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産声をあげられなかった、わが子へ

2019年7月13日12時23分、男の子を出産した。

その日は妊娠20週6日目。正産期からほど遠いあの日、わたしのお腹から出てきたのは、たった390gの小さな赤ちゃんだった。死産だった。

***

前日19時ごろ、わたしはお腹にうっすらと鈍痛を感じていた。その後ごく少量の出血もあったのだが、「今日はちょっと疲れたのかな」そんなふうに思っただけだった。

しかしその夜眠りについても、お腹に違和感があった。夢うつつの状態で「胎動かな。お腹の向きが悪いかな」そんなことを思いながら寝返りを打ったことを覚えている。

翌朝8時を過ぎたころ、ズン、とはっきりと腹痛を感じた。痛みには波があり、一定の間隔で襲ってくる。

「前駆陣痛みたいだ」

愚かなわたしは、ここでようやく身体の異常に気がついた。

夫に車を出してもらい、病院に着いたのは9時ごろ。そのころには痛みが強まっていて、歩くのもおぼつかない状態だった。

案内された内診室には、優しそうな女性の医師がいた。すぐにエコー診察が始まり、その様子を見た医師は開口一番こう言った。

「赤ちゃんは元気ですね」

ああ、よかった。大丈夫だ。安心したのも束の間、医師は説明を続けた。

「羊水が少ないね。赤ちゃんは子宮にとどまってるけど、胎胞(たいほう)が下がっていて膣内に入り込んでます。これはかなり厳しいと思います」

待合室にいた夫が呼ばれ、内診室に入ってきた。夫婦が揃うと、医師はこう告げた。

「今、お産が進んでいる状態です。22週に入っていれば赤ちゃんを蘇生できる可能性もあるけど、あなたはまだ20週。どうすることもできない。ただ、できることはしましょう」

タイホウって何? 厳しいってどういう意味? この痛みは陣痛ってこと? これから何をどうするの?

突然の告知に理解が追いつかない。視界がぐっと狭くなり、目がぐわんぐわんと回った。

わたしはストレッチャーに乗せられ、病棟へ移動した。助産師さんと看護師さん数名が、慌てた様子で点滴の準備を始める。子宮の収縮を抑える点滴だと言う。お産の進行を止めるためのものだ。

点滴を始めてしばらくすると、陣痛が少し和らいだようだった。いや、そう願うあまり、痛みを感じないふりをしていただけかもしれない。

わけもわからず、ただ陣痛に耐えているわたしに、助産師さんが諭してくれた。

「内診のときね、子宮口がもう5、6センチ空いてたんです。陣痛は赤ちゃんがスイッチを押すからね。こればっかりは、もうどうしようもないの」

一度は和らいだと思ったはずの痛みは、いつの間にやら激しくなっていた。「痛い!」と叫ぶわたしに、助産師さんは「痛いよね。そうだよね」と優しく声をかけてくれた。夫はわたしの腰を両手で押し続けてくれた。

痛みは下腹部から腰、お尻と徐々に下がっていく。いきみたくなる感覚も襲ってくる。

産んじゃだめだ。今じゃない。早すぎる。まだだ。戻って。戻って。戻って。戻って。戻って……。ベットの脇にある取っ手を握り、その手に力を込めた。いきまないように、ただそれだけを意識した。

でも、一度出産した経験があるから、お腹の中でなにが起きてるのか、なんとなくわかっていた。

もう無理だ。手遅れなんだ。

だって、お産は着実に進んでる。

***

点滴を始めてから2時間がたったころ、再び医師の内診があった。

「赤ちゃんの身体が膣内に入っています。頭だけが子宮に残ってる状態。点滴はしてみましたが……できることはやってみましたが……もう外しましょう。いいですか」

わたしと夫は、重なるように答えた。

「はい、わかりました」

点滴を外した途端、あれよあれよと状況が進んだ。陣痛が急激に強まり、身体が勝手にいきむのを感じた。

ほんの数回いきんだだろうか。わたしのお腹から、あっという間に、いとも簡単に、小さすぎる赤ちゃんが出てきた。

「お産の間に心肺が停止しました。死産です」

赤ちゃんは身長25cm、体重390g。

両手にすっぽりおさまるサイズの男の子だった。

小さくて、かよわくて、皮膚は半透明だった。死産と言われたけれど、赤ちゃんの心臓は、トク、トク、とかすかに動いていた。口をぱくっと開くこともあった。ときおりビクッと身体を強張らせることもあった。身体からは羊水の海水みたいな匂いがした。

両手には指が5本ずつあって、その一つひとつに胡麻より小さな爪がついていた。髪の毛はなかったけど、立派な眉毛が生えていた。しゅっとした輪郭に大きな鼻。夫にそっくりな顔立ちだった。

とても可愛らしく、凛々しかった。

赤ちゃんの手を取ってみた。力の入ってない、ふにゃふにゃの、細くて小さい指が、わたしの人差し指にくたっと絡みついた。

こんなに可愛いのに、こんなに愛しいのに、どうしてこの子を守れなかったんだろう。

鈍痛を感じた瞬間にすぐ病院に行くべきだった。
身体がだるいと感じたあの日、仕事を早退すればよかった。
早くビールが飲みたいだなんて言うんじゃなかった。
車で長時間出かけるなんて、なんてバカなことをしたんだろう。

赤ちゃんよりも自分を優先した日々を思い返し、悔いるべき行いの多さに途方に暮れてしまう。

わたしはなんて不出来な母親なんだろう。いや、子どもを守ることができなかったわたしは親ですらない。

情けなくって、悔しくって、涙が止まらなかった。でも泣きたいのはきっと赤ちゃんのほうだ。苦しんだ上に、産声をあげることさえできなかった。それなのに、わたしが泣いている。でも泣くことしかできない。

人の命がこんなにも儚いとは知らなかった。妊娠してから浮かれっぱなしで、赤ちゃんは無事に生まれるものだと思い込んでいて、こんな絶望が待っているとは微塵も思っていなかった。

***

翌日、赤ちゃんを連れて自宅へ戻った。その道中、夫がわたしにこう言った。

「妊娠してからの5ヵ月間、幸せだったよね。赤ちゃんに、ありがとう、だね」

そうか。この絶望が現実であると同時に、赤ちゃんと過ごした日々の幸せや喜びもまた、まぎれもない現実だ。

3月19日に妊娠が発覚してから、赤ちゃんはたしかにわたしのお腹の中で生きていた。早い時期から胎動を感じるほど、元気に動き回っていた。

胎動を感じるたびにわたしは幸せを噛みしめていた。そのことを報告すると、夫も嬉しそうに微笑んでいた。

赤ちゃんと生きた5ヵ月は、わたしたち家族にとってかけがえのない時間だった。この日々に意味づけをしていくことが、わたしにできる供養のあり方かもしれない。

***

7月15日、火葬場を訪れた。わたしと夫、2歳の長女、そして祖父母に囲まれて、赤ちゃんは多くの愛を注がれながら旅立った。

守ってあげられなくてごめん。

幸せな日々をありがとう。

大好きだよ。

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