今の自分にビジョンがなくても。
2020年5月23日(金)
人生で初めて内定をもらい、就活を終了した日だ。
あれから約8か月が経ち、まもなく人生の夏休みともいわれる時間が終わろうとしている。
3月は引っ越しなどで忙しいことを考えれば、残り一か月。
そんな節目を前に、この8か月間を振り返ろうと思う。
比較し、足掻く。
この八か月間、誰がどうみても自由だった。
いつどこで誰と何をしてもいい、そんな時間だった。
僕はそんな時間の中で何をしていたかと言えば、納得のいくビジョンを探し続けていた。
就活中散々やったはずなのに、どうしても納得できていなかったのだ。
そんな自分の内面にあるモヤモヤ感に加え、明確なビジョンを持って行動する友人たちに焦っていた。
だからこそ、どうにか自分の納得いくビジョンを見つけたくて日々自分に向き合い続けていた。
ただ、どんな本や記事を参考に取り組んでみても、納得いく答えは出なかった。
正直、どれだけ考えても見つからないことに対して落胆するのではなく、もうないものとして割り切るべきなんじゃないかと何度も思った。
周りの人にもビジョンがあるからいい、ないからダメというわけではないとも言われた。
その通りだと思った。理屈で言えばそうだとわかっていた。
でも、どうしても見つけたかった。
だから考え続けた。
唐突な終わり。
そんなこんなでグダグダ考え続け、気が付けば1月も折り返しを迎えようとしていた。
僕は相変わらず最寄りのタリーズでモカマキアートを注文し、B5ノートにペンを走らせていた。
余談だが、この頃になって初めてタリーズカードなるものが存在することを知り、広島の記念にとセトウチ限定のカードを作った。
10円引きは何気にチリツモだ。
そんなある日、急に気持ちが切れた。
というよりも納得した。
今の自分には本当に叶えたいと思えるビジョンはない、と。
正直なところ、なぜ急にこうなったかは全く分からないし、覚えていない。
ただこれだけ考えて分からなかったなら、いったん分かった部分までに納得して行動してみる方が今の時間の使い道としては正しいんじゃないか?
と納得できた。
そう思うと、すっと心が軽くなって、ビジョンに縛られず、今やりたいことをやろうと力が湧き出てきた。
無い事を受け入れる。
将来のビジョンを明確に設定し、そこから逆算して今自分にできること、必要なことに取り組む、というのはやっぱり魅力的だし憧れる。
それにこれだけ長くの時間を割いて考えて、答えはありませんでした、というのは拍子抜けでもある。
ただどれだけ嘆いたとて、費やした時間は返ってこない。
それにビジョンは分からなくても、この一年間で気が付けたことは沢山あった。
食及び健康に興味があること。
意外とアウトドアも好きだったこと。
結局何かを作ることに興味があること。
自分が納得するまでやりきりたいこと。
鬱や孤独、死といったものに興味があること。
幼い頃から年を重ねるにつれ、どんどん拘りが強くなっていること。
何より、心と身体が大切であること。
少し考えてみただけでもこれだけのことに気が付けたことを思えば、決して無駄ではなかったと思う。
今の自分を受け入れ、心に従って行動し、また見つめなおす。
残り少ない学生生活の中でもできることは沢山ある。
社会人を迎えるとき、また今とは違う観点で自分を見つめられるよう、後悔ない日々を過ごしていく。
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