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『泉御櫛怪奇譚』第四話

第四話『約束の櫛 恋の行方』
原案:解通易堂
著:紫煙

◆第二章◆
 仮通夜、本通夜こそ慌ただしかった曾祖母の葬儀だったが、以降は順調すぎる程、何事もなく過ぎていった。葬式が終わってからも人の足は途絶えることなく、老若男女問わず曾祖母の仏壇に手を合わせに来る。毎朝仏間を綺麗にする手伝いと、訪問してくる人々のお茶出しの手伝いが柚子の役目になっているため、手伝いに乗じて気の良さそうな人から順に声をかけ、常にポケットに入れてある櫛について質問していた。
「あの……この櫛について、何か知っていますか? ひいおばあちゃんの形見なんですけど……」
 しかし、誰に聞いても反応は同じ。櫛の持ち主どころか、存在すら誰も知らないのだ。肩を落とす柚子だったが、代わりに曾祖母自身の話はたくさん聞くことが出来た。
 曾祖母は、この町が一等地と呼ばれていた時代に樺澤家に嫁いできたらしい。気立てが良く、品のある女性で、曾祖母とすれ違った誰もが一度は振り返って見とれていたという。曾祖母は結婚してから定年まで、近くにある中学校で書道部の先生を務めていた。和服が良く似合い、黒髪が真っ白に変わっても、ころころと笑う表情がとても可愛らしい先生だったらしい。町中で「樺澤の旦那は羨ましい」と話題が絶えなかったと教えてくれたのは、彼女が勤めていた学校の校長先生だ。
 柚子の祖父母が無くなった時は涙を溢しながらも立派に喪主を務め、その様子は柚子の記憶と同様に印象に残っている人が多かった。
 それ以外にも、柚子にとって意外なリアクションが一つあった。曾祖母を昔から知る人が皆、揃って柚子の姿を見るや、
「あいやぁ……こっちに来た時の樺澤さんにそっくりだなぁ」
「柚子ちゃんは、本当にとみさんに良く似てるわねぇ」
 と、口裏合わせをしたのではないかと疑う程言ってくるのだ。母親と叔母に聞いてみると、その夜、叔母が押し入れから丁寧に保管されたアルバムを取り出してきた。
 柚子は狭いちゃぶ台に積み重なったアルバムに威圧されながらも、母親の横に正座する。
「お父さん……柚子のおじいちゃんは、確かにおばあちゃん似だったけど、私たち姉妹はあんまり言われなかったわよね?」
「姉さんはお母さんに瓜二つだったじゃない。私はお父さんに似ていたから、結構、おばあちゃん似だって言われたのよ」
(ひいおばあちゃんのことを話すとき、お母さんも叔母さんも子どもみたいになってる……いくつになっても、お母さん達にとってひいおばあちゃんは、大好きなおばあちゃんだったんだ)
 二人に向かって得意げに胸を張る叔母が、柚子の目にはとても可愛らしい少女のように映る。その横で黙々と古いアルバムをめくっていた母親が、柚子に曾祖母の写真を見せる。
「これがおばあちゃん。これがおじいちゃん……柚子のひいおじいちゃん。こうやって見ると、確かに柚子はおばあちゃんに似てるね」
「そうなんだ……この頃って、お見合い結婚が多かったんだよね? ひいおばあちゃんとひいおじいちゃん、めっちゃ仲良さそう」
 虫食いや日焼けで擦れてはいるが、曾祖母が、延いては、樺澤夫婦が幸せそうに笑っているのは誰が見ても明らかだ。柚子の質問に、母親の代わりに叔母が答えた。
「そうそう。おばあちゃん、色んな方からお見合いの話があったらしくてね、おじいちゃんの所に嫁ぐって決めてからも、贈り物とお見合い写真が絶えなかったそうなの」
「へぇ~……ひいおばあちゃんは、なんでたくさんのお見合いの中からひいおじいちゃんを選んだんですか?」
 柚子の質問に、姉妹はそっくりな笑顔を向けてくる。
「なに、柚子でも恋愛に興味があったの? いつも勉強ばかりしてて、色恋なんて考えてません。みたいな顔してるのに」
「別に! 恋愛に興味がある訳じゃない。ただ気になっただけ」
「ふふふ……姉さんだって、お義兄さんと結婚するまで、恋愛なんて無縁よ。みたいな感じだったじゃない。親子そっくりよ」
「わ、私のことは良いの! それより、おばあちゃんの話。私も知らないから教えて」
 母親が足を崩して叔母の方を向き、急かす様にちゃぶ台を叩く。叔母は面白そうに親子を見つめてから、アルバムの曾祖母に視線を移した。
「私も、あんまり詳しい話は聞かなかったんだけどね、お互いに一目惚れだったそうよ。おばあちゃんとお見合いする人は、必ずおばあちゃんの事を一方的に知ってる人だったんだって。その中で、唯一おばあちゃんを知らないでお見合いをしたおじいちゃんに惹かれて……他にも色々あったと思うけど、その時に決めたみたいよ」
 叔母は曾祖母との会話を思い出したのか、目尻にうっすらと涙を溜めた。零れないように天井を見上げて、気を取り直して柚子の方を見る。
「おばあちゃん、おじいちゃんのこと大好きだったから、他の男性からの贈り物は一切受け取らなかったはずなのよ。お誕生日のプレゼントでさえ、メッセージカード以外は全部お断りしていたわ」
「全部ですか⁉ 誕プレくらいなら、浮気じゃないんですし……」
「ね? 私もそう思うんだけど、そこはほら、時代だったんじゃないかしら? 姉さんも私も恋愛結婚だったけど、お見合い結婚ならではの不安とか、二人の間の決まり事とか、色々あったのかも知れないわ」
 叔母はそう言いまとめて、写真の中で幸せそうに寄り添っている曾祖母をそっと指で撫でる。柚子は、ポケットの櫛をこっそり触りながら他の写真を眺めていた。
(ひいおばあちゃん、モテモテだったんだ……そんなひいおばあちゃんから唯一、櫛を受け取ってもらえた本郷さんって、どんな人だったんだろう……)


