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『泉御櫛怪奇譚』第四話

第四話『約束の櫛 恋の行方』
原案:解通易堂
著:紫煙

◆第四章◆
 翌日、時計の針が昼を過ぎる頃合いで叔母夫婦の家を出た柚子は、再びミスタに連れられて解通易堂に向かった。
 昼間の解通易堂は外から見ると異国情緒に溢れており、思わずスマホのカメラアプリを起動させる。
「柚子様……いらっしゃいませ」
「っ‼」
 シャッターを切った瞬間、開けっ放しだった扉から泉が現れた。柚子は慌ててスマホを逸らし、彼に向かって頭を下げる。
「こんにちは。泉さん……」
「はい。どうぞ……こちらへ」
 泉は、昨日とは違う民族衣装を身に纏い、優雅に店内を進んでいく。案内された帳場の奥で最初に手渡されたのは、あの蓋の開いていないラムネだった。
「……ビー玉を開けないで渡すのは、わざとですか?」
 昨晩、持って帰ったラムネの末路を思い出して、柚子は眉間に皺を寄せる。
「昨日、家に持ち帰って、開け方を動画で調べたんですけど……机が濡れました」
「おや……それは失礼いたしました。ですが……この飲み物は、古くから……開ける所から楽しむ飲み物、だと……お聞きしたもので……。お楽しみ……いただけませんでしたか?」
「楽しくは……なかったですけど……」
 言葉では興味ないと言いつつ、柚子の手はラムネの瓶に向かって伸びていた。ポケットからハンカチを取り出して瓶の下に敷き、二度目のラムネ開けチャレンジを始める。失敗から学び、出来るようになるまで繰り返すことは、彼女の性分のようだ。
 蓋の様なプラスチックをビー玉に被せて、勢いよく平手を振り下ろす。ビー玉は気持ちの良い音を立てて蓋に押し込まれると、中の炭酸が一気に吹き上がった。塞いだ平手の力が足りず僅かに吹きこぼれはしたが、柚子は炭酸が落ち着くまで瓶の口を押さえて、被害を最小限に止めることに成功する。一晩でスキルを習得した彼女を称賛し、泉は素直に拍手を送った。
「これはこれは……お見事、です」
「……いえ、これくらいなら、検索すれば誰でも分かります」
「柚子様は……ご自身の力で、解決策を……導き出すことが、出来るということです……貴方だけの、素晴らしい特技ですよ」
「そんな……そんなことないです! 普通です……それに、濡れた手でひいおばあちゃんの櫛触るのも良くないって、ネットで調べたので……」
「お気遣い……誠にありがとうございます。おっしゃる通り……櫛は、濡れた手や髪等に……直接触れて良い物では、ございませんので」
「……」
(調べておいて良かった……! ひいおばあちゃんが大切にしていた櫛を私がダメにしちゃったら、この本郷さんって人にも悪いから……)
 柚子はホッとした表情で敷いてあったハンカチで両手を拭くと、もう片方のポケットを探る。別のハンカチで包んであった櫛を出して、今度は不安げにため息を吐く。
「この櫛のことだけは、どんなに調べても分からなかったんです。この本郷さん……多分、特別な想いでひいおばあちゃんにこれを渡したんだと思うんです……なんとなく、だけど……」
「ふふ……柚子様には……櫛の気持ちが、伝わったのですね……」
 泉は穏やかな表情で柚子と櫛を一瞥すると、帳場の方へ姿を消した。
 柚子がラムネを飲みながら待っていると、暫くして古い帳簿を持った泉が戻ってきた。机の上に置かれた帳簿には【大福帳】と言う文字と、日焼けして読み取ることは難しいが、恐らく赤い墨で【秘】が記されている。
(これ……私が見ても大丈夫なヤツかな……?)
