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『泉御櫛怪奇譚』第四話

第四話『約束の櫛 恋の行方』
原案:解通易堂
著:紫煙

◆第五章◆
 一つの櫛を巡った、柚子の長くて短い旅が終わろうとしていた。
 配達トラックの助手席で揺られながら、タクシーで来た道を戻っていく。
(ここの道のりもあと一往復くらいで終わっちゃうのか。そう思うと、なんか寂しい気がする)
 柚子が風景写真を何枚か撮影していると、スマホが充電を促してきた。お知らせ欄の表示を慌ててスワイプして、節電の為に電源を切る。
「……」
「……」
 途端にやることが無くなった柚子に向かって、運転手は一度見ただけで特別何か話題をふることもしない。今日、初対面からずっとこの距離感を保ち続けることが使命であるかのように、沈黙を続けている。
「……あの」
 沈黙を破ったのは、柚子の方だった。
「あの、大和さんは、泉さんのお友達なんですよね?」
「違う」
 即答した大和は、小さく舌打ちしてから、言葉を選ぶように喋り続ける。
「……あー……友達ではない。が……赤の他人でもない……」
「……?」
「配達してたら顔なじみになった。それだけだ」
「そう……なんですね?」
(話、切られちゃうかと思ったけど、ちゃんと返してくれた……これは、話し続けても良い、のかな?)
 想像していたよりも丁寧で不器用な返事を聞いて、柚子はホッとため息を吐く。ポケットから櫛を取り出して、手慰みに触りながら会話を続けた。
「あの……この櫛……さっきのおじいちゃんのお姉さんの物だったんです。ひいおばあちゃんとは親友だったみたいで……でも、そんな話、叔母さんもお母さんも聞いたことが無かったんです……」
(でも、あの時は『本郷秀一さん』について話をしていたから……もしかしたら、秀子さんのことは、叔母さんくらいには話していたかもしれないな)
 言葉を紡ぎながら思考も回転させて、これまでの情報を整理する。大和は相槌を打つでもなく、ただ真っ直ぐに道路を見ながら柚子の声に耳を傾けていた。
「ひいおばあちゃんは、一度しか会ったことが無い私に手紙を書いてくれるくらい、筆まめな人なんです。そんなひいおばあちゃんが、こんなに櫛を大事にするくらい想っていた秀子さんに、手紙を書かないなんてこと、絶対に無いと思うんですけど……本郷のおじいさんも、手紙が来ないのを不思議がっていたみたいで……う~ん」
「……」
 思考が煮詰まってしまった柚子に向かって、大和の独り言の様な返事が返って来る。
「……手紙ってのぁ、メールや個人メッセージと同じもんだろ。貰ったからって誰かに見せるわけでもなし、誰かの封筒を見つけちまっても、見なかったフリすんのが、手紙ってぇもんじゃねえのかい」
「……!」
(大和さんがいっぱい喋った! でも、そうか……私だって、ひいおばあちゃんの手紙の内容をお母さんや叔母さんに話したりはしなかったし、逆に、人の手紙の内容がなんだったかなんて、無意識に気にしないようにしていたかも……!)
 柚子はパッと顔を輝かせると、今度はブツブツと情報を整理しながら櫛と睨めっこをしている。
「でも、手紙のやり取りをしていたら、お葬式の時にお知らせしないかな? あれ……秀子さんの訃報を、ひいおばあちゃんは知っていたのかな? でも、そしたら自分でこの櫛を返しているはずだよね? う~ん……」
 柚子が考え込んでいるうちに、トラックは叔母さんの家を通り越して、山際にポツンと建った一軒家に辿り着いた。柚子がトラックを降りて山を見上げると、山の上の方に蘭塔場が見える。
(あそこに、秀子さんが眠っているお墓があるのか……あと少しだ……)
 高鳴る胸を押さえて一軒家のインターホンを鳴らすと、直ぐに母親と同じ年くらいのおばさんが扉を開けてきた。
「わあ! あなたがとみさん家の柚子ちゃんね。本郷のおばちゃんから話は聞いてるわ」
「は、初めまして。お邪魔します……」
 にこやかなおばさんが案内してくれたのは、仏壇まで見通せる広い客間だった。仏壇には柚子が先程見せてもらった若い頃の秀子と、彼女の旦那さんの写真が飾られている。
「あの、お線香をあげても良いですか?」
「ええもう、どうぞ、どうぞ! あげてやってちょうだい!」
 おばさんが台所に向かっている間、仏壇の前にちょこんと座って手を合わせる。
(このお線香、うちのと違う香りがする……)
 こっそりと仏壇の引き出しを開けて、線香の箱を確認すると、白檀の他に、薔薇や桜など、花の香りがする線香が多く見受けられた。
(お花が好きな人だったのかな? 櫛にも椿の花があるし……勝手にクールビューティな人だと思っていたけど、可愛い一面があったのかも)
 そっと引き出しを元に戻して、もう一度深く線香の香りを吸い込む。すると、おばさんが冷たい麦茶とチョコレートを用意して戻ってきた。
「さあさあ、本郷さん家から長旅で疲れたでしょう? ゆっくりしてって」
「いえ……あの、こちらこそ、夕方にお邪魔してしまってすみません」
「良いのよぉ。おばあちゃんを訪ねて来てくれる人なんて滅多に居ないから、ホントに嬉しいの! しかもとみさんの曾孫さんからなんて! 凄いドラマチックじゃない?」
「ドラマ……? はぁ……」
 今まで能動的に情報を集めていた柚子が、初めて口ごもってしまった。おばさんは少し興奮気味に、秀子が亡くなる前の話をしてくれた。
「おばあちゃんはね、誤解されやすい人だったけど、とても情に厚くて、優しいおばあちゃんだったのよ。孫の私とか、息子嫁のお母さんには、誕生日にお花を贈ってくれたり、足腰がしっかりしていた頃は、良くご飯に連れて行ってもらったりしたの」
「そうなんですか? 本郷のおじいさんからは、気丈夫で人見知りだったって聞きました」
「あ~。人見知りはあったかも知れないわ。私が結婚する時、今の夫が挨拶に来たんだけど、おばあちゃん、ツンとしたまま顔を見ようともしなかったもの」
 おばさんはそう言うと、仏壇の隣にある押し入れから、厚いアルバムを何冊も取り出して、柚子に向かって広げる。老後の秀子は、カメラに向かって笑いこそしていなかったが、たまに隠し撮りされたであろう写真の端々で、温和に笑っている様子が見て取れた。
「あの……ひいおばあちゃ……とみさんのことを知っていたんですか?」
「勿論! おばあちゃん、とみさんからのお手紙をずーっと大事にしていてね……」
「手紙!? 手紙があったんですか?」
 唐突に出てきたキーワードに、柚子は今日一番の大声を出した。おばさんは声にびっくりするも、隣の押し入れを開けて、こじんまりとした遺品とは比べ物にならないくらい大きな風呂敷包みを取り出した。
