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にほんご回復中【3577字】|篠田千明

第三回 3577字

「聞く」ことで初めて知る言葉がある。
友だちとの何気ない会話の中で、その音は突如として耳へ届いた。日本に居なかった分だけ知らない日本語が生まれていると気づく著者。時代や地域の中でこそ息づく言語、その意味やニュアンスの機微が世界の変動を自覚させる。言葉のリズムが聞こえてくる、連載第3回目。

 この間高校時代の友人と話していて、初めて聞いた言葉があった。
 タイにいた時、私は日常会話くらいしかタイ語が出来ず、難しい話になると知っている単語を拾いつつ、多くの聞いたことのない単語は前後の流れや一緒にいる人の雰囲気で理解しようとしていたので、どちらかと言うと聞いたことのある言葉のほうが浮き上がっていて、聞いたことがない言葉、という分類自体あまり意味がなかった。だから日本に日常的にいるようになって、改めてこのくくりが立ち現れてきた。
 それで、友人とご飯を食べながら他愛のないゴシップめいた話をしていた時に出た言葉が、『トンマナ』だった。最初に聞いた時は全部カタカナには当然変換されず、『とん・まな』『トンマ名』『豚まな』のように一遍にいくつかの変換が頭をサッとよぎったが着地せず、タンタタ、のリズムだけが残った。
 聞くと『トーン&マナー』の略称で、広告やデザインの業界用語みたいなものだった。ただその時の会話はデザインとかの話ではなく日常会話だったので、圧倒的に異色な聞き心地がした。
 元の単語を教えてもらっても、トーンとマナーを組み合わせた並びがなんだかしっくり来なくて、何回か口で繰り返しても、トン、トン、トーンとなんだっけな、トンカラ(トーン&カラー?)いやトンコレ(トーンコレクトネス?)と頭の中でトーンとくっつきやすい言葉が来てしまって全く覚えられない。マナが最初に出てくると、どうしてもマナカナという単語が出てきて、双子の姉妹が、俳優とバンドで二組頭に浮かぶことになる。なので、最初にトン、と言ってから、マナカナを思い浮かべ、ということは、トンマナ、という流れで頭に定着させた。
 こういう覚えた時のクセのような初期バグはなかなか消せなくて、私は未だに漢字の『短い』を手で書く時、まず豆を最初に書いてその後に矢を右に書くか左に書くかを考えてから、右に書くとなんか変な感じがするから左だ、と消去法で書いてしまう。当然『短い』は知っているし読めるけど、覚える時に最初にそのように書いてしまうような回路が出来てしまった。そしてそれは何度繰り返そうと、頭のどこかであのバグまた通るんだろうなとわかっているなら回避できそうなものなのに、毎度意識しながら同じ思考をしている。なので、私は今後もトンマナを使うたびに背後で双子の姉妹がニコニコしていることになる。

 トンマナは聞き心地だけでなく、実際にそれが示す概念も初めて知った。初めてというか、それはそういうのか、と知った。広告業界だと、「トンマナを揃える」の様に、つまりあるコンセプトに基づいた質感や演出に一貫性を持たせる時に使うらしい。これは一人のデザイナーの中で使うのではなく、チームで共有したり集団として動く時に使われるのだろうと想像した。
 マナー、という言葉が入っているように、その言葉が指す範囲には振る舞いも含まれているのが演劇的で面白く感じたので、友達にトンマナについて、知ってるか使ったことあるか聞いてみると、私の周りではちょうど半々ぐらいの認識度だった。
 俳優の友人に話した時に、彼はトンマナを知っていて、「でも演技体(えんぎたい)ってつまりトンマナのようなことですよね」と言われ、あー、その言葉あったな、と気がついた。スタバのトンマナ、と言うのとスタバの演技体、と言うのは、確かに私にとっては同じような意味の範囲を示しているように感じる。
『演技体』という言葉はいわば演劇の業界用語なのだろうけど、しかしパッと聞いてもなんとなく意味のわかる用語だ。演技は演技、だし、その後につく体も、身体そのものとも受け取れるし、どこか筆記体や明朝体のような書き言葉に使われている意味での体、とも受け取れる。文章と文体、の使われ方の差と、演技と演技体の使われ方の差も近い。
 言葉のわかりやすさであまり意識していなかったが実はこの『演技体』という言葉も、現場で色んな人が使っているのを初めて聞いたのは日本に帰ってきてからだ。演技体、というのは、例えばミュージカルの演技体と歌舞伎の演技体は全然違う、というようにメソッドを指すこともあれば、もっと演者個人に固有な雰囲気を指すこともある。演技そのものではなくその演技が成立している演者の連続した状態で、かつ見ている側にもその環境が共有されている。
 自分が使っている状況だと、リハーサルの時にその場で見たものに対して、以前は「今の居方(いかた)はこのように見える」と使っていたのを「今の演技体は~」と語彙を置き換えた感じ。プラス居方以外の場所もカバーしている。「スタバ店員のいかた」「スタバ客のいかた」をどちらも「スタバの演技体」は含める。
 ようは『トンマナ』である、とした友人の感覚もわかる。同じような意味を示す言葉が同じような頃に私のもとに届いたのも面白い。
 言葉は抽象的な人工物だからこそ、川上の橋げたのコンクリートが砕けて海岸の砂になっていく様に、木の葉が吹き溜まりそれが回収され燃やされ狼煙になり山の上から見える様に、人間の営みの有機性によって、自分の足元に届いたり意味が積まれたりする。どんな営みがこれらの言葉を私に運んできたのかと仮定するとしたら、集団のあり方が集合・解散に変化しつつある事だろうか。演劇でいえば、先程例に出した歌舞伎の現場では、わざわざ『歌舞伎の演技体』などとは言わないだろう。歌舞伎はあの歌舞伎であり、外から見た時に初めてその固有の『演技体』が指し示される。演技体は1つの作品の中で揃える必要がなくなり、むしろ違う状態でメソッドによらずそれぞれがどのように舞台上で体(てい)をなすのかの妙を試行錯誤する中で要請されてきた言葉なのかもしれない。
 帰国前も日本には年の3分の1程度は滞在していたけれど、演技体という言葉を耳で聞くことはなかった。流れが起こり始めてから必要に応じて言葉が産まれ、定着し会話の中で何気なく耳にするまでに、その言葉が生活して自分もその営みに合流して初めて流れて来るようになる。季節を感じるように言葉の流れを感じ、帰国して3年経って、ようやくある潮流の時間軸が自分の中にも存在するようになったのか、と実感した。
  
