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『泉御櫛怪奇譚』第四話

第四話『約束の櫛 恋の行方』
原案:解通易堂
著:紫煙

◆第三章◆
 翌日、両親を見送った柚子は、叔母夫婦に一言声をかけてから、本格的に『本郷 秀一』の捜索を始めた。
 柚子は髪をひとまとめに結んで気合を入れると、開店前の櫛屋に向かって歩き出す。しかし、その途中の建物の前で、ご老人が何人か集まっているのが見えた。
(こんな早くから行列? なんの集まりだろう?)
 視線だけ列の先頭を探そうとして、並んでいる老人と目が合ってしまう。
「あ……お、おはよう、ございます……」
「あらどうも、おはようござーます」
 無言で通り過ぎるのも礼儀が無いと思い、柚子がぎこちなく挨拶をすると、老人たちは快く返事をして、あれよあれよという間に会話に混ぜてきた。
「あれまあ。よく見たら樺澤さんとこの子じゃないの! ちょっとこっちいらっしゃい」
「え……? はぁ……」
(ん~。櫛屋さんのお店もまだ開かないし、少しくらいは良いかな)
 手招きする彼女たちの方へ足を進める。近づいてみると、列はなんとなく形成されているだけで、皆、思い思いに井戸端会議をしているようだ。
「はい、いらっしゃい。とみさん家の曾孫ちゃんなのよね?」
「あ、はい……東雲 柚子と言います」
「柚子ちゃん。可愛い名前ねぇ! ホント、とみちゃんの若い時にそっくり!」
「朝からご苦労様ねえ」
「いえ……えっと、生前は、ひいおばあちゃんがお世話になりました」
「そんなお行儀よくしなくても良いのよ。そこの櫛屋さんに用事なの?」
 老人の一人が、まだ開いていない櫛屋の看板を指す。話し出す切っ掛けをもらった柚子は、さっそく曾祖母の櫛を取り出して聞き込みを開始した。しかし、案の定、曾祖母をよく知っていそうな人でも櫛のことは分からないようだった。
「あの、今日はなんか、イベントとかあるんですか? お店の特売、とか…?」
 柚子が早朝の人の列に疑問を持つと、老人たちは顔を見合わせてコロコロと笑った。
「特別な日ってわけじゃないのよ。私たちは朝が早いから、午前に予定があるとこうやって並んじゃうの」
「お酒を買う日は酒屋さん。野菜が採れたら八百屋さん。生協が来たらそこのワゴン車が大行列なの」
「おかしいでしょ? ふふふ」
「おかしい……くは、ないです。多分」
 柚子は曖昧な返事をして、その後も集まって来る老人たちにダメもとで櫛の聞き込みを続けた。十人程並んだところで櫛屋の開店時間になる。
「あの、お話ありがとうございました。失礼します」
 老人たちにお辞儀をして、駆け足で櫛屋に向かう。開けられた扉をくぐると、店内から昨日の店員が笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます! あら、こんなに朝早くに来てくれたんですね、ありがとうございます」
「いえ……えっと、どうでしたか?」
 柚子の声は落ち着いているが、表情は期待に満ちてキラキラとしている。店員は早速カウンターからメモを取って、柚子のもとに戻って来る。
「おじいちゃんに聞いたら、分かりましたよ! おじいちゃん、昔はうちのお父さんと一緒で櫛職人さんだったんですけど、その櫛を卸していた店が、ここの他にもう一軒あったんですって」
「ほ、ほんとうですか⁉ やったっ!」
 初めて得られた有力な情報に、柚子は無意識に拳を強く握りしめる。
「解通易堂って言うお店なんですど、おじいちゃんが見習いの頃にあったお店だから、もう移転しちゃってるか、お店自体が無くなっているかだろうって」
「ととやすどう。ですか? 待ってください、今調べます」
 店員に音の漢字を聞きながらスマホで『解通易堂』について調べる。しかし、何度検索しても、店の場所はおろか、名前すらヒットしない。
「ん~~~~特徴的な名前だから、これで検索引っかからなければもう店が無い……かも」
「そうですよね……私も、昨晩少し調べたんですけど、引っかからなかったです……おじいちゃんが言うには、改名している可能性もあるだろうって」
「ああ……改名……そっか……」
 せっかく得られた手掛かりが直ぐに遠ざかっていく感覚に、柚子は重たい溜息をついた。
 重たい空気が流れる中、開けっ放しの出入り口から一匹の来客が訪れる。常連の黒い野良猫は、気まぐれに柚子たちの目線と同じ高さの台に飛び乗ると、柚子の目の前の櫛を凝視した。
「にぅん……なーー」
「え、何? 昨日は無反応だったじゃん」
「ぶろろろろろ」
 黒猫は、くむくむと櫛の匂いを嗅いだ後、頭を台にこすりつけながらゴロゴロと鳴き始める。仰向けになった首元には、昨日とは違う櫛の首輪がかけられていた。
(別の櫛屋さんからつけてもらったのかな? 首輪って毎日変えるものなの? てか、なんでこんなトロトロになってるの??)