「これ全部、とみさんから送られてきた手紙よ」
「ええ!?」
 秀子の遺品だと言われた風呂敷包みには、溢れるほどの手紙が保存されていた。麻紐で消印順にまとめられ、古い手紙は風化しないように、防虫剤と乾燥剤の入った匂い袋でまとめられていた。
「凄い……! これを出し続けたひいおばあちゃんもそうだけど、きちんとまとめてある秀子さんもまめな人だったんだ……」
「そうねぇ。手足が不自由になって、介護施設に入るまでは、お皿の位置まで決めて、きちんと整理整頓するひとだったわ」
「あの……ごめんなさい。ひいおばあちゃんは、秀子さんのお手紙を保存していなくて、その……見つけられなくて、遺品から……えっと……」
 柚子がどう謝罪しようか悩んでいると、おばさんはカラッと笑った。
「あはは。見付からなくて当然よ。だって、おばあちゃんからは一通も返していないんですもの」
「えっ!? これ、文通じゃなくて、ひいおばあちゃんからの一方的な手紙なんですか?」
「そうなのよ! おばあちゃん、私や母さんがいっくら言っても筆を取ろうとしなかったのよねぇ。スマホを渡しても『向こうの連絡先知らない』って突っぱねるばかりで。そういう所、頑固な人だったわ」
「ええ……なんか、私じゃ考えられない……です」
(手紙とメッセージじゃ訳が違うのかも知れないけど、友達から既読が付かなかったら不安になるし、その子からなんの返事も来なかったら、送るのも止めちゃう……ひいおばあちゃんって、本当に筆まめだったんだ)
とても綺麗な字で宛名が書かれた最後の手紙には、丁度三年前の消印が押されていた。
(あ……ひいおばあちゃん、秀子さんの訃報は聞いていたんだ……そしたら、常世の国だっけ……向こうで、会えたかも知れないね)
 柚子がほっと息を吐きながらに封筒を撫でていると、おばさんはもう一袋分の風呂敷を押し入れから取り出して、柚子の前に差し出した。
「お父さんが帰ってきたら、車でお墓まで送るわ。それまで、ゆっくりしてってちょうだい」
「あの、お手紙って読んでも大丈夫なんですか?」
「ええ。私たちはほら、身内だから、あんまり読む気にならなかったけど、櫛一つでここまで来てくれたゆずちゃんだったら、きっとおばあちゃんも許してくれると思うのよね」
 おばさんはそう言い残して「夕飯の準備があるから」と、台所の方に行ってしまった。コップの中で、溶けた氷がカランと音を立てる。飲みかけの麦茶を一口含んだ柚子は、早速一番古い消印の束から紐を解いた。少し力を加えるだけで、麻紐が崩れてしまう。
(こんなに紐が古いってことは、この頃の手紙は秀子さんしか読んでないのかな? うう……他人に宛てられた手紙を勝手に読むのはいけない気がするけど……でも、櫛のことについて何か書かれているかもしれないって考えたら、やっぱり読みたい)
 柚子は覚悟を決めると、一番古い封筒の中から、茶色く変色した手紙を取り出した。そこには、曾祖母が秀子に語った思い出がたくさん綴られていた。
(嫁ぎ先が秀子さん家の近くで喜んでる……こっちの手紙には、既婚者同士でお茶でもいかがですか? ってお誘いまで……って、これ全部無視されたってことだよね!? 私だったら心折れてるよ)
次々と手紙を開くと、曾祖母は何かを察したのか、近況報告の話が多くなっていった。一人目の出産の話や、家族で行った旅行の話。最近の手紙には、初めて会った曾孫の柚子のことまで書かれていた。
(もしかして、秀子さん私やお母さんのこと、おばさん達には話していたのかも……じゃなきゃ、電話一本で承諾してくれたりしないよね。それにしても、ひいおばあちゃんのお手紙、どれも楽しくて、幸せなんだって気持ちが伝わって来る。メールやSNSと違って、手書きだからかな?)
 改めて、曾祖母の優しい性格を受け取り感嘆する。しかし、秀子の頑なに返信しない理由を考えていくと、徐々に確信めいてくる感情に、柚子は全身の肌が泡立った。
(もしかして……私が最初に感じた、秀一さんだと思っていた時の初恋の気持ちは本当だったのかも? じゃなきゃ、こんなに幸せそうな手紙を受け取って、返事したくない理由が思いつかない)
 手紙の日付がバラバラにならないように、丁寧に手紙を見ていた柚子は、秀子の宛名が書かれていない無地の封筒を見つけてしまった。
「……っ! これ、もしかして……」
 心臓がキュッと緊張する。震える指で封筒の中を確かめると、誰の筆跡でもない一通の手紙が挟まれていた。
「と……『とみちゃんへ』だ……!」
 手紙を握る手に力がこもる。柚子は一度だけゆっくりと深呼吸すると、改めて、少し癖のある文字に目を走らせた。
 縦書きの便箋に、たった数行だけ書かれた、秀子の本当の気持ち。
 櫛に込められた想いを知ってしまった柚子は、堪え切れず涙を溢しながら、何度も何度も読み返した。
「ぐず……なんで……私の気持ちじゃないのに……こんな、こんなにっ……うえぇ……!」
 なんの感情の涙なのか、柚子は自分自身でも分からなかった。
しかし、曾祖母のたくさんの手紙よりも重い秀子の一通に、耐え切れずそのまま床に両手をついてしまう。
「うう……うえぇ……なんで手紙ってこんなに感情が伝わってくるの……うぐぅっ」
 涙が手紙に落ちないように、半そでを交互に使って涙を拭く。柚子の嗚咽は廊下に響いていたらしく、台所の方からおばさんの心配する声が聞こえてきた。
「ゆずちゃん? 大丈夫?」
「ズッ……! だ、大丈夫です。ひいおばあちゃんの手紙に、感動しちゃって」
「ちょっと待ってね、タオル持ってくるから」
 バタバタと奥の方で音がする間に、柚子は慌てて手紙を元の封筒に仕舞い込んで、たくさんの封筒の中に挟んで隠した。
(これは、誰にも見せちゃいけない気がする。私が見るのも、本当はダメだったはずだから)
 しかし、手紙を元に戻しても、溢れてくる涙と鼻水を止めることが出来ない。慌てて両手で顔を覆っていると、おばさんが温かいお湯で絞ったタオルを持ってきてくれた。
「あらあら、とみおばあちゃんに会いたくなっちゃったの?」
「いえ……ただ、もっとたくさん、生きている頃のひいおばあちゃんと話したかった……秀子さんのことも、早く知りたかった……うえぇ」
「ゆずちゃんは良い子ね。よしよし」
 おばさんはそう言うと、柚子が落ち着くまでずっと背中を撫でてくれた。おばさんの優しさに、また涙が止まらなくなる。
(なんだ……私って、ちゃんと泣けたんだ……こんなに訳分かんない感情でぐちゃぐちゃになったの、多分保育園とか小学校以来だろうな……)


