“Design for Human Autonomy-人々の主体性のためのデザイン”

これまでの思考とフィンランドのアールト大学での学びの中で、デザインにおける生活者それぞれの“主体性”ということが重要なキーワードとして確立してきたので、文章にしながら整理を。少し長くなったので、前半部だけでも読んでいただけると。目次から大体の内容は察していただけると思います。

目次・主体性とは何か?・どうして主体性が人々に必要なのか・作り手と消費者という関係性・生活者が自身で見出していくエクスペリエンスの価値・Co-designにおける作り手と生活者の関係性の変化・“参加”を通した内的変化、マインドの変化・主体性への動機づけコントロール・他者との依存関係の中で育む主体性

主体性とは何か?

はじめに主体性とは何か?というところを。基本的には自己決定理論における自己決定性に則って。自己決定理論とは行動に対する自己決定性がパフォーマンスや精神的な健康状態に影響を及ぼすというもので、簡単にいうと他人に与えられたものより、自分で決めて行動した方がうまくいったり、楽しかったりするという、誰もが実感したことあるであろう現象に対する理論です。

その中でも、特に”自己決定性”に関して、「人間としての能力や技、思考、工夫、知恵を能動的に働かせる」ということが主体性の重要なポイントだと考えています。例えば、何かを改造してみたり、料理に少し工夫を加えてみたり、映画に対して自分の解釈をしてみたり。そうした行動が、心理的ないきいきとした状態を生み、そして人生という大きな時間でのウェルビーイングにつながると考えています。

どうして主体性が人々に必要なのか?

私たち自身の体や行動は、人がつくりあげたものによって規定されていきます。コップのようなプロダクトから、スマートフォンの中のアプリケーションまで。これは“デザイン”が、人々に価値をもたらすと同時に、人々の主体性をも奪いうる可能性を持っていることを意味します。簡単に綺麗な写真が撮れてしまうカメラ、美味しい料理が簡単にできる電子レンジ、いつでもどこでも聞ける音楽。そんな道具やサービスが溢れ、生活者は世の中に存在する“作られたもの”を消費するだけで、何不自由ない生活を送ることができてしまいます。

しかし、自己決定性という観点から見たとき、そうした生活が果たして、ウェルビーイングにつながるのかという問いを持っています。例えば、今まで音楽はレコードショップにお気に入りの一枚を探し、音楽を聴くまでに多くのプロセスを踏み、好きなアーティストの楽曲を楽しんでいたのに、いつでもどこでもストリーミングで聞けるようになったことで逆に聞かなくなった、なんてエピソードも主体性消失による心理的な充足感の不足を表しているのではないでしょうか。

作り手と消費者という関係性

産業が成熟化してきたフェーズである現在、イノベーションの名の下にデザインが介入できそうな隙間を見つけては、ものを作っていくことに違和感を感じている人は多いと思います。産業の発展、経済の成長が人々の幸せに直結しないのは多くの人が気づいているはずのに、作り手という立場にいる以上、“新たなモノやサービス”を生まねばなりません。そうした供給が需要を超えた日本の経済が、過度なユーザー中心、使いやすく、より簡単に使えるものを追い続ける状況を作り出したと言えるでしょう。

例えば、高齢者施設で、設備やサービス、介護者が何もかもしてあげるおかげで、彼らが自律性を失い生活が空虚なものになってしまう。この状況が日本社会における作り手と消費者の関係性の全体像に対しても言えるのではないでしょうか?つまり、生活者は作られたものの“消費”者としてしか捉えられず、作り手から“新たに何かを作り与えられる”ことで、自らの主体性を失ってきているのでは、ということです。

*サービスデザインの分野で、最近“Care(ケア)”という言葉がテーマとして掲げられています。以前取り組んだプロジェクトの中でも、あなたたちが行うケアとは何ですか?ということが常に問われ続けたのですが、その問いもこうした状況に対する懸念からではないでしょうか。人を個体として単純化して推し量り”正解”を提供するのではなく、個人を他者とのコミュニケーションや相互関係の中で捉え、自身で解を見出していく状況を用意していくという大きな意味でのケアだと思います。

生活者が自身で見出していくエクスペリエンスの価値

そうした過度なユーザー中心のものづくりに対する懸念からか、体験価値の設計、エクスペリンスデザインが重要だということはよく言われますが、“体験”はデザイナーにデザインされずとも、生活者が自身で見出していくことが重要であると考えています。他人によって設計されたものだけがエクスペリエンスではありません。生活者が一方的な価値の享受者を抜け出し、自らの感覚と思考、能力を最大限用いて、意味と文脈といった価値を見出していくことが、それぞれのウェルビーイングにつながるものであると信じています。