 翌日、雑務を手伝おうと台所に向かった柚子は、叔母から一握りのお小遣いを手渡された。
「ゆっちゃん。これでお散歩してきたらいいわ。せっかく晴れているんだもの、帰る前に一日くらい遊んだって、おばあちゃん怒らないわ」
「……ありがとうございます。お金のことは、お母さんに伝えてきます」
「ふふ……本当に、ゆっちゃんは姉さんに似てるわね。お金のことは話さなくて良いわよ。私の方から言っておくから」
「あ、ありがとうございます。これ、手伝ったら、行ってきます」
 柚子は仏飯をお盆に乗せて仏間に向かうと、線香を添えて仏壇に手を合わせた。白檀の香りが染み込んだ髪を、安い髪留めでひとまとめにする。出かけることを想定していなかったため、私服の代わりにワイシャツと制服のスカートをラフに着るが、靴下は履かずに叔母の家にあったサンダルを選んだため、なんとも言えないファッションコーデになっている。
(まあ、先生や友達に見られる訳でもないし、いっか)
 外に出ると、都会のコンクリートジャングルとは違った暑さに空を見上げた。普段はビルなどで遮られている太陽が、真上から直に柚子の肌を焼いている。
「うっわ……日焼け止め持ってくれば良かった」
 太陽を睨みつけながら、溜息と共に愚痴が零れた。反射的に玄関にあったタオルを手に取って、日傘代わりにかざしながら散歩を始める。曾祖母が暮らしていたこの町は、柚子が暮らしている住宅街よりも静かで、木や土の香りが優しく鼻をつく。都会では鬱陶しい蝉の騒音も、ここでは遠くの山から聞こえる程度で、それ程気にならない。
 柚子は道に迷わないように、曲がり角や看板を写真に撮りながら散歩を楽しんでいた。珍しい看板の店や偶然見つけた野良猫などは、SNSに載せてみたりもしている。普段通りに振る舞いながらも、柚子の意識は別の所に向きっぱなしだった。
(……結局、お葬式にも、喪中の連絡先にも、本郷さんどころか、秀一さんの名前も無かったな)
 スマホを方手で持ちながら、もう片手はポケットの中に突っ込まれている。櫛の歯の部分を指で撫でた時の細かい凹凸が気持ちいいらしく、柚子の手癖になっていた。親族全員に櫛の名前について聞いて回ってみたが、一緒に過ごしていた叔母ですら櫛の存在を知らなかったのだ。それ以上の情報が手に入る可能性は無いに等しい。
 分からないことは最後まで調べたい柚子は、いよいよ本気で櫛の持ち主について考え始めていた。
(調べ方が悪いのかな……もっと別の視点で見てみたら、何か……)
 目についた駄菓子屋で瓶のコーラを買い、屋根の下の日陰で一息つくと、ポケットから櫛を取り出した。櫛に描かれている少女と椿のイラストは、大正レトロな風合いでとても可愛らしい。注意して細部まで観察していると、名前の他にお店か櫛職人の名前だろう焼き印が施されているのを発見した。
「あ⁉ これ……」
 慌ててスマホを取り出し、写真フォルダをスワイプしていく。すると、先ほど野良猫を遠目で撮影した画像の隅に、櫛の焼き印と似たような柄の看板を見つけた。
「あった! ここ、どこだっけ……?」
 前後の画像を確かめた後アプリ内のストリートビュー機能を使って今来た道を確認する。
ひとつ前に撮影した古い喫茶店の横にぽつんと佇んでいたのは、どうやら櫛屋のようだった。
(店舗情報とか載ってないかな? 写真を少しトリミング加工して、画像検索欄に貼り付けて……)
 すると、写真の櫛屋は巷では有名な伝統つげ櫛を扱っている老舗のようで、店舗案内のページを確認した所、間違いないようだ。
「あった! やった……っこほん」
 思わず声を上げて、冷静を装う様に咳ばらいをする。
(やっと手掛かりが見つかった! 来た道戻って、この店を探そう)
 柚子は残りのコーラを一気に飲み干すと、駄菓子屋の横に置かれた瓶ケースの中に瓶を戻して、軽い足取りで櫛屋へと向かった。


