出会い(1)

「必ず帰って来るから。大丈夫」
 そう言い残して、私の姉達は家から出ていった。お父さんの触手を掴んで、私は戦闘服に身を包んだ姉達を見送った。
 姉達は、それから二度と帰って来なかった。
 お姉ちゃん達はいつ帰って来るのと、次の日私はお父さんに言った。
「スグニ戻ル」
 そうお父さんは言った。私は素直にそれを信じた。というより、信じる以外に何も出来なかった。
 1週間後、まだ帰って来ないのかと、私はお父さんに言った。
「マダ待テ」
 そうお父さんは言った。そういうものなのだろうかと思いながらも、私は引き下がった。
 お姉ちゃん達はうそつきだと、1ヶ月後に私はお父さんに言った。
「ウソデハナイ」
 そうお父さんは言った。なんでも、《《あいつ》》を倒さなければいけないそうだ。そして金色の首飾りをつけ、ワサビを何本か持って、お父さんも姉達と同様に家を出ていった。お父さんの後ろ姿を、私は静かに見ていた。
 本当はみんなで何かを隠しているのではと思い、私は密かにお父さんの後を追いかけた。お父さんお気に入りの派手なU.F.O.の背中にこっそりとよじ登り、好奇心で目を輝かせた。
 お父さんが向かった先はいつも私が住んでいた薄汚れた都市の近くでは無く、どうやらスタジアムか、あるいはミュージックホールのような外周を持った奇妙な場所だった。黄緑とピンクのネオンが妖しく蠢いていて、一種の催眠かと錯覚しそうだった。
 その場所でお父さんは縦横無尽に動き回り、他のオクタリアンを召喚してオレンジ色の何かを倒そうとしていた。
 しかし、私の仲間達は無残にもオレンジのインクとなって斃《たお》れていった。
 ある者はオレンジが撃つ弾のようなもので四散し、他はオレンジが転がす物体によって消えていった。
 その光景を、私は呆然として見守っていた。
 私は弱冠12歳ながら、深い憎悪の念に囚われた。
 死という概念に直面してびっくりしていたのもあるだろうが、それ以前に、オクタリアンとしてのプライドが大きく傷つけられた。お父さんが何をしていたかなんて、どうでもよかった。
 誰なのだ、あれは。
 あのオレンジ色のヤツは、一体誰なのか。まさか戦闘演習ではあるまい。
 いや、そもそも何故、戦っているのか。腹の中から突き上げるような、そんな疑問が生まれた。
 しかし、それはすぐに消えていった。それ以上の衝動が心をどす黒く塗り潰し、身体を動かしていた。刻まれた宿命が、そう命令していた。
 理由なんて、どうでもいい。
 あれは、敵だ。
 私は無我夢中でU.F.O.から跳び上がり、心底驚いた表情を浮かべた敵目がけて拳をふるった。
 瞬間、視界がオレンジ色の幕で覆われた。

「……とまあ、こんな感じです」
 私は、そこで教官への志望動機の話を終えた。忘れられない過去が蘇りまた頭が暴走しそうになるが、16歳になった私はなんとか気持ちを抑えることに成功する。
「なるほど……よし、キミは採用だ」
「……!」
 それはさすがに速すぎでは。
 教官の即断即決な性格に驚くが、それと同時に晴れてオクタリアン戦線に投入されることに誇りを感じる。
 初めて『インクリング』なる生物を目撃したあの日、私は奇跡的に救出されたらしい。お父さんが鬼神の如く追い払ってくれたそうだ。
 あの時私は重度のインク欠乏症だと、ドクターからのちに教えてもらった。私の身体に流れているピンクのインクとは違う種類のインクを大量に、しかも顔面を中心に浴びてしまったせいで、まさに九死に一生を得た感じだったと話していた。
 そのことがあって、私は即日タコゾネス工兵になることを決めた。理由はもちろん、仲間や姉達を死に追いやり、私を死亡寸前にまで追い込んだインクリングを殲滅するためだ。
 それも、徹底的に。
 そのために私はツケネ訓練所に入り、オクタシューターの扱いを学んだりインクリングの生態を頭に覚えこませたりした。先輩達の模擬訓練を見学して、技術を吸収しようと躍起になったりもした。そしてつい先月、私は高等科を総合成績トップで卒業し、タコゾネス工兵の一員になる資格が得られたのだ。
「それじゃあ、このIDカードとタコゾネス工兵第8小隊の軍服、そしてキミ専用のオクタシューターセットを持って、コロニーBの第3区画へ向かってくれ」
 教官の促す声で、私は我に返る。はっと前を見ると、教官が私の新しいIDカードとタコゾネスプロテクターを手渡していた。急いでそれらを受け取る。IDカードを早速首から提げて、プロテクターを装着する。
「……すごい……」
「はい、オクタシューター」
 続いて、白黒デザインのブキを手に取る。ずっしりとした重みは、これまで扱ってきた訓練用シューターとは全く異なることを感じさせた。
「スプラッシュボム。インクリングの使うそれに似せてあるが、中身は致死性の高いインクだ。ネル社の研究員が、お前が前代未聞の好成績を叩き出したと聞きつけて造り上げてくれた。感謝しろよ」
 小さくなったり大きくなったり、材質は硬いのに伸縮性のある正四面体を受け取る。軽く揺らすと、中のピンク色の液体がちゃぷちゃぷと動いた。これを3個、腰に装着する。
「そして、2年前にイカ世界からエージェントマリネが持ち帰ったのを基に作成された、ジェットパック」
 湾曲してずっしり重いジェットパックを、教官から受け取る。常に背中にせおっているインクタンクにとりあえずひっかけた。
 ジェットパック……確か、はるか昔に存在した文明のコトバで、『跳ぶ装置』では。あれ、違った?
「……よし、これで準備完了だ。最後に、質問はあるか?」
 パンパンと手を打ち付け、教官が訊いてくる。
「……ありません」
 心を入れ替えて覚悟を決めた私は、一度深呼吸をして席から立ち上がった。教官も立ち上がり、手が差し出される。
「活躍を、期待している」
 私は、力強くその手を握り返した。ゆっくりと手を離し、面接室の扉を開ける。後ろを振り返り、長年お世話になった教官にお辞儀をして、扉を閉めた。
「……ふう……」
 採用された時は喜びでいっぱいだったが、今の私は覚悟で満ちていた。
 殺された姉達や仲間達のために。
 そしてなにより、自分のために。
 