現在の日本の資本主義社会では、多くの製品やサービスの消費を好ましいこと見なされ、何かを消費することで幸せになれる一種の信仰の下に私たちは暮らしています。こうした無限の消費サイクルから脱するためには、そうした生活者一人一人のマインドセットの変化が必要なのです。良い消費者を作ることが、良い作り手を生むのです。消費を促すために描かれた理想像を追い続けることは、決して悪いことではありませんが、埋まることのない理想と現実のギャップのサイクルに苦しんでいる人は多いなと僕は感じています。
ものやサービスという価値が溢れるこの社会においては、価値の取捨選択がますます重要となります。同じAalto大学で学ぶKawachiさんの記事に、フィンランドで感じている“人々の主体性”に関して、象徴的なエピソードを見つけたので一部を引用させていただきます。

"ヘルシンキでは、近年のスマートツーリズムの流れもあり、地下鉄を拡張し、従来の主な交通手段であったバスの路線を減らしました。ただ、ぼくの友人は「地下鉄では外の眺めが見えなくなるから、地下鉄から離れてしまった」と話しており、都市部に住む人々ですら効率化に支配されず、自然との向き合い方を保ち続けていることに非常に驚きました。フィンランドでは、こうした自然崇拝や、霊的精神とデザインが密接に結びついています。"引用元: デザインをめぐる往復書簡 2 「川地真史 → 山本郁也」 | UNLEASH

生活者が作られた価値を全て消費するのではなく、一人一人が自身の価値観を持って生活を作り上げているのです。フィンランドでは生活と自然との関わりの強さを、身を以て感じ、漠然と良さを感じていたのですが、これはおそらく自然という設計されていないものと接することが、自身の五感を研ぎ澄まし”エクスペリエンスを感じる能力”が発揮され、鍛えられているからなのかもしれません。

こうしたことから、日本という文脈において“主体性”というキーワードが登場してくるといった感じです。こんな感じが主体性のためのデザイン。

Co-designにおける作り手と生活者の関係性

Co-designとはDesign for Users(ユーザーのためのデザイン)からDesign with People(人々と共に作る)というように、デザインのプロセスに人々を巻き込んでいく、いわゆる参加型デザインなのですが、その参加の質や深さが大きくなるにつれてデザインの主権が上の図の右側のようにデザイナーからユーザーへと移ってきます。そこでは、ユーザーたちが自身で何らかの創造的活動を行うことをケアするようなコミュニティデザインへと、フェーズが変わってきます。一般的なデザインプロセスへの参加の手段は、ワークショップやデザインプルーブ(例えばユーザー日記のようなもの)などによって行われるですが、開発者とユーザー間の相互性と連続性を補うためにコミュニティの構築が図られます。実際のCo-designのプロセスでは、上の図の段階、グラデーションを目的と中長期的な計画に応じて使い分けていくのですが、ここでは、あくまで企業や組織視点からではなく、"生活者の主体性"という観点から見ていきます。

Co-designにおいては、ユーザーをデザインプロセスに巻き込むことによるアウトプットの方が重視されますが、僕はそのプロセスが焦点です。つまり、これまでの一方的な価値の受け手、消費者であった“ユーザー”が、自身で能動的な活動に取り組んだときに生じるマインドの変化という点において、Co-designのプロセスが"人々の主体性のためのデザイン"に応用していけるかも、と考えました。

※ここでは、Co-designの観点からデザインのプロセスに巻き込むという話をしているので、創造性とは何かをモノやサービスを作るという意味で扱われますが、あくまで、自分の思う創造性は「もの、プロセスへの向き合い方の変化による、意味や文脈の価値をつくること」を含んでいることを一応記しておきます。

“参加”を通した内的変化、マインドの変化

ユーザーの能力を解き放つという意味のEmancipatory Design (Emancipate: 解放)や、対象となる人が自律的に能力を発揮するための支援という意味でのEmpowering Design (empower: 能力を高める)という分野に当てはまるみたいですが、Co-designプロジェクトの結果に少し登場する程度な気がします、僕がまだ見つけていないだけかもしれませんが。

先ほど、体験価値を生活者自身が見つけていくことや、価値の取捨選択の重要性について述べたように、”参加”を通して、主体性を持った生活への態度変化へプロセスのステップアップが期待できます。
しかし、こうした内的な変化には、多くのステップはあるものの、正しい順序というものを描くべきではありません。なので、ステップアップはカスタマージャーニーのように1本の線でつなぐのではなく、人々の行動と特徴に基づいたカテゴライズと、それぞれが抱える課題の除去というアプローチが有効だと言われています。

