わざわざのわくわく」の中では、手間や時間というプロセスにおける知覚と想像と期待の反復、それらによる体験価値の変化、その問題提起を展示会という形で行ったので興味があれば。

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藤 匠汰朗

九州大学芸術工学府デザインストラテジー専攻 修士1年2018.8-2019.6までフィンランドのAalto大学で学びます。

コメント7件

サウナ付き別荘!笑
面白い言葉!人間性とか人間的とは何か?みたいなね🤔
僕はサウナもその位置付けで捉えてます笑
究極のわざわざ。
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