マウントをとる

最近、とみに目につく言葉のひとつに「マウンティング」とか「マウントをとる」という言葉があります。

「マウントを取る(とる)」ポイントのまとめ
「マウントを取る(とる)」はもともとネット用語でした。
総合格闘技のマウントポジションが由来のようです。
意味は「言葉や行動により、相手より優位に立ち、支配しようとすること」。

そうそう。プロレスやレスリングの「あれ」ですよね。「マウントを取る」って。。。

そんな私は、いまの溢れる「マウントを取る」「マウンティング」に実はまったくついていけていない。

調べてみるとたくさんたくさん出てくるし、そのそれぞれのニュアンスも若干?かなり?違っているようで、余計に混乱をしてしまった。優位をアピールして、場や関係を支配的にするっていう意味かと思うと、直接的に「支配」のことを表していることもありだし、でも、マンスプレイニングなどの文脈では出てこない言葉のようだし。心理的な用語をたくさんつかって説明しているものもあるし、これも最近はやりの「心理的安全性」とからめて「マウント」のとりあい、と否定的に語っているものもあるし。。。
だいたい「心理的安全性」も何か違って解釈されているような気もしなくもないですし。

どこか、日本人が世界でトップクラスである「否定されることが嫌な国民」性と結びついているような気もします。もちろん、場や環境にも左右されることですから、一概にはいえないでしょうが。
マウントの取り合いをすることが必要な場面が、日常生活でどれほど必要なのでしょうか。単に支配性を保ちたいだけの人がおられて、その人と理解できなければ、そこを離脱すればいいだけのような気がします。個人的にはSNSでブロックしたりされあったりも別に批判されることではないように思いますし。支配的なことばをちりばめるだけではなく、不必要な崇め奉りもまた形を変えたマウンティングのような気もしますし、使えば使うほど、薄まる言葉だなと思います。つまりは使い勝手のよいスラングかなと思ったりしますね。

それにしても、マウントを取るがこんなに日常的に使われるのは、なぜなのでしょうか。そのことの方が気になります

結局は、序列化された、階層化が進む社会事情を反映しているといえるのでしょうね。
マウントしあわない共感しあう集団という消費コンテンツがあふれてしまい、そのことも階層序列化しているいまの社会の中で、私たちの生きづらさがあふれていることを示すことばの一つなのかもしれません。


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