 櫛屋は、駄菓子屋から然程遠くない場所に佇んでいた。地図アプリで予想していたよりも早く辿り着くことが出来た柚子は、櫛屋の看板と先程調べたホームページを交互に見比べる。
(よし……大丈夫。間違っていないはず。ここなら、櫛の事聞いても、変に思われない……よし!)
 もう一度画像を確認して、胸を高鳴らせながら店に入ると、心地よいクーラーの風が顔を撫でていった。そのまま進もうとして、足元に先ほど撮影した野良猫が鎮座していることに気付く。
「わ!」
(踏んじゃう所だった……えっと……)
 野良猫は真っ黒な体をのそりと動かして、不愛想な顔で柚子を見上げていた。首には鈴の代わりに小さな櫛をぶら下げていて、飼い猫のようにも見える。
「……にぅ」
 黒猫は見るからに若そうな体形をしているが、じっとりと柚子を睨みつける瞳には、どこか気迫負けしそうな貫禄がある。全身真っ黒かと思っていたが、よく見ると、前足の片方だけ、靴下を履いているような白毛があった。
「君……ここの猫? 看板猫みたいな? それとも……店員?」
「ぅな~お」
(ん? これは返事なのかな? って言うか、猫相手に会話する私の方がイタい人じゃない?)
 柚子は恥ずかしくなって黒猫から視線を外すと、ごまかす様に店内を見渡した。会計カウンターらしき帳場に呼び鈴があるのを発見してすかさず押すと、中から可愛らしい女性の店員が顔を出した。
「いらっしゃいませ! あら? 野良君も、いらっしゃい」
 店員はにこやかに柚子を見た後、黒猫を見つけてカウンターから出てきた。
「この時間に来るなんて珍しいね。冷房にあたりにきたの?」
「にゃぉ」
「じゃあ、座布団持ってくるから、待っててね」
 店員はそう言うと、カウンターの奥から子ども用の座布団を持ってきた。相当年季が入っていて、確かに犬猫専用に用意された座布団のようだ。
「あ……この猫、ここの看板猫とかじゃないんですね」
「……にぅ」
 柚子の間抜けな声に反応したのは、黒猫の方だった。
「はい。野良猫だから、野良君です」
「そ、そうなんですか……」
 黒猫は「ふん」と鼻を鳴らすと、座布団の方に向かって行った。途中に立っている柚子の足を尻尾でペシンと叩き「そこをどけ」と睨みつけてくる。
(自分で避ければ良いじゃん。可愛くない子だなぁ……)
 柚子は腑に落ちないながらも一歩横へ体をずらすと、黒猫は満足そうに足を進め、一番冷房が当たる座布団の上で背中を丸める。常連客とは言え、ふてぶてしいこと極まりない。と、柚子は眉間に皺を寄せた。
 一人と一匹の様子を微笑ましく眺めていた店員が、やっと柚子に声をかける。
「えっと……樺澤先生とこの子ですよね? 今日はどんなご用件ですか?」
 店員はにこやかに笑っているが、柚子は仰天して、瞳を猫のように細くして振り返る。
「な、なななんで、私のこと……⁉」
「ん? だって、この前お通夜にいましたよね? 親族席の隅っこに」
「は、い……少しだけいました」
「私、家が近いので、最初の方に伺っていたんですよ。樺澤先生の書道を習いに行ってた、元教え子ってヤツで」
「あ、そういう……」
(良かったぁ……田舎の情報網的なヤツで筒抜けなのかと思った)
 ほっと胸を撫でおろした柚子は、改めて訪問した目的を伝える。
「あの、ひいおばあちゃんがこの櫛を持っていたんですけど、ここで買った物ですか?」
「ん? 樺澤先生、櫛なんて持ってたんですか?」
 予想はしていたが、やはり教え子にも櫛のことは伝えていなかったらしい。店員は柚子から櫛を受け取ると、少し驚いた様子でじっくりと櫛を調べる。
「凄い……これ、誰が櫛の手入れをしているんですか? 歯も欠けてないし、きちんと椿油が染み込まれていて、とっても状態が良いですね!」
「そう……なんですか? ごめんなさい、櫛のことは分からなくて……この櫛も、多分、偶然私が今持ってるだけで……ごめんなさい」
「ああ、そうなんですね。でも、先生のことだから、きっとご自身で手入れされていたんだろうなぁ……書道教室の時も、嫁入り前から使っている道具を使っていて、それがとても綺麗だったんですよ」
「はぁ……」
 思わぬ所で曾祖母のことを聞けた柚子は、嬉しいような、恥ずかしいような、よく分からない返事を返すことしか出来ない。店員は懐かしそうに話をはさみながら、しっかりと櫛を鑑定した。
「う~ん……確かに、うちで扱っている櫛と似ているけど……この櫛は、違う店のですね」
「そうなんですか?」
「はい。焼き印は確かにうちのと似ているんですけど、うちの印はもっとこう……それに、うちは名前を入れるサービスはしていないので、うちの櫛ではないですね」
「……そう、ですか」
 これで何か核心的な情報が掴めそうだと思っていた手前、落胆が柚子の表情に滲み出る。
「あ、でも……うちのおじいちゃんに聞けば、昔そういうサービスやってたお店があるか聞けるかもしれないです……明日、また来ていただけることは可能ですか?」
「っ! はい‼ よろしくお願いします!」
 柚子は勢い良く頭を下げると、ふと視線を感じて振り返った。冷房に当たる黒猫と目が合った気がするが、黒猫は直ぐに顔を逸らしてしまい、自由な尻尾だけが柚子の前でユラユラと揺れている。
「ねえ君、ここの子じゃないのなら、もっと店員さんに愛想良くしなよ」
「……うなぁ~」
(可愛くない猫だな。でも、猫の写真はSNSで反応貰えるから、記念に一枚撮っておこう)
 柚子は充電が切れそうなスマホを取り出すと、黒猫の後ろ姿だけを撮って店を出た。初めての手応えに心が躍り、無意識にスキップしていた。


