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行列のできる有名トイレの話

※昔、学士会会報誌に寄稿したもの。さすがにもう出していいよね。

「洋画の吹き替えはダメ」の嘘

 映画は聴覚だけで楽しむものではなく、視覚や雰囲気、ことによると、隣に座っている美しい彼女と目を合わせたりキスしたりしながら楽しむべきものだ。
 どうせわかりもしないネイティブの発音を耳にしながら、本来の映画の画面には登場しようはずもない「日本語の文字列」を凝視するせいで、繊細なカメラワークや美しい映像を見逃すことが、なぜ正しい映画の楽しみ方だなどと誤解する人がいるのだろうか。

 先日、ダヴィンチ・コードの日本語吹き替え版を鑑賞してきたが、公開直後ということもあり、字幕版は異様な混雑ぶりを呈していた。吹き替え版はガラガラであり、ゆったりと映画を楽しむことができた。
 映画のあと、「行列のできる有名トイレ」かと見紛うばかりの、きわめて混雑しているトイレに立ち寄った際、男性が小用を足すためには「小」用の便器を利用せねばならないという強迫観念のせいで、空いている「大」用の個室に入れずにおずおずと並んでいる様子を目撃した。筆者はそそくさと「大」用の個室に入りながら、「字幕であるか吹き替えであるか」といった差は、そう、まさに、小用を足す際に利用するものが小便器であるか大便器であるかといった程度の差異にしかならず、それにもかかわらず多くの人々が「小用の便器」に無意味にこだわるということのうちにある「名言的なもの」の堪えがたい滑稽さを確認したものだ。


よろしければ、私の映画批評もどうぞ
「私にとっての駄作映画等をかっこよくぶった切る!! ( ´ω` ∪)三(∪ ´ω` ) 」
https://note.mu/totutohoku/n/n240fe3f800b5

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