せかせかした世の中から離脱したい

何かをやるとき、大抵の仕事はスピードを求められる
そんな世界とはおさらばしたい
心底そう思う
せかせかと急かされるのは、疲れる
てか、もう疲れている
齢27才にして
こう思う気持ちの根源には、意識高い系は疲れるという考えがベースにありそうだ

僕は大学生年代~社会人1年目の頃、意識高い系だった
数多くのビジネス書籍を買いあさり、読みふけり、NewsPicksの月額5000円のプランにも加入したりしていた
それに、ボーイスカウトでの活動(主に会議や運営)も積極的に行っていたため、とてもやることに追われている毎日だった
充実はしていたと思うし、その中で得た出会いや経験は今でも役に立っているものもあると思う
ただ、もうあんな日常はいいやという気持ちになっている
この気持ちの変化の原因はなんなのだろうか?
この気持ちの変化は今いる木工という環境に身を置いたからこそ表れたものだと思う
正直、しんどいのだ
というか、人から色々と言われたくないのだ
それが俺だ
意識高い系の時も色んな人に色んなことを言われてきたが、その分僕も他の人に色んなことを言っていたと思う
だから、釣り合いが取れていた感はある
けど、今はそんな気持ちになれない
だれかに何かを口うるさくいうことは気が引ける
自分が言われてきてうんざりしているからかもしれない
ただ、本当に何かを言わないといけないときは、うんざりしてきた分、言い方には気をつけることができているとは思う
それだけでも、今まで言われてきてうんざりしてきたかいがあるってもんだ

せかせかしないと成り立たないビジネスプランって正直破綻していると思う
せかせかすることが好きな人はすれば良いが、それでイライラされても困る
そうしないといけない、儲けが出ない環境には身を置いておきたくない
これは、誰もが思っているのだろうか?
思っていていても向き合っているだろうか?
少なくとも僕はこの気持ちを大事にしたい
自分のために人生を使いたいし、せかせかさせてくる環境には身を置いておきたくない

ただ、自分で決めてせかせかするのは良い
結局のところ誰かに何かを言われたり、言われることを気にして生きるのがしんどいというところに着地する

仕事の話から少しそれるが、結婚相手にもこういう人が良い
この人といると穏やかな気持ちに慣れる人
僕と居ても、その人が穏やかな気持ちに慣れる人
そんな人と生涯寄り添っていたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?