 不安な表情を宿す柚子の目の前で、泉は躊躇することなく帳簿を丁寧に捲っていく。
「さて……。お問い合わせに対し……回答にお時間をいただいてしまって、申し訳ございませんでした……」
 今にも崩れそうな帳簿の和紙が、真ん中程重ねられた所でひたりと止まる。
「こちらの櫛を……お買い求め、くださったお客様の……」
「……っ」
 柚子がラムネの残り香をごくりと飲んだ。キンと張りつめた空気が広がり、厳かな雰囲気に包まれる。
「本当のお名前……は『本郷 秀子』様……と、申します」
「……ひでこって……え、女の人だったの⁉」
 思いもよらない真実に、柚子は思わず立ち上がった。振動でラムネの瓶が僅かに傾いたが、揺れる水面に気付くはずもなく、帳簿に記された名前を凝視する。
「……本当だ……秀子さんって書いてある……」
(じゃあ、櫛に書いてある『一』の字の周りにある黒いシミみたいなのって……)
 帳簿を覗き込んで証拠を確認した柚子は、落ち着こうと再び椅子に座り直した。持っていた櫛を良く見つめながら、高速で思考を巡らせていく。
(……あ……そうか! 秀子さんの『子』の字が擦れて『了』の部分が欠けちゃったから、秀一さんって勘違いしちゃったんだ。でも、そうだよね。こんなに可愛い櫛を、昔の価値観の男性が持ってる方が変だもんね……本郷さんが女の人だって、なんで気付けなかったんだろう?)
 納得しつつも、新たな疑問で眉間に皺を寄せる柚子は、もう一度櫛を丁寧に眺めた。汚れかシミだと思っていた黒墨を見ると、確かに『本郷 秀子』と言う文字にしか見えなくなってくる。
(……一先ず、やっと本当の持ち主が分かったんだ! ここから予定通りに、慎重に……)
「あの……この櫛を、本郷さん……本郷秀子さんにどうしてもお返ししたいんです。ご住所とか、なにか分かることがあったら、教えてくれませんか?」 
 柚子は緊張で背筋を伸ばしながら、乾いた喉で泉に問いかけた。視線がちらりとだけラムネに動いたが、今は泉を真っ直ぐ見つめている。
「勿論……勝手に他人の住所を聞くとか、個人情報を教えるとか、本当はやっちゃいけないことだと分かっています。その上で、泉さんに、私が櫛を返す為のお手伝いをして欲しいんです」
 柚子は櫛を机に置くと、膝に手を置いて深く頭を下げた。信用も責任も証明出来ない高校生が出来る、精いっぱいの礼だった。
「お願いします! 私に……本郷さんについて、分かることを教えてください‼」
 再び、静寂が空間に広がった。それは柚子にとって、生涯で一番緊張した時間だった。
 泉は穏やかな目で柚子を見つめた後、帳簿の最後の方を開いて、静かに柚子の方へ差し出した。
「……柚子様、こちらが、約90年程前に記された、本郷様のご住所です」
「……っ‼」
 柚子がパッと顔を上げると、至近距離に泉の美しい微笑みがあった。反射的に頬が桜色に染まったが、隠している余裕は彼女にはなかった。
 約一世紀前に記された文字は、達筆すぎて柚子が見ただけでは解読が出来ない。
(こう……? え? のし……? 漢字が全く分からない……でも、これを写真で撮って、ネットで検索したら、それこそ個人情報の漏洩だよ‼ どうしよう……)
 指で線を真似しながら解読を試みる柚子に見かねて、泉が帳場からメモ用紙と万年筆を用意してきた。そのまま柚子に渡すかと思いきや、サラサラと代筆を始める。
「柚子様……こちらのご住所は、現在このように……表記されております」
「あ! ありがとうございます‼」
 柚子はマップアプリを取り出して判明した住所を入力すると、現在地から程遠い場所に印が現れた。過去と現在が繋がった事に感動した柚子は、思わず身震いした。
(やった! 遂に場所まで探し出せた! 後は、どうやってここに行こう?)
 柚子は早速スマホでルートを検索しようとするが、そっと画面を手の平で遮られてしまった。見上げると、口元を隠して笑う泉の姿が目に入る。
「ふふ……安心して、ください……。移動は……こちらで手配させて、いただきますので」
「?」
 次に柚子が案内されたのは、帳場とは逆方向の、丁度、台所の裏戸だった。店の反対側へ出てみると、今までの非現実的だった店の雰囲気を打ち壊すような、柚子でも見慣れた車が停車している。
「……ヤマネコ配達のトラック……?」
 思わず呟いてしまった柚子の隣で、泉が澄ました顔で応える。
「はい……ニャンと鳴く間に、届けます……」
 柚子の頭の中で流れたCMを、泉が代わりに読み上げた。続けてCMソングを鼻歌で披露した彼に、柚子は妙な親近感を覚える。
(そうだよね。泉さんだって現代人だもんね……泉さんがスマホ持ったりテレビ見たりしてる所とか、全く想像できないけど……じゃなくて!)
