物乞いレッスンの朝1

物乞いレッスンの朝


去年の暮れ、僕は12年住んだ千葉を去り、東京に引っ越した。長く住んだアパートを引き渡すため、ぐちゃぐちゃになった部屋の中を整理していたら、汚いインスタントコーヒーの瓶の底から、小さな南京錠が転がり落ちてきた。



とっくに無くしたものだと思ったのに、なぜここにあるんだろう?
僕の中で10年以上前の夏の朝がブワッと蘇った。





1.

それは冷たい夏の日の朝のことだった。僕は変な臭いで目が覚めた。



僕は敷かれた冷たいダンボールの上で、寝袋に包まって寝ていた。一瞬ここがどこだかわからなくなったが、すぐに思い出した。ここは京都、嵐山の近くの公園のあずまや。ヒッチハイク旅行の途中だった。



僕は裕一郎、政司と3人で旅行していた。横浜のランドマークタワーから鹿児島までヒッチハイクで行き、そこから船に乗って沖縄に帰るというのが旅の目的だった。

京都に着いたのは、旅行も中盤にさしかかった頃だった。その日はかなり肌寒かった。というのも2003年の夏は記録的な冷夏で、ジャージでも着ないと耐えられない日が多かった。特に前日の夜は小雨も降ってとにかく寒かった。雨をしのぐためにあずまやに入ったのはいいものの、そのまま寝袋に入っても寒いので、よくないことだとわかりつつコンビニでダンボールをもらってきて、それを敷いて寝たのだった。

僕は右を下にして横向きになって、二人を見る。裕一郎と政司はまだ寝袋に入って寝ている。外はしとしと小雨が降っていて、まだまだ寒い。僕ももう少し寝ようと思い寝袋にもぐる。ところがさっきから変な匂いがして眠れない。

そうだ、この臭いだ。

目がさめるにつれ、臭いを無視できなくなってきた。なんなんだこの臭いは。強烈な汗の臭いだ。始めは自分の寝袋から臭いがするのかなと思った。ところが嗅いでもそんなにくさいとは思えない。それよりも、僕の後ろから臭いがする気がする。
そう、僕の後ろのやつだ。そいつが臭いのだ。


・・・・後ろのやつって誰?


僕は振り返る。







そこには知らないおっさんが寝ていた。





2.
僕が驚いて飛び起きると、そのおっさんも目を覚ました。

年は50代ぐらいだろうか。頭はてっぺんを中心にハゲ散らかしていて、着ている灰色のTシャツはヨレヨレ。歯はボロボロ。全身真っ黒に日焼けしている。他は痩せているが腹だけぷっくり膨れている。強烈な口臭がした。


どう見てもホームレス。わざわざどこかからダンボールを運んできて、僕の隣で寝たのだろう。

「あんたら」

おっさんは機嫌が悪そうだった。

「何勝手にここで寝てんだよ、ここは俺が寝る場所だぞ」

「えっ?いつもここで寝てるんですか?」
「ここで寝てないんだったらどこで寝てると思ってんだよ、バカ」

すごい言いようだ。彼からしたら勝手に家に上がられたようなものかもしれないけど、そんなこと知るわけないじゃないか。

「すいませんでした、知らなかったです」

するとおっさんは急に態度が柔らかくなり、ニコニコしだした。

「いやいや、いいんだよ。気にするなよ。俺もそんなに悪いやつじゃないよ、リラックスしなよ」

僕はこの態度の変化に少し不安になった。そこに計算を感じたからだ。はじめに脅し、その後急に柔らかくなって相手の懐に入る感じ。緊張と緩和を意識的に使い分け、こちらの心理を支配しようとする感じだ。

この人はホームレスに落ちる前は、そういう暗いことをやっていたのかもしれないと思った。

僕はちらっと振り返って裕一郎を見た。










こいつ。。
僕は一刻も早く、裕一郎を残してこの場を離れたいと思った。

するとホームレスが口を開いた。

「あんたら、新入りか」
「えっ・・?」
「新入りだろ?」

新入りって何?ホームレスのってこと?

