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4月1日は結婚記念日&ベイルート~アンマン~アカバ移動の忘れられない記憶

もう過ぎ去ったエイプリルフール、令和4年度の一日目でしたが、我が家にとっては記念日でもあります。

それはなんと

結婚記念日!

なんですが、実は今まで一度もお祝いらしいものはしたことない。笑 

新年度ってなんだかバタバタするし、朝覚えてても、ふつーに夕ご飯食べながらふたりとも

「はっ! 昼まではおぼえてたのに!!」

とかいいながらふつーに終了。笑

なんで4月1日に籍入れたか、というと「エイプリルフールなら、ぜってー忘れねーだろう」と思ったんですがね。甘かった。汗

最終的には日を跨ぐ前に思い出してはいるし、二人ともそこに触れずにやり過ごす、というほど夫婦仲が冷めているわけでもないので、ま、いいか、と。 というわけで世間的には忘れちゃいけないけど、ワシらは忘れてても特段問題ナシ。

そんなワシらは誕生日も「おめでと」のひとことぐらいであとはふつー。どちらかというと自分たちの誕生日を祝うより、亡くなった人や犬や猫の命日近くになると「こんなんだったね、こんなことしてたね」と言って偲ぶことの方が多いです。

そして私個人としては、必ず2003年の4月1日を思い出します。

それは今から遡ること9年前の2003年の3月。 熊を日本に残してわたくし一人旅でレバノン共和国の首都ベイルートに居りました。 イタリア~トルコ~レバノンという順番で南下して、レバノンでは巨石で有名なローマ時代の遺跡バールベックへ行きました。 

そして隣国ヨルダンヘ移動、という日。 フライトは午後だったので午前中はベイルートの中心部のゴールド・スークへ歩いて出かけました。

めっちゃ綺麗でブランドの店がズラリ。 あ、これはお呼びでない、とすぐ退散。 70~80年代の内戦の後、立て直したんでしょうね、メチャピカピカでした。 

そういう綺麗なところは何も面白くないので、スークを出て歩くといろいろ内戦の痕が残っていました。

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確かホテルサンルートって「地球の迷い方」に書いてあったような…

バンコクによくある幽霊ビルみたいだけど…97年のアジア通貨危機の後、建設中のまま放置されたビル(ここ10年位の間で大分無くなった気がする)と決定的に違うのは、無数の弾痕でしょう。

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上の方の壁、めっちゃ穴あいてる

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元はホテルの一室だった廃墟

今ニュースでよく見るウクライナの映像といってもわからない位。      戦争とか紛争で一度壊されてしまうと元に戻すのはどれだけ大変かを感じさせます。

そんな感じのベイルートの中心街をてくてくしていたら、目の前にちっさいアジア人の女の子がビーグル犬らしきわんこのリードを引っ張って何やら言っている。

「いい子だからお家帰るよ~、ねえ、歩いてよ~」 どうやらわんこが帰宅拒否のイヤイヤを発動している模様。

「Hi, お散歩? わんちゃんに触っても大丈夫?」と声をかけました。

彼女とわんこの名前はもう忘れちゃったけど、フィリピンから来てもう3年位経つこと、家政婦として働いている家は今のところで2軒目だ、ということを聞きました。

「家の人は優しくしてくれる?」と聞くと、

「前の家のマダムはあんまり優しくなかったけど、今のマダムは優しいよ! クリスマスは一週間フィリピンに帰っていいよ、って帰らせてくれるよ!」

と言っていました。

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「もうお願いだからこまらせないで~」とわんこを抱きしめる彼女

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「ねえ、いい子だから帰ろう」…「しょうがねえなあ」

「もうすぐお昼だから急いで帰らなきゃ」という彼女と別れ、歩きだして数歩…うん、お昼?

とちょうどゴールド・スーク近くの公園みたいなところに大きな時計があって、11時40分を指している…私の時計は10時40分

…ヤバい!  今日は4月1日だ! サマータイム!だよ1時間繰り上がってるー! 飛行機乗り遅れるー!