 夕日が山に差し掛かる頃、中村のおじさんが仕事から帰ってきた。既に状況を知らせてあったらしく、目を赤くした柚子を歓迎してくれた。
「あの……この近くに花屋さんはありませんか? お墓参りのお花を買いたくて……」
 控えめに柚子が頼むと、中村夫婦は快く蘭塔場の近くの花屋に立ち寄ってくれる。既に底を突きそうな金額で選んだのは、小ぶりの花が沢山咲いた紫色の花だった。
(うう……今の私の所持金では、この花が限界だった……もし叶うなら、来年はちゃんとした花束を用意しよう)
 全く知らない場所の、柚子にとっては全く縁のないお墓の筈なのに、不思議と次に会うことを考えてしまう。スマホの電源を入れて、一枚だけ写真を撮ると「若いね~」と、おじさんが笑っていた。
中村家のお墓は、柚子の叔母夫婦の家まで見えそうな程、景色の良い場所に建墓していた。
「あの……中村さん達は、お盆でお参り済んでるんですよね……私、後は一人でやりますので、もう暗くなりますし、車で待ってていただけますか?」
「気を遣わなくても良いのに、ありがとうね」
「ゆっくり、ばあさんと話してくるんだよ」
「ありがとうございます」
 中村夫婦を車に待たせて、スマホで作法を学びながら、ぎこちなくお墓掃除を済ませる。既に豪華な献花で飾られた二つの花瓶に細い花を差し込むと、柚子が想像していたよりも粗末にはならなかった。
(お盆のお墓掃除、櫛の事で頭がいっぱいで、お父さんお母さんに任せっきりだったな。そうじゃなくても、こんなにしっかり掃除したことなかった……ひいおばあちゃんのお墓、来年は私が掃除しなきゃ……!)
 夕方とは言え、柚子が線香を用意する頃には汗で髪が顔にくっついてしまう程に暑い。来るときに借りたタオルで汗を拭き、ゆっくりと深呼吸をして手を合わせた。
「秀子おばあちゃん。初めまして。東雲 柚子と言います……」
 誰も聞いていないことを確認して、小さな声でお墓に話しかける。
「ひいおばあちゃんが大事にしていた櫛、秀子おばあちゃんにお返ししに来ました。後、ひいおばあちゃんの手紙を見ている時に、秀子おばあちゃんの手紙を読んじゃいました。ごめんなさい……」
 汗で濡れた肌を、心地よい風が撫でる。柚子はようやく合わせていた手を解くと、ポケットから曾祖母の形見をお墓に差し出した。
「秀子おばあちゃんの気持ちは、もしかしたら最期まで分からなかったかも知れないけど、ひいおばあちゃんにとって、秀子おばあちゃんはすっごく大切な人だったよ」
 ハンカチとビニールに包まれた櫛を墓前に置いて、再び花瓶に目を移す。財布に残っていたお金を全部使って自分で買った花は、他の人が見たらたくさんある花の一本でも、柚子にとっては立派な献花だ。
「その花、アガパンサスっていうお花なんです。お花屋さんが教えてくれました。花言葉は『ラブレター』……お墓には似合わない花かもしれないですけど、秀子さん、あの手紙を持っていかなかったから……このお花を代わりに、ひいおばあちゃんに渡してあげてください」
 これで、柚子のやりたかったことが全て終わった。一歩下がってお墓を見つめると、自然と視界が潤んでいく。
(ううう……さっき全部絞り出したと思ったのに、また涙が……この景色、どうしても残したいな……一枚だけなら、良いかな? ダメだったら、直ぐに削除しよう)
 タオルで涙を拭いた柚子は、無礼を承知の上で、お墓の写真を一枚だけ撮らせてもらった。
「……あ」
 シャッターを切った刹那、スマホの充電が切れてしまい、画面が真っ黒になる。
「どうしよう……撮れた確認も出来てない……」
 柚子は慌ててスマホをポケットに仕舞うと、お供えした櫛を持って石段を駆け下りた。駐車場まで駆け足で行くと、中村夫妻は車の外で待っていてくれた。
「終わりました。えっと……」
「あらあら、おばあちゃんのお墓参り、ありがとうね」
「とんでもない! 私の方が、たくさん、お礼をしてもしきれないくらいお世話になりました」
 ペコペコと何度も頭を下げる柚子を見て、中村夫婦は優しく笑った。
「ばあさん、こんなに可愛い子がお墓参りに来たって、きっと喜んでいるよ」
「そうだと……良いですね。あ、あの、実はお墓の写真を撮ってしまいました。ごめんなさい。電源も切れちゃったので、確認して削除することも出来なくて……」
「写真!? あらあら、謝らなくて良いわよ。ゆずちゃんがカメラマンだったら、ご先祖様もピースして写ってるかもしれないわ」
「それは……結構ホラーなので嫌です……」
「あっははは。母さん、ゆずさんを困らせちゃ、ばあさんに怒られるぞ」
(……良かった。お墓の写真、怒られなかった……)
 ホッと息を吐いた柚子は、最後にビニールに包まれた櫛を取り出して、おばさんに差し出した。
「あの、これ、お仏壇にお供えしといてください。お墓だと、雨で濡れちゃうので……」
「ええ。ちゃんとおばあちゃんの写真の隣に置いとくわね」
 蘭塔場を後にする際、柚子は車の窓を開けて、お墓がある方に向かって大きく手を振った。


