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子どもを産んだ瞬間、「この人は、他人だ」と思った

2017年5月、わたしは子どもを産んだ。

ずっと夢見てきたことだったから、それはもう感動と愛に満ちあふれた瞬間になるものと思い込んでいた。

でも、実際はそんな感動は押しよせてこなかった。むしろ、驚いた。


***


わたしは、俗にいう子ども好きだ。街中で見かける人様の子どもも、もれなくみんな愛おしい。

そんな自分が子どもを産んだら、「ああかわいい我が子! 最高の宝物! 大好き! 愛してるー!!」みたいに母性が爆発するんだろう妄想していた。でもその期待は見事に裏切られる。

産まれてきたのは、初めて見る顔をした人間だった。わたしの意思とは関係なく、泣き叫んでいた。

なぜか、そのことにすごく驚いた。


「この人は、他人だ」


面食らったような衝撃だった。

どうやらわたしは、子ども好きをこじらせて、自分の子どもは自分の分身かなにかだと思い込んでいたようだ。

彼女は、わたしの分身じゃないことはもとより、わたしの子どもである以前に、意思をもったひとりの人間だった。

「この人は、わたしの子どもなのか。そうなのか」

10ヶ月おなかの中にいたとはいえ、面と向かうのはこの日がはじめて。へその緒を切ってしまえば物理的な繋がりもなくなる。

産んだ瞬間から親子の愛着やら、家族の絆ができているわけがない。これから築いていかなきゃいけないんだ。

なぜこんな至極当然の事実に、これまで気がつかなかったのだろう。

産んだから母なんじゃない。わたしはこれから母になっていく。この気づきが、わたしなりの、母への第一歩。今はそんなふうに思っている。

「はじめまして。これから家族になろう」

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