*前期に履修したDesigning for Servicesというプロジェクトでは、市の意思決定に市民をどう巻き込むかというテーマだったのですが、市民の主体的なまちづくりへの参加という最終のステップに対し、人々のモチベーションと実際のアクションからタイポロジー(分類)を作り、クライアント(エスポー市)がそれぞれのバリアの除去方法(動機づけ)を考えるためのデザインツールを製作しました。

主体性への動機付けコントロール

主体性を持った生活への行動変容のステップアップと先ほど述べましたが、そのためには動機づけ、モチベーションのコントロールが重要になってきます。その人自身がやる気を出させる状況を用意するにはどうしたら良いか、ということです。(ちなみに上の写真はDesigning for Servicesのプレゼンで使ったものです)

Co-designでは、“参加させる”メソッドやツールを学ぶことはできますが、それらは無数に存在し、その場に応じてうまく組み合わせながら、それらがどのように協調し相互補完し合っているかの関係性を見ながら使用する必要があると言われているくらいな気がしています。今まで見てきたようにそれぞれの主体性に主眼を置くならば、その人自身の心理的な面を見ていく必要があると思われるので、動機づけの理論と重ねながら考えていきます。

こうした場面でよく用いられるリチャードライアンとエドワードデシによる動機づけの分類から見ていきます。

 ・内発的動機づけ
それ自体がそもそも面白くて楽しいから何かをしている
・外発的動機づけ
課題とは別の成果が生み出されるから何かをしている
出典: ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ. ウェルビーイングの設計論

内発的動機づけが、質の高い学びや心理的な充足感と結びつくことになるのは、誰もが実感したことあるように明らかで、没頭などがそれでしょう。「努力は夢中には勝てない」なんて言葉もこの内発的動機づけの重要性を象徴しているものです。そして、その内発的動機づけが持て得る行動に対して外発的動機づけを行うと、それが低下してしまうことが研究によって明らかになっています。つまり、その行為自体が楽しかったはずが、何かしらの単純な報酬を与えたときに、それが報酬を得るための単なる作業へと変化してしまう可能性があるということです。勉強しない子供に対して、ゲームという報酬を買い与える、というのもその一例です。

もちろん、この外発的動機づけは常に悪い面を持っているわけではなく、むしろ彼らはその重要性について述べています。外発的動機づけにも、より内的かどうかの段階が存在し、そのレベルが高いほどウェルビーイングへとつながるということです。例えば地域のボランティア清掃に参加している人は、その掃除自体を楽しんでいるからではなく、自分が地域に貢献するという動機づけがなされていると考えられ、動機が目の前の行動に対しては外的であるが、そのひと自身が主体性を持って参加しているので、やや内発的と言えます。このように2種類の動機づけは、はっきりと2つに分類されるというより、グラデーションかつ複合的であると言えるでしょう。

この2つを踏まえた上で、それらに対するデザインの領域をまとめていきます。

1.内発的な動機づけ、ユーザーアクティブになれる場、環境のデザイン

趣味や道楽などに関しては、より内発的な動機づけで主体性アクティブな状態になれることが多いです。何かしらのコンテンツに対する好きや情熱が高じて、自ら仲間を見つけたり、自分で製作したり改造したり、販売したりするといったように。
ここで具体例として、サウナ大国フィンランドにある"ソンパサウナ"を少し紹介します。このサウナは、サウナ好きのおじさんが勝手に港の掘り立て小屋にサウナストーブを持ち込んだことから始まった、友人たちが集まるだけのサウナだったのですが、近隣住民を巻き込みながら規模が拡大し、今では管理人がいるわけでもなく、薪の調達からサウナストーブの管理まで、ボランティアによってのみ行われています。一般の人は登録も入場料もなく入れてしまうのですが、サウナ愛好家たちはそのサウナコミュニティに属し、寄付やイベントの企画、運営にまで関わるという、完全なユーザー独立型コミュニティの象徴的な例です。一般的にこうした施設は、運営するオーナーがいて、それを消費するユーザーがいるわけなのですが、ソンパサウナはその構造とは異なっているのです。

こうした分野を対象とし、意図的にデザインを介入させるならば、興味を持たない人をいかに巻き込むか、いかに動機づけるかではなく、情熱やビジョンを持った人々がアクティブになれる場、環境、プラットフォームの構築と整備が主なデザインの領域と言えます。

