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なにがどうあれ、3.11にできること

仕事場の近くを歩きながら、ひとり黙祷でもしようかと思っていたのに、忙しさにかまけて気づいたら、14時46分を過ぎてしまっていた。

東日本大震災から丸8年。風化していく記憶が云々という書き出し自体が風化していくような、でも一方で、今もなおその真っ只中にいる人もいて。

毎年何かしなければ、何かできるのではないか、と思い続けてきました。3.11関連でいくつか記事を書いたりもしました。

3.11が遠い記憶になってしまっても、震災遺族のためにできることがある

風化する震災の記憶とどう向き合うべきか。~観光客として2度、石巻を訪れた理由

詳細は割愛しますが、福島第1原発にも行ったし、チェルノブイリ原発にも行きました。だから何だというわけではないですが、とにかく行ってみたかったので。

できることといえば、現地に行くことくらいしかない、そこで何かを感じとるしかないと思ったからです。そのくせ福島第1原発とチェルノブイリについてはまとまった文章を書けていませんが。

それはさておき、今日、帰り道にすぐできることと言えば、スマホでnoteを書くことくらいなので、ちょうど8年前のことを少しだけ。

震災当時都内で働いていた身としては、直接的な被害は受けていないですし、衝撃は受けたものの特に失ったものはありませんでした。

地震発生後すぐに帰宅命令が出て、会社がある赤坂あたりから渋谷まで歩き、結局帰れないことを確認し、時間を潰しながら唯一つながるTwitterを使い、近くに住む友人の家に泊めてもらうことができました。

渋谷から大渋滞の246沿いを民族大移動かのように黙々と歩く人々の様子が象徴的でしたが、友人宅につくと温かい鍋料理とお風呂が用意されていて、その日起きたことを一時的に忘れさせてくれました。むしろ、良い日だったと錯覚するくらいに。

妻も同僚の家に泊めてもらえましたが、歩いた距離がかなり長く、しかもそのときははっきりと分かっていませんでしたが、長男を妊娠していました。無事に産まれてきてくれて、本当に良かったです。

日々忙しいと言い訳しながら、それでも駄文のひとつでも書いて、生きている。あのときはまだほんの数センチの存在だったものが、もう7歳。

これからも、生きて、思い出す。自分にとって、3.11はそういうものです。そろそろ、家に帰らなければ。もうみんな寝てしまっているけれど。

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