 中村家を後にした柚子は、三度、配達トラックに揺られて解通易堂へ向かっていた。夕日はとっくに沈み、街灯と家の光だけの道が、冒険の終わりを彷彿とさせている。
「……おら、使いな」
 信号が赤に変わったのを確認した大和が、車で充電が出来る電源コードを引っ張り出してきた。
「え? あ、ありがとうございます!」
 柚子は素直にコードを受け取って、端子を確認しながらスマホに差し込む。
「ありがとうございます。充電切れてて、家に連絡出来ないなって思っていたので、良かったです」
「……おう」
 大和は柚子の柔らかくなった表情を一瞥した後、居心地が悪そうに信号を睨みつけるばかりだった。
 夜の解通易堂に到着すると、泉が温かい笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ……成果は、得られましたか……?」
「はい! えっと、ちゃんと櫛を返すことが出来ました!」
 柚子が手短に経緯を説明すると、泉は嬉しそうに目を細める。
「おめでとうございます……柚子様のお手伝いが出来て、私も、和寿も光栄です」
「あ、運転手さん。大和和寿さんって言うんですね」
 改めて感謝しようと振り返ると、配達トラックは既に姿を消してしまっていた。
(あ……ちゃんとお礼、伝えたかったのにな。移動とか、充電のとか)
 大きくて、どこか安心するように頭をポンとしてくれた手を思い出し、重ねて感謝を伝えるようにと頭を下げる。泉は快く受けると、柚子に一つの櫛を差し出した。そこには小ぶりの可憐な花が描かれており、櫛の端に片足だけ白い黒猫が焼き付けられている。
「本郷様へ……お返しになられたのなら、柚子様の御髪を梳かす櫛が……無くなってしまいましょう? どうか……こちらをご利用ください」
「えっ⁉ 受け取れません。実はもう、お金が……えっと、持ち合わせが無くて……」
 柚子が慌ててポケットから財布を取り出すと、泉は笑顔を変えずに彼女の財布を片手で遮った。
「では……再び当店に、お越しいただけました際に……ご納金ください」
「でも……お母さんになんて言えば……」
「ご家族の方には……こちらのメッセージカードと『櫛の店からの贈呈品』と……お伝えください」
「うう……」
 泉の表情は笑顔のままだが、どう断っても譲らない『圧』を感じた柚子は、渋々財布と新しい櫛を鞄に戻して、ミスタと共に解通易堂を後にした。
 帰りのタクシーでは、遂に柚子の緊張が解けてしまい、叔母夫婦の家に着くまで爆睡してしまった。


