延命治療を拒否する覚悟はできていた



長く、駄文になると思うけど、記録用に残しておきたい。
いつかまた、同じような気持ちになるかもしれないから。


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今、75歳の祖母はバーキンソン病に苦しんでいる。
レビー小体型認知症と併発して。

7,8年前、看護師の叔母が症状に気が付いた。
その時はまだ、すくみ足程度だった。

昔、医療ミスで騙され死ぬ目にあったにも関わらず泣き寝入りをするしかなかった経験のある祖母は病院が大嫌いで、家族が勧めても絶対に行きたがらなかった。

家族もいつか病院に行かないと大変なことになることは分かっていた。でも、その「いつか」がいつなのか、「大変なこと」がどれほどのことなのか、ただ知識不足。

本人も断固として行きたがらないし、「私を殺す気なのか」と言われてしまえば誰も連れて行けなかった。

段々と震えてくる右手。箸が持てなくなって、スプーンで物を食べるようになって、そのうち思うように動かなくなって、左手でスプーンやフォークを使うように。

いつかがもう来てることも、大変なことになっているのも、みんな全部気が付いてた。母達が何度も説明し、病院に連れていこうともした。その度にヒステリックになって嫌がる祖母に、どうすることも出来ずに2年ほど経った。



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ある日、母から「おばあちゃんが救急車で運ばれたよ」と電話が来た。自分で救急車を呼んでいるし命に別状はない 、と。すぐにそのまま入院した。

正直、ほっとした。病院に行けばもう安心だ。大丈夫だ。そう思っていた。

検査を終え担当の医師に呼び出された母と祖母は「もう治る見込みはありません。少ししたら歩けなくなります。どうしますか。」と告げられた。

わかっていたはずでも、いざ告げられると信じられず、何度も聞いたが「医者は神様じゃないし、この病気は治りません。期待をしないでください。悪化するだけです。」と。

その言葉と言い方に、患者とその家族が望むような思いやりの心は見られなかった。突き放すような言い方、鼻音で笑う声、2人がどれだけ傷ついたか。

その話を聞いたとき、その場で泣いてしまった母と、泣きながら「大丈夫だから」と励ました祖母を想像したら涙が止まらなくなる。

諦めきれず、何かいい治療法はないかと神経内科のある有名ないくつかの病院で診察を受けたけど、「○○先生が仰るならその通りでしょう」という答え。

この間、一人暮らしはもう不可能とのことで、祖母は老人用の施設に移った。


数ヶ月後。誤嚥性肺炎。恐れていた感染症。
パーキンソンのほとんどは感染症で亡くなるんだとか。

幸い、大事には至らなかったが、医者からは絶食を言い渡され入院となった。

昨日まで食べていたものが食べられなくなる辛さ。喉が渇いて仕方ないのに水も飲めない。空腹感に殺されそうでも耐えなければいけない。
想像しただけで、気が狂いそうだ。

その上「リハビリしても改善しない病気だから」と医師からも匙を投げられ、リハビリも週に2回。

このまま死を待つしかないのか、このまま寝たきりになるしかないのか。

沢山悩んで悩んで、経鼻経管栄養を選択してしまった。


延命治療には反対だったが、PEGじゃないからいいだろう。と。
抜くことは考えてないが、抜くことも出来るんだから。と。

この選択が正しかったのかはわからないが、そのときまだ70になったばかり。
会話もできていたし、支えながらなら歩けていた。
どうにかしてでも、生きていてほしかった。生きていてほしいと思ってしまった。



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その後はコロコロと坂道を転がるように、歩けなくなり、食べられなくなり、言葉も少なくなり。

この病院には数ヶ月しか居られなかったため、次の病院を探した。
絶対に寝たきりにはさせたくなかったし、リハビリをしっかりしてくれるところを。

でも、どこにいっても、療養型を勧められた。リハビリも少なく、いざというときの設備が全くない、極端な言い方をすれば、「死を待つ場所」だった。

それでも諦めなかった。


やっとの思いで、リハビリ科で受け入れてくれる病院を見つけた。しかもその病院は、パーキンソン病にとても詳しい医師もいた。

医師も看護師もPTやST、OTも、みんなとても優しく、患者や家族に寄り添ってくれる、あったかい病棟だった。

「楽しみを奪いたくない」と一丸となっていろんな手を尽くしてくれて、とろみをつけた液体なら飲めるようになった。
話もスムーズになったし、祖母の顔色も明るくなった。なにより、私たち家族が本当に安心出来た。

その病院は家から100km以上離れていて、雪のなか通うのは大変だったが、祖母のためならなんだって出来た。


それから年月が経ち、病棟も何度か移ったが患者思いのスタッフに恵まれて過ごした。

リハビリをしているといえど、少しずつ確実に悪化する身体能力。振戦に苦しむ時間も長くなっていった。それでも何とか、進行を遅らせようとした。
もちろん、すぐに命の危険があるなんて思ってなかった。



