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不登校先生 (2)

ホームに飛び込もうとした30分前、

一度は食べてみたいと思って、

毎朝まだ開店時間じゃない店の前を自転車で横切っていた

うどん屋さんに、

ふらりと足が向いたのは、

もうすでに、心のどこか片隅に、

”生きてるうちにやり残したことはないかい?”

そうささやいていたからのかもしれない。

「いらっしゃいませ、お客様お一人ですか?」

はつらつとした店員さんは、そう挨拶をかけてくれると、

「こちらへどうぞ。」

という前に、僕の身なりを見て、

「お荷物大丈夫ですか?荷物置きのかごいくつかご用意しますね。」

と、笑顔の中に、ちょっと困惑した気持ちの混ざった、

でも努めて明るく、声をかけてくれた。

「あ、大丈夫です。量はあれだけど、大したものは入っていないので」

力なく笑って、返事を返す僕に、

「かしこまりました。こちらの席へどうぞ」と

店員さんがカウンターに案内してくれた。

金曜の夕方、まだ晩御飯時でもない。

店内には奥のテーブルに一組お客さんがいるだけで、

カウンターには僕一人、

厨房の店主さんも、入店した際の僕の身なり、

店員さんとの話を耳に入れていたのだろう。

あったかいお絞りタオルをカウンター越しにさっと出してくれて、

「お疲れ様です。ご注文決まりましたら直接声かけてくださいね」

と、気を配ってくれているのがわかった。

両肩にはちきれんばかりのパンパンの黄緑と白の作品バックをかけ、

背中には、メタボなお腹と同じくらいに膨らんだ、リュックサック。

疲れた顔で、坊主頭の太った中年のおじさんが、それだけの荷物を抱えて

ふらりと入ってくれば、それはぱっと見て普通の人には見えないだろう。

「店主さん、ごぼう天うどんに、とろろトッピングで」

「はいよ。」

と短いやり取りで注文を伝えて、お冷を飲むと、

肩に食い込んでいた肩紐の痛みが、少しはっきりと意識出来て、

それと同時に、この直前の場面を思い返していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「やっぱり、普通、これ声かけるよね。」

店員さんがかけてくれた言葉を思い出す。

「お荷物大丈夫ですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もう、これはあれだ、アウェーじゃなくてヘイトなんだろうな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰り際の職員室

「お疲れさまでした」

のあいさつに、返事はない。

店員さんが思わず大丈夫ですか?と声をかけてくれた。

その身なりを

視界にとらえていただろうに、何も反応もない。

二階から荷物を持って降りてきた時に、

廊下にいた職員の一人は、僕の姿をとらえるやいなや、

電話を急いで切って、職員室の自分の机に戻っていった。

なるほど、異動してきて一週間の

一年頑張っていこうかと思っている同じ職場になった人間を、

全員で無視か。存在すら、あいさつすら、無視か。

そうか、そうなんだな。

完全に、この異動先に、僕の居場所はないんだな。

・・・・・・

「兄ちゃんお待たせ、ごぼう天にとろろトッピング、卵はおまけだよ」

一見の客に、対象はにっこり笑って卵のおまけをつけてくれた。

よっぽど惨めに、疲れた姿に見えたのだろうか。

だが、うん、まともな人間なら。

自分がカウンターの向こうで今の自分をむかえていたら。

きっと、同じようにするだろうな。

優しさがあったかくて、うどんもあったかくて、

「いただきます。」

合わせた両手に落ちたのは、

あったかいうどんで曇った眼鏡の水滴ではなく

眼鏡の下に溜まっていた、涙の粒だった。

↓次話 





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