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にほんご回復中【3860字】|篠田千明

第五回 3860字

東京に居を移して以来初めてバンコクを訪れた著者。かつて住んでいたその土地には止まった時間のような心残りがいくつかあった。かつての友人、失ってしまった猫、場所という現在の中で思い出が動き始める。
近年、演劇のスコア化に着目し制作を続ける著者は、移動をやめて立ち止まり、言葉を紡ぐことで、動きを残すということに向き合った。
バンコクから東京に戻り、場所と時間から解放された身体は、継承の展望へとつながっていく。連載最終回。

 
 コロナの後、初めてバンコクに帰ってきた。直行便はまだ高かったので、久々にクアラルンプール経由のエアアジアのチケットを買ったのだけど、出発が羽田なので、乗り継ぎだけど行きやすいからプラマイゼロの気持ちでいる。
 クアラルンプールの空港に着いても、懐かしいとかはなくて、基本記憶にないんだけど、ところどころ歩いていて、トランジットで寝やすそうな辺りの景色は見たことあるから、やっぱり来たことあるんだ、と確認する。東京からクアラルンプールを経由してバンコクに安く行き来してたのって、エアアジアが直行便を出す2015年前後の数年しかないから、8年くらい前の話だ。
 今回はトランジットでバンコク来たから、着いたのは国内線多めのドンムアン空港(東京で言ったら羽田)だ。空港内に喫煙所がないことも覚えていたし、パスポートチェックでクソほど並ぶのも覚えていた。新しい事として、そこで列に並んでいる時に今は入国カードを記入する必要がないことを知った。
 空港から宿泊先までは、新しい路線から知っている路線まで使って移動し最寄りの駅で降りた。そこから歩いて30分弱だから歩けないこともないが流石にだるいので、タクシーかバイタクか停めたいけど、久しぶりにタイでタイ語を発音するのは思ったより緊張した。何台か見送り意を決してタクシーを捕まえてみると、想像よりスッと言葉が口から出てきた。発音はハテナ?と運転手さんはなってるけど、大意は伝わっていて、言葉も場所の記憶として自分の中に残っていたことを感じた。
 
 今回の宿泊先の近くに昔住んでいた友人のオススメの店に行ってメニューを選んでいると、奥から元同居人がスタッフとして出て来てばったり会った。
 バンコクに戻れなくなりそのまま東京に拠点を移したあとに、ずっと心残りだったのは、家と猫たちのことだった。借りていた家は友達のカップルと同居していたので、バンコクに戻れなくなった後に、彼女たちに荷物と猫の世話を任せて、それから4年間会っていなかった。
 元同居人とのチャットはコロナの最初はお互いの無事を祈りあい、私も戻るつもりだったので家賃をpaypalで振り込み、猫の写真を送ってもらったりしていた。でも国境封鎖が何ヶ月たっても解除されず、部屋の契約期限が来たりして、チャットでは人間もお互いに次第にフラストレーションが溜まっていたし、話に聞く限り、猫も私が帰ってこないことでグレていたのは明らかだった。うちの猫が夜、外で鳴き声がうるさい、と苦情も彼女たちのところに来るし、あらゆる荷物はそのままだし、正直向こうがpiss-offな気持ちはすごくわかる。
 といっても東京の私に出来ることはお金の振り込みぐらいで、それでは解決しないことは、もうどうしようもなかった。とにかく荷物に関しては何でも処分してもらって、残っていた最後の猫を安心して預かってもらえる場所を見つけた後は、最終的にかなりアグレッシブになったチャットはそのまま封印して開くことはなかった。
 お店で偶然居合わせた彼女は私とわかるとパッとすぐに笑顔になって、シノダ!!とハグをした。目が合った時は緊張したけど、そのあとのハグの流れがすごい自然で、リラックスしてお店のおすすめを聞きながら、うちら別れたんだよ、そうなんだ、とか近況を話したり、住んでいた家を思い出したりした。
 私は彼女たちとその家で過ごした時間が好きだったから、一緒に思い出せてうれしかった。もう会う事も話す事もないだろうな、と思っていた相手と、その場所に行ったからまた会って話せたのは、固めていた時間が解けていく感じがした。
 猫の事は、去年預けた先で飼ってた三匹の最後の猫が死んで、猫たちに対して何も出来なかったという思いしかなかった。もう会えない、という事をどう悲しんでいいのかどうかもわからなかったんだけど、バンコクで猫たちを拾ったお寺の周りに行ったら、そこら中の角や屋台や路地にうちの猫たちにそっくりな子達がいっぱいいた。
 寺から市場まで行く間の道すがらに、柄が一緒だけど顔が違うとか、三匹それぞれに似ている猫がいる。今後もこのお寺の辺りに来れば親族郎党と会えることに素朴に救われた。どこを見ても、うちのこ達と似ている猫がいて思い出すのが、辛くなくて嬉しかった。あの三匹を思い出して痛みなく嬉しい、と思ったのはタイを離れてからその日が初めてだった。
 家とあの三匹と一緒に過ごした時間をこれから思い出せる。自らの意志で思い出さないようにしてた事は自分が許可しないと解放されない。バンコクに来て、街の中で偶然や地縁によって会うことで、溜まっていた小枝や落ち葉のような感情の堰が切られて、何度思い出しても気持ちが引っかからず、流れるようになった。