「あの……なんで配達の車がここにあるんですか?」
 流されそうになるのを寸での所で押しとどめて、柚子は泉に問いかける。泉はトラックの助手席を開けると、運転席に座る男性を優雅に手の平で指して一礼する。
「こちら……私の、そうですね……友人、が……本郷様のお宅まで……送ってくださいますので」
「おい旦那ァ、てめぇのダチになった覚えはねえぞ‼」
 運転席に乗っていた男が、噛みつくように叫んでくる。その声の大きさに、柚子は反射的に体を強張らせる。
(え、怖い……知らない人には着いて行っちゃいけないって体が言ってる。怖い無理!)
 狂犬。と形容した方がしっくりきそうな強面の男に、柚子は無言で泉に向かって首を振った。泉は穏やかな微笑みを絶やすことなく柚子に近寄ると、手を口元に当てて声をひそめた。
「柚子様……ご安心ください。彼はああ見えて、情に厚い方……なので」
「い、泉さんは、一緒に行ってくれないんですか?」
「申し訳ありません……解通易堂は、まだ……営業中で、ございますので……」
「……っ‼」
(怖い、けど……歩いて行こうとしたら夜になっちゃうし……よし!)
 柚子は生唾をごくりと飲み込むと、小柄な体を更に小さくして、恐る恐る乗車する。男は泉と2、3言葉を交わした後、喉の奥で唸り声を溢しながらエンジンをかけた。
 タクシーに乗った時よりも遥かに優しく発進したトラックに、不思議と緊張が緩む。
「……あの、よろしくお願いします」
「……おうよ」
 短い会話だけ交わした珍妙な二人組は、傾き始めた太陽に向かって短いドライブを始めた。
(秀子さんは、どんな人だったんだろう? ひいおばあちゃんとはお友達だったのかな……でも、じゃあなんで……ひいおばあちゃん、は……秀子さん……に…………)


 配達用のトラックに揺られながら、柚子はハッと目を覚ました。
(うっわ! 私、寝てた!?)
 慌ててスマホ画面を確認し、寝ぼけた思考を懸命に回転させる。ポケットから櫛を取り出すと、スッと手に馴染んだ櫛に落ち着きを取り戻す。すると、運転席の方から唐突にペットボトルが出てきた。
「えっ……?」
「ん。飲んどけ」
 胸ポケットに挟まれた名札に『大和』と書かれた男は、柚子の方を見ずに片手で運転している。断れるような空気ではないことを察した柚子は、素直にペットボトルを受け取った。
「ありがとうございます……」
「……」
 男はそれ以上何も言わず、黙々と運転を続ける。引っ切り無しに話題を振るタクシーの運転手とまるきり違うが、柚子は大和の方が気が楽だということに気付く。
(分からない話に相槌を打つより、今の方が落ち着くんだ。自分のことなのに初めて知ったな……それにしても、このイチゴオレ……運転手さんが買ってくれたのかな?)
 ふと頭に過った疑問は、トラックのブレーキによってかき消される。
「……着いたぞ」
 大和がぶっきらぼうに言って、エンジンを切った。柚子が慌ててスマホのアプリでマップを出そうとすると、骨太なごつい指がぬっと道を指す。
「……おう。ここ曲がって、三軒目だ」
「右に曲がって三軒……ありがとう、ございました」
 小さくお辞儀をすると、男は大きな手をゆずに向け、一度だけ柚子の頭をポンと撫でた。
(……? 今のは、なに?)