 初めて聞く言葉、といえば、よくあるシチュエーションとしては方言にまつわる話があるあるなのだろうけれど、東京出身の私がまさかその言葉を指摘されるとは、とびっくりしたことがあった。
 大阪に住んでる付き合いの長い友達んちに泊まりに行って、数日お世話になる予定だったので、「明日はどこどこに行って、明後日はなになにするから、夜に帰ってくるわ、だいじょぶそ?」と尋ねると
「へえー、ほんまに東京の人はだいじょぶそ?っていうんやな」
という。
「え??いやだいじょぶそ?って使うでしょ」
「いや言わんなあ」
「んじゃ、今みたいな時だったらなんていうの?」
「んー、いける?やな」
「ああ、まあいける?もそりゃまあいうけど」
「Youtubeで海外旅行してるキャバ嬢の女の子がだいじょぶそ?だいじょぶそ?ってゆうてたけど、まさかしんちゃんの口から聞くとは」
 そう笑って、一緒にいた彼の友達も
「それ流行語みたいなんちゃいます?」
と東京いじりしてくる。
 他のいかにもな言葉ではなく、まさかのだいじょぶそ?に違和感持たれるとは。
 当然彼らだって、大丈夫そう?という言葉は聞いたことあるはずだけど、このシチュエーションで相手に同意を尋ねるときは、いける?じゃないと変な感じがするらしい。そして私もいける?だと絶妙に言いづらく、なんというか相手がオッケー前提の状況じゃないと使わないかもしれない。
 相手が決断をなるたけフラットに出来るように、断るのも、乗ってくるのも、どっちでも大丈夫だけどどうする?という、この距離感は確かに東京に流れている営みから生まれていそうではある。
 最後に一応、この文章を書くのに出てきた言葉を一通りググってみた。『トンマナ』うん出てくる、みんな検索してるわ。『演技体』は全然出てこないじゃん、去年の舞台のリサーチに関する事でしか出てこない。まじかと、Twitterで検索すると、うーん、やっぱり『演技体』って使われている。タイムラインには流れているけどグーグル検索には出てこないんだ。
 そのあと広辞苑も一応引いたけど、『演技体』は載っていなかった。大正時代からありそう、と勝手に思っていたので、なんだか拍子抜けしてしまった。そして、『だいじょぶそ』を検索すると、流行語って予測変換で出てきた。えほんとにその文脈があるのか。絶対『だいじょぶそ』は前からあったでしょ。
 検索結果と実感との差が終盤になって急に現れてきたけれど、その違和感は次に言葉と言葉をつなぐ浮きになるだろうから、このまましばらく意識にぷかぷか漂わせておく事にする。


「にほんご回復中」は隔月連載です。次回の更新は9/29(金)を予定しています。


著者プロフィール

篠田千明|Chiharu Shinoda

演劇作家、演出家、観光ガイド。2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで中心メンバーとして演出、脚本、企画を手がける。その後、バンコクに移動しソロ活動を続ける。『四つの機劇』『非劇』と、劇の成り立ちそのものを問う作品や、チリの作家の戯曲を元にした人間を見る動物園『ZOO』、その場に来た人が歩くことで革命をシュミレーションする『道をわたる』などを製作している。2018年BangkokBiennialで『超常現象館』を主催。2019年台北でADAM artist lab、マニラWSKフェスティバルMusic Hacker’s labに参加。2020年3月に日本へ帰国、練馬を拠点とする。

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