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平成東京大学物語 第12話 〜35歳無職元東大生、初恋を語る〜

 深夜、ぼくは、人生で唯一、告白をした女の子のことを思い出した。ぼくの記念すべき東京での最初の堕落行為を捧げた女の子のことだった。丸いメタルフレームの眼鏡をかけていた。ぼくが社会人になったころに丸眼鏡が流行り、街中でもよく見かけるようになったが、当時はそんな眼鏡なんて誰もかけていなかった。英語の授業で、買ってみたい服を一人一人英語で紹介するという日があった。彼女は Animal tail と発表した。彼女の美的感覚についてはやや理解が難しいところがあった。でも彼女のぱっちりとしたかたちのよい瞳はとても愛らしく、白い肌はいつもしっとりと濡れていた。たぬきのように丸いりんかくをしていて、まじりけのない黒い髪がつやめいた白い肌をひきしめているようだった。

 ぼくはほとんど一目で淡い恋に落ちた。ぼくらは三年間同じクラスで、一年生の冬から二年生の夏にかけてずっと席が近かった。月に一度の席替えのたびに彼女は、また一緒ったいね〜、といたずらっぽく微笑むのであった。人懐っこい彼女が投げかける一言一言にぼくは恋心をつのらせていった。うぶだったのである。今にして思えば、彼女は周りの人たちへのやさしい気遣いをぼくにも分け隔てなく与えていただけだった。音楽の授業のとき、音楽室には机がなく、パイプ椅子を丸く並べて座っていたのだったが、ある男が、彼女…名前を松久さんと言った…松久さんが隣の女の子とはしゃいで足をばたつかせたときに、白いふとももの奥にひそんだ神秘を拝んだと言っていた…。それは淡く神聖な水色をしていたと言っていた…友人は、それをわざわざ報告してくれたのである…そのことがあってから、ぼくはひそかに恋するに飽き足らなくなった。彼女の柔肌をなんとしてでもこの腕に抱きたくなった。

 当時、携帯電話が普及し始め、地方の高校生でも一人一台は持てるようになりつつあった。これは革新的な変化だった。学校で話すことができなくとも、もっとも話したいことが話せなくとも、簡単に、誰にも知られることなく言葉を伝えることができるようになったのである。これはぼくの初恋を力強く手助けした。ぼくは学校で話している間は彼女に自分の思いを伝えるどころか、それとなくにおわすことすらできずにいた。そうして彼女を知って一年もたったころ、ぼくも親を説き伏せて携帯電話を入手し、すぐにクラスメイトと連絡先を交換した。その中にはもちろん彼女も含まれていた。ぼくは誰にも松久さんへの思いを悟られることなく、彼女とのホットラインを構築することができたのである。ちまちまとメールを始めた。当時はラインやフェイスブックのメッセンジャーなんてなかったので、わざわざ件名と本文を書いてやりとりした。松久さんはたわいもないやり取りにも文末に必ずハートマークを付け足していた。これがぼくには彼女もぼくを求めていることのなによりの証拠だった。ぼくが教室で思いを伝えることができないように、彼女もぼくと一緒になりたいと思っていてもその気持ちを伝えることができないのだった。だから文末のハートマークなのだ。時には同じハートマークをふたつもみっつもつけていることがあった。それを見るたびに彼女ももう我慢ならなくなっているのだ、ぼくと二人きりでありとあらゆることを試してみたいのだと確信した。

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