僕はショックを受けた。俺ら、確かに風呂にはいる回数少なくなったけど、そんなに汚く見えるのか?
でも冷静に考えてみると、3人ともホームレスみたいならば誰もヒッチハイクで乗せてくれないはずだ、と思い直す。ヒッチハイクって結構身だしなみは重要な要素な気がする。

ということは、このおっさんは自分は僕ら並みに自分が綺麗だと思っているのだろうか。

「いや、僕らは今旅行をしてるんですよ。今日はたまたま野宿なんです。」
「旅行??」
おっさんが怪訝そうな目をした。
「財布とか落としたりして、大変だろ?」

・・・財布?

「いや、別に落としてないですけど。。横浜から出発してて、まだ途中で」

するとおっさんの目が急に輝いた。
「そうか、あんたら関東から来たのか・・・!最近の東京はどうよ!」

今度は本当に喜んでいるようだ。そこには計算は感じられない。
そして同時に一つ気がついたことがあった。

そういえばこの人、さっきから関西弁じゃない。

さっきの後ろ暗そうな印象も手伝って、この人は関東で何か悪いことをして、逃げるようにここに来たんじゃないのかなと思った。
関西弁じゃないということは、関西に来たのはここ最近なのかもしれない。
でも歯がボロボロだから、ホームレス歴は長いのか・・・?
関東を懐かしんでるみたいだから、もしかして各地を転々としてたのかな?

僕は聞いてみたくなった。

「もしかして、東京から来られたんですか?」

するとおっさんは僕を指さして、こう言った。











び・・・ビンゴ・・・?



あれ?この人、悪い人じゃないの?
なんかイメージがよくわからなくなってきたんだけど。。

すると、おっさんが話し始めた。

「俺も20年前に関東から来たのよ」

話はこういうことだった。

昔、この人にも妻と子供がいた。が、ギャンブルで大量の借金を作ってしまい家族がバラバラに。親族間でもトラブルが発生し、死のうと思う。

「でも死ぬ前に歩いてみたかったんだよ。とにかく、どこまも歩いてみて、それから死ねばいいやと思ってね」

そして、ある日突然西に向かって歩き始める。ひたすら歩き、各地を転々とした後、20年前に京都にたどり着いた。それからずっと京都に住んでいるのだという(なぜそれで関西弁に染まってないのかは謎)。最後におっさんはこう言った。

「やっぱり歩いていると楽しくなるよ。全て捨てて歩いているともう自由というか。だから死ぬこと忘れたね。だって気のままに歩いて楽しいもん」

正直に言うと、ある程度予想通りの内容だったので、そんな感じなのね、とこれといった感想はなかった。でも、最後のおっさんのセリフには迂闊にも共感してしまった。

特に予定も立てず、いろんな人に出会って旅をするヒッチハイク旅行は、本当に自由だった。毎日新しい場所に立ち、新しい人に会って、新しい場所の食事をする。そのことに、ものすごい幸福感を感じていたのだ。
すごく陳腐で臭い表現をすると、この世にはこんなに人がいて、こんなに世界は広いんだというような。俺の悩みってなんてちっぽけなんだなと思うような。そういう強い幸福感を感じながら毎日を過ごしていた。