 柚子は父親にもされたことのない扱いに困惑したが、もう一度大きく頭を下げてから車を出た。
 歩いて向かった三軒目の家には、偶然にもまだ『本郷』の表札が掲げられていた。
「ここが、しゅう……秀子さんの家……」
(やった! 遂にここまで辿り着いた……! これで、家主の方が秀子さんと全く関係がなかったら、潔く諦めよう……)
 喜びと緊張と会う前から諦めようとしている色々な感情で心臓が爆走しているのを感じながら、柚子は意を決してインターホンを押す。
『はあい。どちらさまですか?』
 インターホンに応じた声は、ハスキーな男性のものだった。柚子は深呼吸してインターホンのマイクに顔を近づけ、乾いた喉から声を出す。
「こ、こんにちは! えっと……東雲柚子と申します。こちらは、本郷秀子さんのお宅ですか?」
『しののめ……? ちょっとお待ちください』
 インターホンから音が消え、暫くして玄関の扉が開かれる。中から出てきたのは、腰を丸めたおじいさんと、彼を労わるように支えているおばあさんだった。柚子は老夫婦に一礼して、もう一度自己紹介をする。
「あ、あの! 東雲柚子と言います! 本郷秀子さんに用事があって着ました」
「秀子は、うちの姉ですが……まあ、お入りください」
 老夫婦は顔を見合わせてから、柚子を家の中へ招き入れた。外観は綺麗だが、家の中は所々リフォームが終わっていないらしく、手すりを付けるための印が壁の至る所に記されている。
「すみませんねぇ、片付いていなくて」
「いえ、大丈夫です」
 客間に案内された柚子は、おばあさんが用意してくれたお茶を一口飲んで、緊張をほぐす為に深呼吸をした。おじいさんは座椅子に腰掛けて一息つくと、驚いた様子で柚子と目を合わせる。
「やあやあ、姉さんに、こんな小さなお友達がいたとは……」
「あ、違うんです。私じゃなくて、ひい……曾祖母が、秀子さんのお友達だったみたいで……」
 柚子はこれまでの経緯を説明し、老夫婦に櫛を見せた。おじいさんが櫛を受け取り、確かめるように名前と柄を確認する。
「ああ、確かに姉さんの櫛です……懐かしいな……姉さんとは十歳離れているんですよ。この櫛は、姉さんが嫁ぐ前日までずっと使っていた櫛です」
「本当ですか⁉ やったー!」
 おじいさんの話を聞いて、柚子はようやく体の力を全部抜いて安堵した。難しい検定に合格した時よりも大きな感動と達成感が広がって、暫く放心してしまう。
「……本当に良かった……これ、私が形見として受け取ったものなんです」
「……もしかして、ひいおばあちゃんの名前は『とみ』じゃないですか?」
「⁉」
 おじいさんが突然曾祖母の下の名前を当ててきた。柚子は眼球が零れそうになるほど目を見開いておじいさんの方を見ると、彼は懐かしそうに眼を細めて笑った。
「ああ、やっぱりそうか……とみ姉ちゃんそっくりのお顔しとるもんな……僕も、とみ姉ちゃんから字を習っていたんですよ」
「凄い……良く覚えていますね」
「ハハハ。おじいちゃんくらいになるとね、キラキラした楽しい頃の思い出だけ思い出せるんだよ」
 おじいさんはそう笑って、柚子の知らない昔話を聞かせてくれた。


 おばあさんが二杯目のお茶を用意する頃には、柚子が知りたかった情報の殆どを聞くことが出来た。
「……じゃあ、秀子さんの方が先にお嫁に行ったんですね」
「そうそう。姉さんは気丈夫と言うか、やろうと思うとなんでも出来ちゃうような女性でね。昔はほら、女の子は親が嫁ぎ場所を決めるんだけどね、姉さんはそこら辺割り切ってるみたいで、すんなりと嫁いで行って、そのまま『中村』さんの奥さんになっちゃったんだ」
 唯一残っていた中村家の家族写真に写る秀子は、柚子の曾祖母よりも威厳があり、何かを覚悟しているような強い表情をしていた。
(でも……ひいおばあちゃんも秀子さんも、タイプは違うけど『強い人』みたい。ひいおばあちゃんは女性蔑視があった時代に教師をやっていたみたいだし、この人も、男性と平等でいようと頑張ったりしたのかな……日本史の授業でしか知らない時代を歩いてきた二人を繋げていたのが、この櫛なんだ……)
