「おしまい」の質感

昨日また、女性声優結婚のニュースが流れた。

Twitter(現X)を歩けば半年に一度は女性声優の結婚に当たり、その度にそれを嘆く人たちが現れる。
しかし冷笑系オタクであるところのわたしには、女性声優の結婚で騒いでいる人たちはちょっとよくわからないなというのが正直なところだった。

ただ祝福すれば良くね?と。
そう思っていた。

そういう声優の結婚発表のたびに、「我々オタクが推し活にお金と時間を使っている間に声優はきちんと人生を進めていることにショックを受けてる」みたいな言説がいいねとRTを稼いでいるのを見ても、なんかあまり共感をしなかった。

でも昨日の結婚発表は推しに近しい人間の結婚発表だったからか、その「声優はきちんと人生を進めているのに自分はそうではない」という言説が、ものすごく人ごとではないように思われてきた。

推しが今後もし、結婚を発表する時が来たとして。
祝福すると同時に、きっと言いようのない寂しさを感じるんだろうと思った。
自分だけが置き去りにされている、そんな感覚を感じるのかもなと思った。
ちょうど今、すごい就職先を掴んだり、素敵な恋人を作ったりしている友人たちに感じているのと同じようなある種の劣等感。


少し年上の友人たちは、最近新しいコンテンツ(と、脂っこい食べ物)をだんだん受け付けなくなってきた、と言っていた。

自分もいつか、そうなるんだろうか。
今はありがたいことに、友人や趣味に恵まれているけれど。
もし自分も新しいものを受け付けなくなり、加えて今嬉々としてやっている趣味を失ってしまったとき、何を楽しみに生きていくんだろうか。

楽しみな予定でも、友人でも、趣味でも、「何かのため」にしか頑張ることのできない自分が、全てを失ったらどうするのか。

寂しがりなくせにモテない自分だから、将来は玄関を開けても誰も待っていないんだろうな、とか。

そうやって1人になってる自分はなんのために生きる?

それがTwitterに溢れる言説「30を過ぎた独身男性は突然終わる」ということなのだと気づいた。

社会人を前にして感じていた漠然とした憂鬱が、リアルな質感を伴って自分の前に現れた。

こんな最悪な未来が訪れないといいなと願っている。

いっぱい悩んだ日々は 決して無駄じゃないから
─少女交響曲 Wake Up, Girls! ─
そうあってくれたらいいけれど。


田中美海さん、ご結婚おめでとうございます。
なんかダシにしたみたいになってごめんなさい。



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