 柚子の夏休みは、こうして静かに幕を下ろした。
 空には、雲一つない晴れ間が広がっている。柚子は鼻歌を歌いながら制服に袖を通すと、まだ新しい櫛で髪をひとまとめにして部屋を出た。
 始業式が始まる前の教室に向かう途中で、友人たちから様々なプレゼントを受け取る。
「凄い……エコバック持ってくれば良かった……」
 学生鞄に無理矢理押し込んで、ようやく自分の席に座る。何人かの生徒が曾祖母の訃報について話してきたが、柚子はやんわりと断ってスマホを取り出した。興味の対象から外れるのは、夏休み前から変わっていないようで、直ぐに教室の中で一人の時間を得ることに成功する。
 スマホをノチノチと操作して、何度も見返したはずの夏休みの写真を開いた。
「……っふふ」
(これは、飲み物を買った駄菓子屋さん。これが、櫛屋の店員さんと、ミスタ……これは、タクシーの運転手さんと、ミスタ……っふふ、こうやって見ると、ミスタは店員さんといる時の方が楽しそうな顔に見える。それで、これは……)
 撮影日順に画像を眺めて、ある風景の写真でスワイプしていた指が止まる。
(撮った時は、綺麗に映ってるか確認しなかったからな……それにしても、なんで解通易堂の写真だけ、こんなにピンボケしてるんだろう?)
 小さな後悔に溜息を吐き、気を取り直して鞄の脇ポケットに手を突っ込む。
 ふわりと香る櫛の匂いが、ピンボケした櫛屋の存在を確かな記憶にしてくれた。柚子は頬を緩ませながら櫛の香りを吸い込むと、櫛の柄がよく映るように一枚、写真を撮った。
「ねえねえ、それ誕生日プレゼント? 写真撮るほど嬉しかったの?」
 別の友人の一人が、プレゼント用に包装された箱を振りながら話しかけてきた。柚子が一番仲が良いと思っていた友人だ。
「あ~……これはプレゼントじゃないよ」
「そうなの? じゃあ、なんの櫛?」
 プレゼントを渡しながら更に問いかける友人に、柚子は少し考える素振りをして、
「ん~……多分、一生大切にする櫛」
 と、恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに、笑ってみせた。