 『中村 秀子』は、三年前に老人ホームにて、独りで他界したという。早朝に様子を見に行ったスタッフが彼女の最期に気付いた為、誰にも看取られることが無かったらしい。
「姉さんは、しっかりしているようで、実は凄い人見知りでね。交友関係が分かる手紙とか、年賀状とかが一切無かったんだよ。葬儀も中村さん家の人以外は、僕と女房だけで静かに終わらせてね……。だから、柚子ちゃんみたいに姉さんを訪ねて来てくれる人がいると、正直、とても嬉しいんだよ」
「私は……秀子さんのことは何も知らなくて……すみません」
「いやいや、柚子ちゃんは立派だよ。今は形見や結婚指輪が質に売られちゃう話を聞いたりするのに……どうして返そうだなんて思ったの」
「それは……なんとなく……私にも、よく分からないです」
(最初は、初恋の人からの形見分けだと思ってた……だから、私が持っていちゃいけないと思っていたはずなんだけど……今は、どうだろう……どうしても、まだ最初の頃に感じた違和感が消えてないから、素直に伝えて良いか分からない……)
 ヤキモキしている柚子の後ろから、おばあさんが声を弾ませて戻って来る。
「柚子ちゃん。中村さん家に電話したら、今からお墓来ても大丈夫よって」
「本当ですか! ありがとうございます‼」
「ここまでどうやって来たの? おばあちゃんのお墓、ここからだと結構遠いから、タクシーで夕暮れまでに着くかしら……?」
「あ、えっと……大丈夫です。多分、まだ待っててくれていると思うので……」
 ヤマネコのトラックを思い出しながら断りを入れると、おばあさんは「あらそう」と言って再び客間から姿を消した。恐らく、まだ電話が続いていたのだろう。
 柚子は他人のお墓に行くことに少しためらいながらも、おじいさんから住所を教えてもらえることになった。住所を確認した柚子は、思わず声を上げる。
「え⁉ ここって叔母さんちの……ひいおばあちゃんの家の近くです!」
「そうだったのかい? 中村さん家も、この蘭塔場の近くなんだよ。姉さんは、とみさんにだけは住所教えてるはずだと思うんだけど、手紙の一つも無かったなぁ……」
「……そうなんですね」
(そうだよ。筆まめなひいおばあちゃんが、秀子さんにだけ手紙を書かない理由が思い浮かばない……この二人には、まだ何かあるハズなんだ……!)
 柚子は丁寧に櫛をハンカチに包むと、もう一度秀子さんの写真を見てから客室を後にした。玄関前でもう一度老夫婦に頭を下げると、朱色と藍色が混ざったような西の空を見る。
(あと少しで、秀子さんに櫛を返せる……あ、そうだ!)
「すみません、ちょっと待っててください!」
 柚子は老夫婦に一言声をかけると、駆け足で元来た道を戻った。来た時と同じ場所には停まっていなくても、馴染み深いロゴのトラックは簡単に見つけることが出来た。
「すみません! あの……大和さん!」
 柚子は運転席に向かって声を上げると、中から不機嫌そうな顔の大男が現れる。しかし、柚子は臆することせず頭を下げて、彼に向かってスマホを差し出した。
「あの! これで、私と本郷さんの写真を撮ってください! お願いします‼」
「……お、おう」
 大和は少し困ったような声を出しながらも、柚子からスマホを受け取ってくれた。
 再び駆け足で老夫婦の元へ赴き、大和について軽い説明をしてから頭を下げる。
「あの、最後に、一枚だけ一緒に写真を撮ってくれませんか?」
「おお。良いよ良いよ。さっきの櫛も一緒に撮ろう……この年で姉さんの思い出を話せるなんて、思ってもみなかったからね……」
 おじいさんはそう言って、目尻を少し潤ませた。おばあさんは写真なんてと恥ずかしがったが、大和がシャッターを切る頃にはとても愛らしい笑顔を向けてくれた。
 逆光や不慣れなカメラマンの腕もあって、連射で撮影された画像はどれもピントがずれていた。しかし、柚子は移動中のトラックの中で、楽しそうに画像を選んでお気に入りフォルダに入れるのだった。

【続】※次回は12月15日に公開予定!

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