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わたしはおっぱいになりたい

「ママが抱っこすると泣き止むのね。かわいいでしょう?」

と、よく言われる。

そんなとき、わたしはたいてい「へへ、そうですね」って答える。だけど、じつのところ内心はざわついてる。


ムスメの人見知りが始まったのは生後3ヶ月ごろ。毎日顔を合わせるパパにさえ泣くようになった。

アメリカの教育心理学者、ハヴィガーストはつぎのことを言っている。

『乳児が離乳、歩行、言語の獲得などの「発達課題」を乗り切るためには、探索行動に出るための「安全基地」となる母親とのアタッチメントが必要条件である』

アタッチメントとは、「愛着(情緒的な深い結びつき)」のこと。赤ちゃんは、自分のアクションに対してタイミングよく適切に反応してくれる人間にアタッチメントを形成する。

ムスメは安全基地を確立させるべく、せっせせっせとわたしとコミュニケーションを取ろうとしている。そのために他者をよせつけたがらない。そんなふうに感じる。


なのだけれど。

安全基地になるべきわたしでも、泣き止まないときがある。


眠いわけでもお腹がすいてるわけでもない。抱っこしていても泣き続ける。

「どうしたの? 大丈夫だよ。ほら、お母さんが抱っこしてるよ」

ムスメの顔を覗きこみながら声をかけるが、彼女の耳には届かない。わたしの顔を見ようともしない。

「だめかー」

そんなとき、わたしはある種の敗北感を味わいながら、最終兵器を差し出す。

そう、おっぱい。

ムスメは横抱きにされるやいなや、「待ってました!」と言わんばかりに胸元に手を突き出す。そして服がめくられたその瞬間におっぱいにかぶりつく。

このときムスメが泣き止む確率、100%。

おっぱいを数回むしゃむしゃするだけでニッコリするんだから、やっぱりお腹がすいていたわけじゃない。おっぱいをくわえたかっただけ。

夜泣きのときなんて、抱き上げたりあやしたりすると、もっと激しく泣き叫んでしまう。だって彼女が求めているのはわたしじゃなくて、おっぱいなんだから。

一心不乱におっぱいにかぶりつく我が子の愛らしい姿をみていると、愛らしさのあまり、わたしの嫉妬心がさわぎ出す。

なぜ、おっぱいなの。なぜ、わたしじゃだめなの。


いまのムスメとって、一番の安全基地は母親じゃなくて、おっぱいだ。

「ママが抱っこすれば泣き止むのね」じゃなくて、「(おっぱい付きの)ママが抱っこすれば(おっぱいがもらえるという安心感から)泣き止むのね」なのだ。

おっぱいとわたしが隣り合って「こっちおいでー」と声を掛けたら、ムスメは迷うことなくおっぱいに向かってハイハイするだろう。


わたしはおっぱいに勝てない。

まだ、勝ててない。

悔しい。

おっぱいが羨ましい。

おっぱいになりたい。

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