実はわたくし、それまでに2回飛行機乗り遅れた実績があります。(ともに国際線 汗)
フライトは14時半頃だったと思います。 ホテルからタクシーで空港へは30分はかかるので、猛ダッシュでホテルへ帰りました。 荷物はまとめてあったので、すぐチェックアウトしてタクシー呼んでもらって空港へ向かいました。 

いや、その前に。 

そんな時間無いにも関わらず、毎日通ったサンドイッチとジュースのスタンドのジュースが最後に飲みたい! 最後に食べたい! と全力ダッシュでスタンドへ行ってゲット!

いやー、ほんとに食い意地はってて我ながら恥ずかしいですけど、残りの人生でもう二度とレバノンへ来ることはまずない、と思うと諦めきれませんでした。

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BARBARていうのかな? 絶品サンドイッチのお店

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綺麗だし美味しそう~

魚介系の具が充実してて、ほんとは一種類みたいなんだけど英語全然通じないけど頼み込んで二種類挟んでもらってた。(選びきれなかった)

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お兄さん、無理言ってごめんね

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イカリングフライと小海老のサンドイッチ 

ソースの味が他の国とレベルが違う! レバノン、味のセンス凄いですー!

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うう、超美味しいジュースだから全種類制覇してみたかった…

「そんなにジュースの値段変わる?時価?」と思うけど、政情不安で物価変動の激しさが「書くのめんどいわ!」と電光掲示板にさせたんでしょうか…

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空港へ向かうタクシーの中で最後のイチゴジュース めちゃ濃くて美味!

ジュースとサンドウィッチを堪能し、フライトに無事間に合い、ベイルートからヨルダンのアンマン空港乗り継ぎでエジプトとの国境近くのアカバへ向かいます。 アンマンからアカバへのフライトが20時とかだったので、アンマンの空港で3時間程乗り継ぎ時間がありました。 

3時間は中途半端に長い。汗 でも下手に時間潰しでアクシデントが起こるとかもヤダ。 ので、乗り継ぎのチェックインカウンターの近くのベンチに座ってただ待つことにしました。

1時間位経った頃でしょうか、イヤホンでMP3プレイヤーの音楽を聴いていたのですが、イヤホン飛び越えてつんざくような

「ウーウーウーウーウーウー!!!!」

という警戒警報みたいなのが鳴り出しました! 

割と長く20秒位?鳴ってたと思いますが、その間めっちゃビビッてたと思います、ワタクシ。汗 

音が鳴り続けてる間、「いつまで鳴ってんの? 次どうすればいい?」が頭の中でぐるぐるしていました。

鳴りやんでから近くにいた航空会社の職員らしき人に

「今のなにっ?!何の警報? 避難とかしないといけないの?」


と叫んだら。 肩をすくめて「誰か間違えて押したと思うよ」と言ってスタスタ歩いていってしまいました…

その後は、いやもう落ち着かない。 政情不安なレバノンを出てヨルダンに着いてほっとしているところだっただけに。汗 もうこのままじっとしてよう、とチェックインカウンターが開くまで長い長ーい時間をびくびくしながら過ごしたのでした。

レバノンの前にトルコのカッパドキアで現地ツアーに参加した時一緒になった香港人の若くてお洒落なナイスガイ2人組には、「次はレバノンに行く」と言ったら「レバノンは大丈夫なの?」と言われたし、ドイツ人の初老のおばさまにも「治安とか平気?」と心配されました。 長く内戦していたからなんとなく危ない印象もあるし、外国人旅行者はホントに少ないと思いました。

正直、日本でもレバノンの最新情報て殆ど無く、旅行記も二人位の方のを発見したのみ。 まあ旅行に出てからはCNNとか英語のニュースやサイトで情報をチェックしてました。