 動物を飼った経験がない柚子はただただ困惑してしまうが、店員さんは慣れた様子で櫛にメロメロになっている黒猫の体を撫でた。
「野良君は、ちょっと変わった猫なんです。何軒もの櫛の店を歩いていて、嗅いだことのある櫛の匂いで『こう』なっちゃうんです。もしかしたら、野良君だったら、この櫛の店を知ってるかもしれないですよ?」
「これ、ひいおばあちゃんがどこに保存していたかも分からない櫛ですよ? そんな、アニメみたいなこと、あります?」
 いぶかしげな柚子に対し、店員は至って真面目に提案している。
「おじいちゃんがいつも言っているんですけど、猫は自由気ままに見えて、ちゃんと好きな場所を覚えるように歩いているんですって。ついて行ってみる価値はあると思います」
「う~ん……」
(そんなファンタジーなこと、本当に起こるのかな? なんか、私イタいことになってない?)
 不安そうに黒猫を見ると、猫はのんきに台の上で尻尾を揺らし、音もなく床へ飛び降りた。出口の方を向きながら尻尾で柚子の足をペシペシと叩く様子は、まるで「ついてこい」と言っているようにも見える。
(ん~……猫の後を着いて歩くのがめちゃくちゃ恥ずかしいけど……う~ん……確かに、もしかしたら、この首輪を付けた人なら、もっと櫛の事が分かるかもしれないし……よし、私は本郷さんに櫛を返すって決めたんだ! 覚悟を決めろ、柚子!)
「野良……君。この櫛があったお店、知ってたら私に教えて……ください」
「なァウ」
 柚子が思い切って黒猫に声をかけると、猫はあくび混じりの返事をひとつして、開けっ放しの扉へ向かった。


 片足だけ白毛の黒猫は、この町の人気者だった。すれ違う人々が彼に当たり前のように声をかけ、黒猫が足を止めれば撫でに来る。
「おやクロちゃん。今日はこっち来ないの?」
「ノエル! 今日はお魚の日じゃないの。また来てちょうだいね」
「あ! おかーさん、また片っぽくつしたがいるよ!」
(この子、色んな名前があるんだな……うう、決めたこととはいえ、なんだか後ろを歩くのが余計に恥ずかしい)
 当事者ではないにしろ、ここまで視線を浴びたことがない柚子は、おっかなびっくり彼の後を追っている。なるべく息を潜めて、背中を丸めて歩いているため、下手したら黒猫より存在感が薄くなっているかもしれない。
 黒猫は、そんな柚子を無視して町の中をふらふらと通り過ぎた後、なんとタクシー乗り場に向かっていった。
(はあ⁉ まさか乗るの? どうしよう、そんなにお金持ってないけど……)
 交通電子マネーの残高を思い出しながら、落ち着かない様子でついて行く。黒猫はくむくむとタクシーの匂いを確認した後、一番奥に停まっていたタクシーの屋根に飛び乗った。後ろで煙草をふかしていたドライバーが、屋根の異物音で振り返る。
「よお黒若! またいつもの場所までか?」
「……また、名前が増えた……」
 柚子がうっかり呟くと、声に気付いたドライバーは嬉しそうに帽子を被り直す。
「おりゃ⁉ 今日は女の子とデートかい? 羨ましいね~」
「で、デートじゃないです。道案内をしてもらってて……あ、でも、今日は違う所へ行くみたいだから……って、私完全にアタオカですよね。すみません、帰ります……」
「ああ、待って待って!」
 柚子が踵を返そうとすると、ドライバーは後部座席の扉を開けて引き留める。
「黒若と同じ所に行くなら、お代とか大丈夫だから、嬢ちゃんも乗ってきな」
「え? お金取らないんですか? なんで?」
「行けば分かるって。ほら!」
「……分かりました。よろしくお願いします」
 柚子はいよいよ考えることを諦めて、大人しくタクシーに乗ることにした。運転手側の後部座席にちょんと座ると、その隣に黒猫が移動してくる。ドライバーは慣れた様子で一方的に黒猫に話しかけながら、タクシーを発車させた。
 柚子は移りゆく景色をぼうっと眺めながら、時折ドライバーの声に反応する。信号待ちの時にはスマホで景色を撮影したり、ふてぶてしい黒猫の横顔を撮影したりして、気が付けばそこそこ車内を満喫していた。
 タクシーを走らせて約1時間。早朝に家を出たはずなのに、時間はとっくに夕方を迎えている。ようやくタクシーが停車したそこは、都内の路地裏とも田舎の廃れた繁華街とも見える不思議な場所だった。柚子が恐る恐る車から出ると、目と鼻の先に如何にも怪しい建物が、空気に恐怖をにじませて存在していた。
