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ジョグジャカルタ思い出し日記④|西田有里


毎日は必要ないけれど生活に欠かせないこと美容院。いよいよジョグジャカルタで髪を切ることになった著者は美容師さんを紹介してもらうのだが…
インドネシアでの人との出会いにちょっとびっくりすることも、連載第4回目。

出張美容師さん

 外国で散髪するのはなかなか勇気がいる。日本のようにあちこちに美容院があるというわけでもなく、腕の良い美容師さんをどうやって探したらよいか分からないし、外国語で自分の希望を伝えるのも自信がない。大学の伝統音楽科のクラスメートの女の子たちは皆、伝統衣装で日本髪のような髷をつけた髪型にするために髪を長く伸ばし普段はひっつめにしていて、美容院に行ってヘアカットする習慣はどうもないようなので参考にならない。しかし、もともと硬くて太い私の毛髪は1年以上放置されて非常に鬱陶しい状態になっていて、早く散髪して何とかしたいという気持ちは日増しに高まっていた。
 そこである日、私はラストゥリさんに相談してみることにした。ラストゥリさんはルジャールじいさんの姪で50歳くらいの女性、ルジャールじいさんの家の隣に子供たちと住んでいる。陽気な性格でおしゃべり好き、おしゃれも大好き、近所でも顔が広いようである。髪を切るのにどこか良い場所を知らないかと尋ねると、それなら私がいつもお願いしている美容師を紹介してあげると返事が返ってきた。聞くところによると、その方はジャカルタで長く修業をして帰ってきた人で、店舗を構えず出張カットを行っていて、腕が良いのでこの近所ではとても売れっ子であるとのこと。それは何だか期待できそう。早速ラストゥリさんにお願いして、その方に来てもらうことになった。
 翌日約束の時間にやってきた美容師さんは、ジーパンにぴったりしたTシャツといういでたちの、見た目はがっしりした背の高いおじさんだけど喋り方や身のこなしがフェミニンな人だった。ラストゥリさんとはとても仲が良いようで、「あら、ごきげんよう、あなたちょっと太ったんじゃない~」というような感じで軽口を叩いている。私を一目見て、「おじょうちゃん、あなたの肌の色にはパープル系のアイシャドウが似合うわね」などと言ってくる。いかにも美容のことをよく分かっている雰囲気。用意してきたインドネシア語で髪のボリュームを抑えてほしい、とか、顔周りの毛先を梳いてほしい、とか頑張って伝えて、念のために用意してきた見本になりそうな写真も見せて、こんな風にできますか?と聞いてみたところ、彼は自信ありげな様子で大丈夫と頷いたのでひとまずほっとした。
 ラストゥリさんの家の台所に椅子をひとつ置いてそこが即席の美容室になった。彼は手際よく年季の入った道具を準備していく。私を椅子に座らせると、大きなビニールのカバーを首から巻き付け、霧吹きで私の髪の毛を湿らせていく。櫛で軽く整えたのち、すぐに鋏をとった。さすがジャカルタ帰りの凄腕の美容師、手際がよいしいかにも経験豊富な感じ。期待できる。
 ところが、彼はまるで画用紙を切るみたいにジョキジョキジョキと私の髪の毛に鋏を入れていった。髪をブロック分けして少しずつ切るなんて繊細なことは一切しない。本当に子どもが画用紙を鋏で切るみたいな大胆さで切り進み、1分もかからず私のヘアカットは終了してしまった。見本の写真とは似ても似つかぬ仕上がりであるどころか、素人目に見ても明らかに切り口が揃っていない。ジャカルタで美容の修業をしてきたなんて絶対に嘘だ。それでも彼の自信ありげな態度は全く揺らぐことはなかった。文句の一つでも言いたいところではあったが、言って何かが変わることもなさそうだし、そもそも彼の築き上げた虚構の世界にうっかり迷い込んでしまったのは私の方で、そこで何か苦情を申し立てるのも野暮な話なのかもしれない。悶々としている私にはお構いなく、彼はヘアクリームをたっぷり私の頭にのせて、頭が割れそうなくらいの強い力で私の頭を入念にマッサージした後、颯爽と帰っていった。
 ヘアクリームのおかげでつやつやになったけれど、散髪前よりさらに不揃いな髪になってしまった私は、結局ラストゥリさんには内緒で大きなショッピングモールの中に入っている美容院に行った。ショッピングモールの美容院は日本の美容院の雰囲気と大差なく、無事に私のぼさぼさ頭は解消された。その後、近所で出張美容師の彼を何度か見かけたけれど、おばちゃんたちと親しげに会話していて、出張美容師の仕事は相変わらず順調そうだった。

ガムラン奏者の女性たち

「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は7/15(土)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida

ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。

https://magica-mamejika.tumblr.com

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