見出し画像

平成東京大学物語 第3話 〜35歳無職元東大生、親の家業と好きだった女子大生アルバイトを思い出し、ギザ10について語る〜

 ぼくの両親は、田舎で小さな食堂を営んでいた。歴史の荒波の中では、とくに、あらゆる事象の変化のスピードが増している現代においては、誰の記憶からもまばたきの間に消えてしまうような、ひとつぶの砂利のような店だった。店は両親で切り盛りしていたが、お手伝いのおばさんが厨房を、女子大生のアルバイトが客席への給仕を、入れ代わり立ち代わり、手伝っていた。彼女たちはぼくを坊ちゃまと呼んでいた。ぼくは、それを当然のことだと思っていた。

 給仕を担当していたアルバイトの女子大生のことが、好きだった。小学校の半ばごろ、夜、客が帰って静まりかえった店内のレジで、おもむろに彼女は、10枚ずつ積み上げられた十円玉の山のひとつを手にとり、かがんで、自分の胸元にもってきて、ぼくに、ふちにギザギザがついた十円玉があることを見せてくれた。

「10円玉にはね、ギザギザのついたとの、あっとよ。珍しかけん、もらっとかんね。」

 まだ背の小さいぼくに、彼女の豊かな胸の前にあるギザギザのついた十円玉は、とても素敵なものに思えた。普通の十円玉のふちにはギザギザがついていないのであるが、まれに、ふちにギザギザのついた十円玉があるのだという。そんな心躍る話を彼女から聞いてからというもの、ぼくはおつりで十円玉をもらったらどんなときでも必ずそのふちを確認し、ギザギザのついたものを見つけては、ドラえもんをかたどった陶器製の貯金箱にいれていった。40歳が近づいた今でもぼくは同じ貯金箱を使って同じようにギザギザのついた十円玉を集めている。そのコレクションは、ゆうに2000枚を越した。

いつもサポートいただき、ありがとうございます。本当に嬉しいです。