おっさんは家族も捨てて全然ダメなんだけれど、旅に出たときに自由を感じ、幸せな気分になったのは、きっと僕と一緒だと思った。

その感想を素直に彼に伝えた。

すると、おっさんの目がさらに輝いた。













ヒエッ









爪は垢で真っ黒。手のひらは汗でヌッチャヌチャ。
僕は一気に鳥肌が立った。

「わかってくれるか!」おっさんが叫ぶ。

「いやわからないです」と言いそうになるが、ぐっとこらえる。

その直後だった。









なっ・・・

僕はおっさんが笑うたびに見える、汚い歯の抜けた歯茎を見て気分が悪くなってきた。なんて最悪な朝だ。

ていうか、なんでさっきから何で俺だけが絡まれる?と突然2人の事を思い出した。僕は二人を振り返る。

裕一郎はすでに起きてこちらを見て、ニヤニヤしていた。
僕と目が合うやいないや、吹き出して、「お前よかったな、将来安泰だな」という。僕はそれをスルーする。

ところが政司の姿が見えない。
「政司?あそこにいるだろ」
裕一郎が指差す。






マイペースすぎだろ!




「おい、にいちゃん!」

振り向くとおっさんが僕に飴玉を差し出している。「食べるか?」
僕は絶対嫌だと思った。僕が断ると、おっさんが言った。
「お前ら、ちゃんとご飯食べれてるのか?財布大丈夫か?」

なんなの?なんでまた急に財布が出てくるんだよ。


僕は
「適当に食べてます」
と答えた。

するとホームレスが言った。
「適当じゃダメだろ、ちゃんと栄養があるのを食えよ」

するとおっさんがどうやって栄養たっぷりの弁当をタダでもらえるか話し始めた。

長い話だったが、要約すると、ようは週二回、コンビニで廃棄されるお弁当を譲ってもらうとのことだった。時間とタイミングをみて交渉するのが鉄則らしい。

すると今まで聞いていた裕一郎が横から質問した。
「そういうのどうやって交渉するんですか、普通もらえないでしょ」

「そりゃあ、もう、これよ」
おっさんは両手を伸ばして前に倒れる仕草をした。

え?土下座?
「お弁当もらうたびに土下座やってるんですか?」裕一郎が驚いて聞く。

すると、おじさんは僕を見て言った。
「じゃあ、早速、やってみて」

は?

「早く。いいから。まずやってみろよ」

裕一郎が言った。
「えー、まさき!お前やれよ土下座!」

はあ??「何でよ」

「早く、やってよ。おじさんが見てあげるから」

嫌だったけど、特に断る理由もなかったので、僕は跪いて土下座した。適当に5秒ほどひれ伏す。








・・・・・・

これは実際やったことある人にしかわからないと思うけれど。


土下座って。屈辱感。マジで半端ない。

こういう流れでやったとはいえ、何人かが見ている中で、お笑いのネタとかじゃなくこうやって頭を下げるのは、本当に惨めな気分になるんだと初めて知った。謝罪で土下座をする理由がよくわかった。