「あ……の、ここって……⁉」
(ヤバイヤバイヤバイムリムリ無理絶対に入りたくない怖い恐いお母さん……‼‼)
 柚子は完全に委縮してしまい、声も上手く出すことができないでいる。しかし、ドライバーと黒猫はコンビニに入るような感覚で開きっ放しの扉に吸い込まれていく。
「ちょ⁉ 待ってくださ……一人にしないで……‼」
 無理やり動かした足で恐る恐る中に入ると、老舗の櫛屋に入った時と同じ香りが鼻を突いた。知っている情報にホッと肩の力が抜ける。柚子が深呼吸をして薄暗い店内を見渡してみると、
「ここも……櫛屋さん?」
 老舗の櫛屋よりも古いのか新しいのか、柚子には判別することができないが、確かにこの建物は櫛を専門とする店のようだ。
「店長さーん。黒若とお客様、お連れしましたよ~」
 ドライバーが帳場に向かって声を上げると、今まで虫の気配すらしなかった店内から衣擦れの音が聞こえた。柚子が再び体を強張らせて待ち構えると、なんと、そこから現れたのはテレビですら見たことがない程、美しい人だった。
「は……え?」
「これはこれは。いらっしゃいませ……」
 その人はどこの国の物か分からない服装をしていて、細い丸眼鏡の奥には感情の読み取れない切れ長の眼が柚子をとらえている。柚子は雰囲気に飲み込まれないように踏ん張ることが精いっぱいで、とても受け答え出来る程の余裕がない。
「あ……あの……」
「? ああ……はい、大丈夫です。お話が……出来るようになったら、お声掛けください」
 その人は優雅に一礼すると、ドライバーと黒猫の方に向き直る。
「お待たせいたしました……こちら、いつものお代です」
「はいっ! 毎度ありがとうございやす」
「いえ……いらっしゃいませ、ミスタ」
「うなーぅ」
 ミスタと声をかけられた黒猫は、ゴロゴロと喉を鳴らしてその人の足に絡みつく。
(なんか、変なところで言葉が切れるなぁ。話し方もゆっくりだし、慣れない……)
 眉間に皺を寄せる柚子を他所に、タクシーが元の道を折り返していくのを見送ったその人は、店内を明るくして帳場に戻る。ミスタは、恐らくどこの店でもそうなのだろう。帳場の台にふてぶてしく座って、喉をゴロゴロ鳴らしている。
「ミスタ……本日はどちらから、いらっしゃったのですか?」
「なーん」
「ほう? こちらのお嬢様を……ご紹介に?」
「なーぅ」
「……猫と会話してる……」
 一人と一匹の会話のような掛け合いに、柚子が思わず声で反応してしまった。
(いけない! うっかり声出しちゃった!)
 と、顔を上げてその人を見上げたが、特に気に障った様子は無い。
「ふふ……。ミスタは……とても賢いお客様、なのですよ」
「お、お客様……」
「ええ……ここに訪れたお方は、どんな方でも……『お客様』なのです。勿論……お嬢様も……」
「お!? お嬢様なんかじゃないです。あ、えっと……東雲 柚子です」
 慌てて自己紹介をすると、店長は穏やかに微笑んでもう一度柚子に向かって一礼した。指の先ひとつ見ても美しい所作に、柚子は再び緊張してしまう。
「柚子様……ようこそ、いらっしゃいました……解通易堂の、泉と……申します」
「と、ととやすどう⁉ ここが、解通易堂ですか‼」
「おや……店の名前を、ご存じでしたか? それはそれは……喜ばしい限り、です」
 泉と自己紹介したその人は、帳場の奥へ柚子を案内した。三段しかない上り階段の向こうには、約四畳程の畳み部屋が広がっている
(わあ、会計カウンターの奥って、こんな風になってるんだ……)
 しかし、柚子が通されたのは和室の方ではなく、その隣のラグカーテンをくぐった奥だった。異国情緒に溢れていた店内とは打って変わって、生活感のない台所が広がっている。
(わ、この人もちゃんと生活してる人なんだ……なんとなく、私とは違う生き物だと思っちゃった)
 唯一動かしている形跡のある食器棚には、何故か二人分の食器が仕舞われている。柚子が台所を観察している間に、泉は冷蔵庫からラムネと猫用の液体おやつを取り出し、食事用の机に並べた。黒猫は柚子の足の間を通過して机に飛び乗る。柚子は眉間に皺を寄せながら黒猫に続くと、泉の手から素直にラムネを受け取った。
(うわ! テレビのお祭り特番とかで見るヤツだ……このビー玉、どうやって外すの?この帽子みたいなのは何?)