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この病院に移って3年目。それまではずっとほとんど毎日祖母のお見舞いに行っており、1人にしておくのは可哀想だからと、遠出はしなかったが、容態も安定してるし、旅行に行こうということで飛行機に乗って3泊4日、夢の国に出発した。


1日目着いてすぐから、2日目も使って、陸と海どちらも楽しんだ。
いつも祖母の苦しんで姿を見ていたから、この旅行の間だけは忘れて楽しもう!と、全力で楽しんだ。
それでも、「おばあちゃんも一緒に来たかったね」なんて話をしながら。

2日目の夜9時。ハッピーエントリーを使って朝から遊び倒してヘトヘトになってゲートを出た瞬間。本当に瞬間。



母のスマホが鳴った。



祖母の意識がなくなった。泡も吹いていた。脳溢血の可能性がある。朝まで持つかわからない。

叔母からだった。



こんなことってあるのか。今まで一度もなかったのに今日。旅行に行っている数日の間に。
死に目に会えないのか。旅行に来たからバチが当たったのか。

いろんなマイナスな考えが浮かんだ。

私は泣き崩れる母を支えなきゃ、という気持ちでいっぱいだった。タクシーを呼び、パニック状態の母を乗せ、次の日の1番早い飛行機をネットで取り、ホテルのチェックインを済ませ、部屋に連れていった。


泣けなかった。受け止められなかった。信じられなかった。
母にも私自身にも「大丈夫だから。」しか言えなかった。


6時発の飛行機、電車も動いてなく、タクシーで行くしかなかったので予約もした。


神様に沢山祈った。どうか無事であるように。せめて、私たちが病院に着くまでは。



母も落ち着いた深夜、またスマホがなった。


「検査の結果異常がなく、意識が戻った」


これほど感謝した連絡はなかった。本当に心から安堵した。



が、原因がわからず、飛行機もとってしまったし、とにかく帰ろうということで、帰ってきたその夜、また昏睡状態となった。

脱力しきった手はちょっとずつ冷たくなっていっているようだった。手を握り続けて、呼びかけてもぴくりともしない。呼吸は安定してるのに。

いつも私の声を聞いたらニコッと笑ってくれるのに、全く反応してくれない。


いよいよなんだと思った。これからその時が来るんだと。

今まで沢山病気に苦しみ、それでも一切弱音も文句も言わなかった祖母。もしかしたら、やっと楽になれるのかもしれない。と思ってしまった。


そんな祖母に当直医が薬を投与した。


昇圧剤。

知らなかった。これが延命になってしまうことも、気が付かなかった。どうにか意識を取り戻して欲しい一心で、どうかお願いします、と言ってしまった。


意識を取り戻し、検査を十分に行った結果、結局パーキンソン病に由来する血圧調整機能の異常であった。

それから今に至るまで2ヶ月。

驚くほどの勢いで、病状が悪化している。


飲み物も飲めなくなり、もう話すことができない。自力で瞬きもできない。意思疎通も出来なくなってしまった。
なにより、祖母が苦しんでいる時間が明らかに長くなった。
「もう楽になりたい」と言われたこともあった。
それまでより胸が痛く苦しい2ヶ月だった。


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こうなって思うことはただ1つ。

あの時、延命治療をしなければ、こんなに苦しむことはなかったのではないか。

空腹は可哀想だから。急なことでパニックになったから。とにかく意識を取り戻して欲しいから。このまま死んでほしくないから。

これらの感情はごく自然なものだったと思う。

覚悟が足りなかった。
延命治療を拒否するのが、こんなに勇気のいることだったなんて知らなかった。


今後もし、何かあった時、受け入れられるのか。
胸を張ることは出来ない。

どうしたって、大好きなおばあちゃんがいなくなるのは悲しい。
微笑んでくれなくなるのも、話しかけられなくなるのも、とても寂しい。
仕方ない。大好きな家族なんだから。私が愛していて、私を愛してくれている家族の1人なんだから。

それでも、もう治癒しない病気。これから生きていても、好きな物を食べることも、行きたい場所に行くことも出来ないという事実。
加えて、毎日寝てるか震えに苦しむかのどちらか。


私だったら、早く殺して欲しいと思ってしまうかもしれない。
もう十分頑張ったから。もういいから。
最後くらい、楽に行きたい、と。

不謹慎なのは承知だ。自分から命を投げ出すことがよいことではないのも、わかっている。
わかっていても、生きてる意味を見いだせなくなってしまいそうで。



まだ、その時は来ていない。

だから、どうか。どうか。



どうか、祖母も家族も、幸せでありますように。
少しでも祖母が苦しまず毎日を送れますように。

一緒にお出かけしたい、食べさせてあげたい、本当は欲張りたいです。

でも我慢します。

だからせめて、穏やかな日々を過ごせますように。





ここまでお読み頂いた方々へ、ありがとうございました。
貴方が幸せでありますように。

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