――とみちゃんへ
 拝啓、麗春の候
 私は、アナタの様に手紙は上手くないの。だからこのお手紙も、きっと、アナタには届かないわ。
アノ櫛は、まだ持っているかしら? とみちゃんを愛しく想う私のココロは、いつまでも枯れない櫛の中のお花みたいに生き続けているのよ。
だからねとみちゃん。私よりうんと幸せになって、私より少しだけ長く生きてね。私がアノ世へ行く様を、アナタには見せたくないんだもの。
敬具 本郷 秀子――

【完】










――時がくるくると遡る。柚子が産まれるよりもうんと昔のこと。
16歳になった樺澤とみは、同年代の少女の中でも一番可愛く、髪は誰よりも美しかった。毎日古い櫛で手入れをしていて、頭の高い位置でひとまとめに結ぶと、歩くたびに髪が左右に揺れて、それはそれはたくさんの人の目に留まった。誰がとみの旦那になるかで、度々井戸端会議の話題になるくらい、誰からも人気があったのだ。
ある日、とみのはす向かいの家に住む本郷秀子が、彼女に町内の噂になっていることを告げ口すると、彼女は困ったような照れ笑いを浮かべて両手で口元を隠した。
「なんだか、恥ずかしいわ……わたしよりも、秀子さんの方が、お花もお料理もお上手なのにね」
「……アタシは、とみが美味しいって食べてくれた物しか作っていないだけ。花道だって、とみが書道を習うって言うから、同じ教室に通いたくて始めたんだ」
 秀子はとみよりひとつ年上で、顔立ちは整っているのだが、如何せん言葉に棘があり、誰かから「秀子が男だったら良かったのに」と言われるくらい男勝りだった。
「ふふふ。秀子さんは、本当にわたしに良くしてくださって、まるでお姉様みたいね」
「……本当に、姉妹だったら、どんなに良かったか」
ころころと笑うとみに向かって、秀子は複雑な表情を浮かべた……――


――おっと……この物語はまた、日を改めてお話しすることにいたしましょう……。
これは、紡がれていった時代の……とある少女の恋物語――

※最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
外伝『約束の櫛 恋の行方』公開予定です!お楽しみに!

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