「消費」というOS

MOTION GALLERYというクラウドファンディング・サイトを運営している大高健志氏が書かれているnoteの記事が友人のSNSに紹介されていて読ませていただいた。内容はクラウドファンディングは「応援消費」か?という話。

この記事の中で、彼は「消費というOS」ということばを使われている。

この胎動が、単に消費という古いOSに「物語性」を纏わせる事で旧態然とした社会の形を保つだけに終わるのではなく、SDGsを達成する大きなパラダイムシフトにも絶対なるはずの「消費生産者=プロシューマー」という新しいOSの拡大のためにみんなで使い倒すものに、クラウドファンディングが位置づけられるようにしたい。

「消費」と「生産」を結びつけた【プロシューマー】。アルビン・トフラーの造語で彼の著作が1980年だから、それこそ新しくはない。私などは、読んだときに懐かしいなぁと思ったほど。「第3の波」も本棚のどこかにあるはず。いま調べてみると、トフラーはずっと現代社会への警鐘的な発言を続けているようだ(彼のスタンスで)。

消費というOSが現代社会の古いOSで、そのことを「新しく」していくことを指向するという人たちはいろいろなスタンスで発信されていくのをみるにつけ、なんともいえない微妙な水滴のような違和感を感じつづけている。そのことをまだ、明確に言語表現できないのだけれど、消費というOSが古く、パラダイムシフトが起こった後の新しいOSが「消費生産」であるとして、そのOSがベースになったときに、使えなくなる「人たち」は依然として、消費されつづけるだろうということになるだろうか。それこそ、新しい「消費生産」OSに消費される存在として残存せざるを得ないようなそんな疑問である。

パラダイムシフトというからには、いまの社会とは全く違う世界が生まれていくということなのかもしれない。それこそ、まさに今年起こったようないまの社会を根底からくつがえしていくような事象が突然起こることによって、その世界の中で生物的に生きながらえていくようなことなのかもしれない。そうなると、あらためてOSというものを考えざるをえないような気もするつまり、OSをベースにするという論理構成そのものを変えない限りパラダイムシフトは起こらないのかもしれない。

移り変わっていく社会、世界の中で、歴史家が後世から評価することではなく、いま、私たちが見えて接する時間と空間は、それほどに劇的にかわるものではない。少なくとも人間が日常的に起こしていくことをしては。果たして、ムーブメントは能動的におこっていくものなのか、それとも中動態としておこっていくものなのか。そんなことを考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?