「一週間ほど前に内閣総辞職したから、『特に現政権に抗議の』っていうインシデントは起こる可能性少ないんじゃない?」と香港のナイスガイ達に言ったら、ちょっと顔見合わせて苦笑してました。 レバノンてキリスト教マロン派とかイスラム教シーア派スンニ派などの対立が激しくてそんなことはしょっちゅうだ、ていうことはその当時知っていましたが、2020年に大きなニュースになった穀物貯蔵庫の爆破の後、1年位政治空白があったとか。汗 日本では、つーか普通の国ではあり得ん。 

1990年から2005年位まで現在内戦状態のシリア軍が駐留してて、2003年の9月に国連安保理で政治的独立なんかを決議したので、私が行った頃はそのちょうど半年くらい前で割と穏やかな時期だったんですよね。

2005年にまたテロで指導者が暗殺されたりすると、シーア派のヒズボラとイスラエルの間でドンパチやり始めちゃって、対シリア、対イスラエルで宗派間の争いが絶えない。

国際的にはテロ組織とされているヒズボラ(ヒズブッラーが正しい発音らしい)ですが、バールベックの遺跡の辺りはヒズボラの支配地域で、街のそこかしこに旗がハタハタしてました。 病院らしき建物にも旗が立ってた。

 学校とか貧困層の為のインフラとか政府でなくヒズボラやっているので、地元では「政府がしてくれないことをヒズボラがしてくれてる」て感じなのかな、と思いました。

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ベイルートの街中で出会ったマリアン 

彼女は地図を見ながら歩いてたら、迷ってると思ったのか話しかけてきてくれた。 スイーツのこととかいろいろ教えてくれました。

その後無事に(?)アンマン~アカバのフライトに搭乗し、ホテル予約サイトで予約した安ホテルに着いたら、どうやらエジプト人の出稼ぎ建設労働者が長期滞在に使うホテルらしく、ツイン予約したはずなのにベッドが四つもあったりドアの鍵が若干心元無かったりしたのですが、シャワーを浴びたらもう日付が変わる時刻で、一日の疲れがどっと出て泥のように眠りにつきました。 

翌日はペトラ遺跡のあるワディ・ムーサへ向かうために早朝チェックアウトしようとしたら、フロント前のカフェのテーブルの上に寝てるスタッフ発見。汗  フロントに人いない…と思ったらフロント内側の床でもう一人スタッフがお眠りになっていたので、そっと鍵を置いて出てきました。

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アカバ湾に面するリゾートの街にあるエジプト人土方さん達御用達ホテル


正直、ペトラ遺跡は広大で見応えあるっちゃあるけど、この4月1日の濃ゆい内容がその記憶を凌駕しています。笑  そして殆ど外国人観光客のいないバールベック遺跡はゆっくり静かに遺跡を堪能できて、本当に行ってよかったです。 後にコソボで出会った国連加盟国を制覇中(8割位?)の旅行者の方に「本当はシリアのパルミラに行きたかった」と言ったら、「バールベックの方が凄いですよ」と言われました。

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「6本大列柱」の下の巨石が有名らしい 黄色の丸がわかりにくいけど人のサイズ

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遺跡観光でのお約束写真

親切なオジ様が「カメラ貸して! そこに手を伸ばして立って!」と指導して撮ってくださいました 笑

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かなり壊れてしまっていて、残っている建造物の方が少ない模様

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維持管理は…ただ崩れ行くのを見守ってるだけ、なのかしら…

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併設の博物館の「巨石をこんな感じで運んだのかな?」という想像図   実際にどうやって運んだかは定かでないらしい

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バールベックから見るレバノン杉と雪をかぶった山々 

レバノン杉は国旗にも描かれていて、国のシンボルらしいけど乱伐で数千本と少なくなってしまったそう そしてレバノンという国名は「白い山脈」という意味だそうです

なんだか旅行記みたくなりましたがそういうわけで。          あの娘はまだレバノンで働いているのかしら、あのスタンドのサンドウィッチが食べたい&ジュースが飲みたいなあ、などと必ず思い返す4月1日なのでした。

おわり




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