 あのイカを、駆逐する。

「―あ、ちょっと待った」
 不意に後ろの扉がバタンと開き、教官が出てきた。せっかくの雰囲気を台無しにされて、私は少し落胆する。クルリと方向転換して、教官に向き直った。
「ごめんごめん、配属先を間違えていた」
 いや、それはごめんごめんでは済まない。
「キミはエージェントマリネと同じく、《《イカ世界の諜報活動を進めろ》》」
「……!」
 続いた思わぬ言葉に、私は戦慄した。しかし、その戦慄はすぐに消えていく。
「……分かりました」
 静かにうなずき、私は今度こそ面接室を後にした。。


「……ここが……イカの世界……」
 そろりそろりと、私はマンホールから顔を出した。ずっとマンホールを伝っていたせいで日差しが眩しく、思わず目を瞑る。
 段々と刺激が弱くなってきたところで目を開けると、そこに広がっていたのは、思った以上にポップな光景だった。
 自分と同じような見た目の男女が、テーブルを囲ったりベンチに座ったりして会話を楽しんでいた。みんながみんな笑顔を浮かべている。
 それは、私の思い浮かべていたインクリング像とはかけ離れていた。もっと冷酷で、平気で私達タコを殺すような奴らしかいないのだとばかり考えていた。
 もしかしたら、私達が思っているほどイカ達は悪くないのでは。そんな考えが、一瞬頭をよぎる。
 いや、そうとは限らない。日頃から相手を欺く訓練をしているのではないか。そうだ、きっとそうだ。だから、あんなに俊敏で驚異的な動きが身につくのだ。
 半ば強引に頭を納得させ、私は本来の冷酷さを取り戻す。
 四苦八苦しながら腕に力を入れて身体をマンホールから抜き出し、なんとか全身が外界に触れる。
「ふう……」
 マンホールから出るのに、これだけ時間がかかるとは。イカの世界では、誰かがマンホールを通ることは想定されていないのだろうか。
 不意に、昼間なのにヒンヤリとした空気が肌を掠める。ビクッとして後ろを振り返ると、おんぼろのオレンジ色の看板が無造作に掲げられていた。
「……ク、クマサン商会……?」
 どうやら、ここは何らかのお店のようだ。シャッターが閉まっているのを確認し、ホッと一息つく。お店はやっていなさそうだ。潜入開始で速攻見つかったら、たまったもんじゃない。
 裏路地のようで、人気は全くなかった。心配し過ぎか、と気を落ち着ける。
 手持ちのブキやサブウェポンが見えないことを確認し、私は一歩踏み出した。
「でし? そこのキミ、何やっているんでしか?」
「……!?」
 突然声をかけられ、やっと落ち着いてきた胸がまた緊張に満たされる。驚いて右を見ると、眼鏡をかけたカブトガニのような生物がこちらを見ていた。着ているのは、作業服だろうか。
「クマサン商会は今日は休みでしよ」
「……」
 私は咄嗟に返答できず、言葉に詰まる。ツケネ訓練所で散々練習したイカ語が、単語さえも思い出せない。
「……? 大丈夫でしか?」
 ようやく、習ったイカ語が明瞭に頭に浮かんでくる。
「……え、えっと……道に迷っちゃって」
 しまった。裏路地で道に迷うなんて、誰が言うのだろうか。これで怪しさが増してしまった。私は心の中で頭を抱える。
「それは大変でしね。あっちへ行くと広場に出れるでしよ」
 カブトガニは、全く変わらない表情で左手を私の前方に向けた。
 前言撤回。このカブトガニは予想以上にアホのようだ。あとで調査メモに書いておこう。カブトガニはアホ。
「あ、ありがとうございます……」
 ふう、なんとか切り抜けられた。お辞儀をして、広場の方へ歩いて行く。
 なんか、案外イカ達に勝つの、簡単では。

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