 久々に会った友達のうち、二人が十年付き合ったor結婚した相手と別れていた。
 五年ぶりに昔一緒に住んでいた親友と一緒にムーカタ(焼き肉&鍋)行った。その後にずっと食べたかった豚挽肉の橄欖の実炒めを白粥と一緒に食べて、ヤワラート(中華街)でカラオケに行って騒いだ。
 前に入れたタトゥーの輪郭をレタッチして、更に色を塗ってもらって、私の背中で消えかけていたナーガが生きかえった。
 オンヌットにあるお寺の薬草サウナは、今回唯一初めて行った場所で、12月の暑くない時期に、最高に気持ちよかった。
 バンコクは移動手段に船があるところが大好きだから、今回運河のボートは使ったけど、チャオプラヤー川の渡し船に乗れなかったのは、かなり残念だった。
 週二回ナンリンチーに立つ市場で、一着30バーツで売ってる古着のラックの中から、暑い中粘って探して素材も仕立ても良い服を見つけ出す買い物は、脳汁がありえないほど出るから、今回タイミングが合って行けて良かった。ほんとはもう一回行きたかった。
 車の会社がスポンサーのチャラめだけどちゃんと音楽の良いイベントにも行けて、友達からドリンクチケットを大量にもらって、それを交換しに行ったら、缶入りの水かバドワイザーの二択だった。缶入りの水、て初めて見た。
 そのイベントに行く途中、友達の車に乗って、クリスマスの近くだったから、
「ねえ、日本って、クリスマスにKFC食べるって聞いたけどほんと?」
「ほんとだよ」
「へえー、なんで?」
「うーん、わかんないけどローストチキンみたいなイメージで、クリスマスパーティーには割とあるよ。タイだと何食べるの?」
「いつもと同じもの食べてる」「まじか」
みたいな、会話をしながら高速を爆走した。
 タイの歌の先生のところに行って、あやふやだったタイ語の古語の歌を、もう一度歌えるように直してもらった。発音をバッキバキの型として身体ごと矯正されて、歌うたびに一緒にいるよって先生が言ってくれて、その歌に対する自信がフィジカルでもメンタルでもついた。今なら、あれ歌ってよ、て振られてもすぐ出来る。 

 バンコクに戻って、感情的な整理もそうだけど、もう一回自分の基本である音声ベースの座標軸を思い出して、その感覚が身体にまだ書き込まれていることを確認できて良かった。
 この連載で自分の思考を日本語で書くリハビリをしている理由の1つには、記述し継承されることへ関心がある。
 コロナで東京に帰ってきて、40過ぎたころから、記述して残したものが広い解釈で『読まれる』のも面白いと感じるようになった。『書く』ことでなく、『読まれる』ことに興味が移ってきたんだと思う。
 前は消えるもの、音声とか、今現象として起こっている事に執着していたし、再現するために記録する、という実務的な意味で書いていたことが多かった。演劇を作っている時間も長くなり、ある程度現象を空間を含めて再現性を持って他者に伝えられる技術がついた。
 出来事を空間的に展開する、その先に、時間も含めた四次元でどう再現するかを考えると、Aが『書いた』ものをBが『読む』、その間の跳躍の自由に託す、事しかない気がしてきた。他の人にわかるように書かれていて、参照できるように残っていて、読み手に解釈の自由があるものが、身体から離れて残る可能性がある。
 日本語以外では、図と文字と楽譜が混ざったような形でパフォーマンスが残るように、絶賛模索しながら書いている。戯曲で残す、という手段はすでにあるけど、演劇だけではなくダンスや音楽のスコア(譜面)としても使えるものを作りたい。
 スコアを書いたり読んだりする事は、大変だったり難しそうに思えるけど、やってみると思いの外楽しい作業だ。読む楽しさは、地図や電車のダイアグラムを眺めながら自分の中で想像が広がっていくテンションと近い。考えて書く立場としても、普段からスケッチブックに書いていることを、むりやり言葉の中だけに押し込めないでいいのが開放感がある。
 この連載は、総じて移動が終わった後に書いている。自分の本体をどこで何をするか、一旦演出して移動させて、そこで何を知覚したのか、中の人が後から書いておくことを続けていた。
 移動している時は、言葉は留まっていなくてラグを引受けている状態で、残すところまでは頭が回らない。移動している時には書けなくて、着地した後に書ける。
 『読まれる』ことに面白みを感じているということは、自分の本体の移動以外が気になってきたということなんだろうか。『読む』というのはほんとに多様な行為で、遠く離れた人に共感も出来れば、同じだけ無視もできる。その残酷な自由さに奮い立っているとしたら、私もいよいよ人間の感覚を最後まで楽しもうとしている。


「にほんご回復中」は今回をもって終了となります。2024年11月頃、著者初の「本」として滔滔舎から出版を予定しております。是非ともお待ちいただけましたら幸いです。


篠田千明|Chiharu Shinoda
演劇作家、演出家、観光ガイド。2004年に多摩美術大学の同級生と快快を立ち上げ、2012年に脱退するまで中心メンバーとして演出、脚本、企画を手がける。その後、バンコクに移動しソロ活動を続ける。『四つの機劇』『非劇』と、劇の成り立ちそのものを問う作品や、チリの作家の戯曲を元にした人間を見る動物園『ZOO』、その場に来た人が歩くことで革命をシュミレーションする『道をわたる』などを製作している。2018年BangkokBiennialで『超常現象館』を主催。2019年台北でADAM artist lab、マニラWSKフェスティバルMusic Hacker’s labに参加。2020年3月に日本へ帰国、練馬を拠点とする。


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