 帰宅した柚子は、荷造りをしている両親に向かって、初めて自分の意思を伝えた。
「お願い! 残りの夏休み、ここにいさせて」
「柚子!? いきなりどうしたの?」
 母親が驚きを隠せない様子で柚子を見る。柚子は叔母夫婦も部屋に呼ぶと、櫛を取り出して見せる。
「明日、この櫛の持ち主について、なにか分かりそうなの。やっと手掛かりが掴めそうなのに、このまま帰るなんて出来ない」
「で、でも柚子。おばあちゃんが結婚する前の櫛かもしれないんでしょ? そしたら、本郷さんって人はもう……それに、これ以上お世話になるのは……」
「どうしてもひいおばあちゃんの形見を、元の持ち主に返したい……きっと、大切な思い出の櫛だと思うから」
「そうは言っても……ねえ」
 母親が叔母の方をちらりと見た。喪中だったとはいえ、姉妹にはお互いの家庭があるのだ。姉として、母親として、迷惑はかけられないと思っているのだろう。
「私の方は大丈夫よ姉さん。でも……ゆっちゃん。ゆっちゃんの気持ちはよーく分かるんだけどね? もし本郷さんのお宅を見つけたとしても、おばあちゃんの事を全く知らなかったら、そもそも会って貰えないかも知れないのよ? ゆっちゃんの頑張りが、全部無駄になっちゃうかも知れないのよ?」
「……はい。それは、分かっています……」
 叔母に正論を言われ、柚子の声が少しだけ弱くなる。
「夏休みが終わるまでの間で良いんです。それで分からなかったら、諦めます。本郷さんのお家にも、絶対に迷惑をかけるようなことはしません。だからお願いします! 私に、この櫛について調べさせてください!」
 土下座をして懇願すると、叔母夫婦の方は快く許してくれた。母親が最後まで渋ったが、最後には「夏休みの間だけ」を条件に、柚子を置いて帰りのタクシーに乗った。

【続】次回は10月1日更新!

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