これは、デザインの民主化の流れによってかなり活発な動きになってきました。デジタルファブリケーションの発展や、さまざまなプラットフォームです。ハンドメイド作品の個人間売買ができるminnneでは、自身で製作したアクセサリーを販売できるプラットフォームが整えられています。そこでは、単なる消費者を超え、自ら製作することや発信することに多くの人が価値を見出しているという感じです。Youtubeも今や市場化が進んでいますが、個人の創造性発揮の場として機能していることは間違いないでしょう。コンテンツに対するそうした熱狂者の活動は、うまくビジネスに取り込まれながら企業と生活者、互いにwin-winの関係を築かれることが多くなってきました。日本でも、スポーツブランドや家電メーカーが、プロダクトの販売と同時に、ブランドコミュニティを形成していくというのは一般的になりつつあります。それぞれの好きなことに対しての熱狂者たちを、よりアクティブに活動できるようにケアできるかというのも、Design for Human Autonomyのひとつと言えるでしょう。

2. より"内的な"外的動機づけ、互酬性に基づいた他者との関係の形成

外的動機づけをより内的に近づけるためには、単純な報酬を用意するのではなく、心理的な欲求のレベルを考慮する必要があります。自己決定理論の中では、“自己決定的”であるためには、自律性はもちろんのこと、誰かの役に立っているという有能感や、他人との繋がり、安心感が重要であると言われています。内的動機づけが自己完結するのに対し、外的動機づけの多くは他者との繋がりの中で構築されるのです。自己決定的であるというと、他者のことは気に留めないような個人至上主義が想像されがちですが、ここでは他者との相互依存関係こそが必要となってくるのです。

例としては、Wikipediaや悩み掲示板やオンラインレビューなど。困っている人を助けてあげたり、自分の持っている知識を他人に共有したり。レコメンドもここに含まれるかなと思います。知人ならまだしも、顔も知らない他人に対して、誰がそんなことするの?と思えるかもしれませんが、こうした経済的価値が存在しないものが成立するのは、その多くが互恵経済に根ざしており、それでお金や報酬が得られるわけでもなければ、その行為自身が楽しいわけでもないが、その行為の先に存在する他者を通して自己を認識することができるからです。そうしたことも自己決定的な主体性を持った行動につながります。

顔の見える他者との依存関係の中で育む主体性

互恵経済のような関係性は、先ほど紹介したような例のように、匿名性を持つインターネット上でも成立することが可能です。しかし、不特定多数、顔の見えない他者への過度な依存は自己決定とは呼べなくなってくる、つまり、より外的な動機づけになってしまいます。

さらに、現在は都市における"個"としての存在が強くなったことで、それらをつなぐ共の意識が薄れてきました。“信頼関係の構築”というトピックが、ユーザー同士が交わるサービスデザインのよくあるテーマ(例えばカーシェアリングなど)であるように、個と個を結ぶ多くの信頼関係に市場原理が介入しています。人間までもがスコア化される信用経済へと変化していくことは、関係の普遍性をもたらし、より多種多様なつながりを生むことを可能にしますが、それはある種の規範、ルールの上に成り立つものです。

しかし、より内的な動機づけを生み出すための、他者との依存関係とは、共同体的な一体感を持った情緒的、非言語的な関係です。そうした市場原理の存在しない場で生まれる価値や信頼、人間関係の構築のためには、互いをよく知れる小さな規模感が前提となり、ローカルな生活のコミュニティが最も最適な手段として位置付けられるのではないでしょうか。単なる経済的価値を超えたローカルな関係性を作りだすことが、人の主体性のためのデザインへとつながるのではないかと考えています。

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ここまで理論を積み上げてきました(崩れている気もします)が、"Design for Human Autonomy" というテーマのもと、自分がどう実践していこうと思っているかについて書きます。前にも少し言ったのですが、「人の能力や技、思考、工夫、知恵が介入する余地を経験するワークショップシリーズ」を開催することから始めていきたいと思っています。それは、その人たちが他人にデザインされていないエクスペリエンスを自身で見出し、感じ取る機会であり、主体性へのマインド変化の第一歩として位置づけたものにしたいと思っています。そうした中で、関係性を築きながら徐々に自分の目標である、市場原理のない場で生まれる価値や信頼、人間関係を実現しつつ、資本主義社会が生み出した“関係の普遍性”をうまく両立する生活のコミュニティの構築へとつなげていきたいと思っています。今までの理論はそのアプローチの軸になるものかなと。これが自分の中での今のところの考えです。

正月にたっぷり時間があったので、長々と書きました。今までの断片が少しずつまとまってきているようで散らかってもいますが、何かしらのアウトプットをせねばということで文章に。まだ具体性もなく、自分の哲学とそれを根拠づけるような理論をつらつらと並べて、結局は自分のエゴを発揮しているまでですが、プロジェクトとして進めていくにあたって、徐々に思考を再構築しながら進めていき、修論につなげたいなとも考えています。何かしらのコメントをいただけると幸いです。


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藤 匠汰朗

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