分けることは分かること

「分けること」は「分かること」。日本では昔からよく言われていることばです。分かるための唯一の方法が「分けること」ではありませんが、両方とも「分」という漢字が使われていることからも分かるための重要な方法が「分けること」であると考えられるように思います。
 調べてみると、このことについて哲学や教育、デザインの分野でも多く論考や研究があるそうです。と同時にその多くは、「分けること」×「組み立てること」がセットになっています。考えてみればあたりまえのようなのですが、実はこれがあたりまえではないように思うのですね。
 ある文章に書かれていましたが、実は「分ける脳」と「組み立てる脳」は違うといういい方で説明されていました。「脳」なんていういい方をするところが「いまふう」ですけど、プラモデル用に分解したものを再度組み直すということを想像してもらっても、その違いはわかりますよね。まして、分解するときに、組み立て直すかどうか、を想像するか否かによっても「分け方(分解の仕方)」は変わります。
 私たちがいる分野は実はこのことが苦手のようです。医療分野の人たちは徹底したミクロの思考で「分ける」ことを研究で行われます。いま世界中でウィルスについての研究が盛んに猛スピードで行われていますが、基礎的な生態学的研究は当然のようにものすごくミクロです。徹底して「分けて」おられます。しかし、同じ医療でも臨床場面では分けるだけではなく組み立てることも求められます。「分けた」はいいけど組み立てられないでは困りますよね。
 福祉や社会の分野は「分けること」が苦手なように思います。人の生活は連続しているとか、社会は複雑だとか、全く感情的な反論をよく受けます。また、ざっくとした論考を出される方も多くなかなかかみ合わないことも多いです。生活場面において、援助や支援をするとなるとこの組み立てるためにきちんと「分ける」ことができると、相手のとのコミュニケーションを深めることにもつながると思うのですけどね。
 ただ、気をつけたいのはこれは「仮想敵を倒すための戦略分析」にはあまり役に立たないということです。最近はなんでもRPG風に考える人が少なくないのですぐ「仮想敵」を作りたがります。また、セルフモデルの人たちにも私はおすすめしません。自分を自分で分けることは「ドツボ」にはまってしまいます。そちらも他の考え方でどうぞ。
 こういったプロセス論はなかなか耳慣れないかもしれません。最後に一例で、プロセスデザインの考え方の1つ「ダブルダイヤモンド」をご紹介しておきます。興味のある方はどうぞ。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今日は文体が違っています。ちょっと、昨日のインプットが悪い意味で刺激的だったのでおさめるようにこの文体で訥訥と書いております


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