裕一郎は興味津々な目でおっさんを見ている。
おっさんは首を軽く曲げ、顎を親指と人差し指で挟み、じっと僕を見た後、
「ほ〜〜〜〜・・・」と声を出した。

「姿勢も動きも良くないが、なんか胸に迫るものがあるな」

「えっ、こいつの土下座いいんですか!?」

「これならホームレスとしても十分飯に困らないぞ、俺が保証する」

裕一郎は僕を叩いて大爆笑した。
「お前よかったな!本当に才能あるかもよ!」

僕はものすごく腹が立った。
「じゃああなたの土下座見せてくださいよ。お手本にしますよ」


するとおっさんが反論した。「いや、そんな簡単には見せられないから」

「そうだぞお前、土下座を簡単に人に見せたらダメだろ」裕一郎が乗っかる。

何だよそれ。僕は振り返って政司を見る。

政司は再び寝袋にくるまって寝始めていた。マジかよ。


急にやっていることが馬鹿馬鹿しく思えてきた。


僕は黙って立ち、寝袋を畳みだした。


「どうした・・・?なあ、怒ってるんか?」おっさんが聞く。
「・・・」
「怒ってるんか」

僕はイライラしていたが
「怒ってないです」

するとおっさんが言った。



「あんた、財布大丈夫なのか?」




急に、ふと視界が狭まるような感覚があった。


また、財布と言ったぞ?しかも、なんの脈絡もなく。
なんで、このおっさん僕の財布のことをこんなに気にするんだろう。

突然血がサーッと引いていくのが感じられた。頭のなかに、イメージが湧き上がったのだ。それはおっさんが、僕らが寝ている間にカバンをあさぐるイメージだった。

僕は慌てて自分の鞄をつかみ、ひっくりかえした。
中のものが全部床にぶちまけられる。服にケータイ、コンデジ、雨具。

その中に財布は・・・財布はあった。僕は財布の中をあさぐる。お金はある。カードもある。
・・・全部ある。

あるやんけ、普通に。

なんだよ!


改めて考えてみたら、おっさんが抜き取ったのならここにいるはずがないやんけ。

すると「なあ」

おっさんが言った。

「俺からこれ買ってくれんか?」


おっさんがおもむろにポケットから何かを取り出す。












それは薄汚い、いかにも100均に置いていそうな、ビニール製のがま口だった。口の部分はプラスチックに金メッキが施され、それがところどころハゲかけている。


「1000円なんだけど」


買うか!!


この時にわかった。このおっさんは最初からこのがま口を売りたかっただけやんけ!

「なあ、いいだろ?いろいろ物乞いの仕方もレッスンしたんだし、なあ?」

そうか、だから親切そうにいろいろ教えて、恩を売ろうとしていたのか。僕はやっぱりこのおっさんは以前後ろ暗い仕事をしていたに違いないと思った。いくらなんでもこれを1000円とか頭おかしすぎる。

「いや、でも財布すでにありますし大丈夫です」


すると、おっさんは急にテンションを上げて食い下がった。

「そうだよな!そうだよな!わかってる。なら100円!これならどうだ?」

「100円でもだめ・・え?100!?」

いきなり10分の1?え?どういうこと?

「いや、いらないです」


ところがおっさんはまだ食い下がる。

「わかってるわかってる!ちょっとまて、これつけるから、なあ?」

おっさんがまたポケットをあさぐる。今度はなんだ。

え・・・南京錠・・・?。


「これとセットだ!がま口と南京錠。セットで100円!どうよ」


どういうセットだそれ・・・
「い、いらないです」


するとおっさんがいきなり僕の腕をグッと掴んでシャウトした。




「ちょっと待てーーーー!!!!」














「あんたちょっと話聞けよ!!」
いきなりドスの利いた声を出してビビった。目に鬼気迫るものが宿っていた。

「このがま口と南京錠は組み合わせて使えるんだぞ。こんな最高なコラボ滅多にないぞ!」

よく見ると、がま口の留め金の部分が「口」の字のように開いている特殊な形をしている。おっさんは突然南京錠をその留め具に通して鍵をかけ、腕をぐいっと突き出して、僕に見せつけた。






「よく見ろーっ!」














なにこの斬新なコラボ・・・。

僕は完全になにがなんだかわからなくなっていた。


でも。


でも断わった。

「いらないです」

もはや理由はない。強いて言えばオレの意地だ。


すると、おっさんは言った。



「ごめん。ほんと、この通り」



そして、おっさんは跪き、前かがみになる・・・・。


















3.
そのがま口は旅行中すぐに失くしてしまった。
でも小さい南京錠だけは鞄につけたりして最後まで持っていた。
その後大学の映画サークルで小道具として使ったり、部屋の飾りのアクセントとして隅っこにかけたりしていた。

でもいつの間にかその南京錠も見なくなっていて、どういう経緯でか、このビンの中に入っていた。おっさんと同じようにこの南京錠もいろんなところを旅していたんだなと思った。

引越しの片付けもだいぶ済み、空っぽになったこの部屋の畳に寝そべって鍵を見る。




鍵についた、一つ一つの傷が、僕に思い出を語っていた。

あのおっさん、まだ元気なんだろうか。

今はもう、確かめようもない。








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