「あ、ありがとうございます……あの、ここって、老舗の櫛屋さんなんですよね?」
「そう……ですね。とても長い時間……皆様に愛され、続けさせてもらっています」
「なんで、解通易堂って名前なんですか?」
 座ったことで体の緊張が解れたのか、柚子は何度調べても分からなかったことを、堰を切って質問し始める。
「単語で検索しても、ボイスサーチで検索しても出てこなかったんです。漢字は当て字ですか?」
「髪を梳かす……と言う言葉は『解かす』とも、表現されております。髪を解きほぐし……通り易く、するためには……と、考えて作られた櫛を……皆さまに、ご提供する場所……として、考えられました」
「ホームページとか、ないんですか? 検索しても全然何もヒットしなくて……」
「ええ。当店は『ご縁』を大切にしているので……」
「あの子……野良君のことを『ミスタ』って呼んでいるのは? みんな、野良猫に因んで。とか、毛が黒いから。とかだったんですけど……そういうのじゃない、ですよね」
「はい。ここに訪れた皆様は……私にとっても、大切な『お客様』なのです。名前の無いお方は『旦那様』『奥様』『お嬢様』と……呼ばせていただいております」
「ああ! じゃあこの子は『Mr.』のミスタなんだ」
「ふふ……。柚子様は……とても聡明で、いらっしゃいますね」
「えっと……別に、普通です」
 聞き慣れない語彙で褒められてしまい、柚子は途端に歯切れが悪くなる。普段から、分からないことは納得するまで調べる性分の為、つい質問が多くなってしまう自分の癖を思い出したのだ。
「すみません。質問ばかりしてしまって……」
「いえ。私は……帳場の方に、おりますので……ご自由に店内を巡るも良し、新たな問答に花を咲かせるも良し。です……」
「あ、待ってください!」
 柚子は慌てて泉を引き留めると、ラムネを机の上に置いて、ポケットから曾祖母の櫛を出した。
「あの、これ。ここで売られていた物ですか? えっと……ひいおばあちゃんの形見なんですけど、この『本郷 秀一』さんって人に返してあげたくて……」
「ほう……拝見させて、いただきます」
 泉は眼鏡をきらりとかけ直して、柚子から櫛を受け取った。暫く櫛を眺めた後、今度は眼鏡を外して鑑定する。眼鏡を外した泉はまた雰囲気が変わり、柚子は店内の空気がキンと張り詰めるような感覚を味わう。
「確かに……この櫛は、私の店で……取り扱っていた、ものですね」
「本当ですか⁉ じゃあ、この本郷さんが誰なのかも分かりますか?」
「いえ……随分古いお品物なので、直ぐには分からないですね。しかし……お名前を刻まれているので、もしかしたら……古い帳簿に、名前が乗っている……かも、しれませんね」
 泉は足早に帳場へ戻ると、数冊の帳簿の束を取り出してきた。ミスタが不服そうに鳴くが、お構いなしに彼の座っていた台に山積みしていく。
「……そう、ですね……申し訳ありませんが、柚子様のお問い合わせを……一度、当店で預からせていただけませんか……?」
「あ、はい! 大丈夫です」
「ありがとうございます……そうですね、恐らく……明日の午後、には結論が出せるかと……」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
 柚子は着実に櫛の名前の人に近づいていると実感し、胸が高鳴るのを感じた。
「本日はもう遅いですし……帰りも、ミスタに送ってもらいましょう」
「ぶなぁー」
 ミスタは不服そうに鳴いたが、泉が帳場から煮干しを取り出すと、喉を鳴らしながら柚子をタクシーの所まで案内してくれた。


【続】次回は11月1日更新!


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