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ジョグジャカルタ思い出し日⑫|西田有

ご近所のおばあさんって中々手強い相手ですよね。町内の誰々がどうしたとか、異常にお節介で噂好きだったり。壁に耳あり障子に目あり、持ちつ持たれつのジョグジャコミュニティでも、おばあさんはやっぱり強烈です。今日もおばあさんの怒鳴り声が道に響き渡る、そんな1日のお話。

老婆たち


 いつものようにマタラム通りの家に遊びに来たら、知らない老婆が洗濯物の山の中にちょこんと座っていた。ぎこちない手つきでものすごくゆっくり洗濯物にアイロンをかけている。
 ラストゥリさんに聞いてみると、お手伝いさんに来てもらうことにした、とのことだった。ラストゥリさん家は育ち盛りのやんちゃな息子が二人いる上に、ルジャールじいさん夫妻とナナンの分の洗濯もあって洗濯物の量が多いから家事を一手に引き受けているラストゥリさんは想像以上に大変だったのかもしれない。私もこのところ毎日ここに入り浸っているから、家事を増やしてしまっていたかも。ごめんなさい。
 「お手伝いさん」と聞くと、大きなお屋敷に雇われていてテキパキとなんでも家事をこなし家庭の隠された事情まで覗き見たり見なかったり、といったイメージだけど、このおばあちゃんはそんな「お手伝いさん」のイメージからは程遠く、非常にのんびりした仕事ぶりだった。自分でやった方がよっぽどアイロンがけも早く終わる…と口から出そうになった言葉を飲み込む。ラストゥリさんも以前からよく知った仲のようで、二人は家事仕事そっちのけで一緒になって世間話に夢中になっていた。
 あとで聞くところによると、このおばあちゃんはもともとお惣菜を作ってマリオボロ通りで売って生計を立てていたけど、年をとってそれもしんどくなってきて、時々近所の知り合いの家の手伝いをして小銭を稼いでいるという事情だった。自分でやった方が早い、なんて口に出さなくてよかった。ラストゥリさんの夫はジャカルタで電気工事関係の仕事をしていることもあって、この町内では安定した収入がある方だったから、時々このような事情の知人にお手伝いを頼んでいるようだった。といっても、ラストゥリさんも結構きまぐれで、今月は余裕が無いからもう来てもらうのはやめた、などと言っている。
  また別の日、突然、マタラム通りのルジャールじいさんの店の前あたりで、また別の知らない老婆の怒鳴り声が響き渡った。
 何があったのか詳しいことは分からないが、どうもラストゥリさんの子供を含むこの辺りの子供たちの態度が癪に障ったらしい。当時はジャワ語が今よりも全然分からなかったから何を言ってたかは定かではないが、きっと「なめとんのか!クソガキ!ケツの穴から手ぇつっこんで奥歯ガタガタいわしたろか!」くらいガラの悪いことを言ってるんじゃないかという勢い。人通り多い真昼間のマタラム通りで、痩せて腰が曲がっているせいか元々小さな体がさらに小さく見える老婆が立ち止まって怒声を張り上げている光景は異様で、やばいことになったと焦った。しかも、足を悪くして以来応接間の長椅子に腰かけて通りの様子を眺めるのが日課のルジャールじいさんの奥さんが、家の中からそれに負けない大声でその老婆に言い返している。たぶん「うるせえ、クソババア、とっとと消えやがれ!」くらいは言っている。老婆と老婆の罵り合い。
 どうなるかと焦ったが、言いたいことを言ってその老婆はあっさり去っていった。どうやら焦っていたのは私くらいで、この辺の人は皆よく知っているおばあちゃんで、昔から気性が荒くて有名らしく、まあいつものことと誰も気に留める様子はない。
 それから数日後、体調を崩してしまった私を見てラストゥリさんがマッサージを勧めてくれた。ジャワでは、皮膚にオイルをつけながらコインなどで赤く縞模様がでるくらい強く擦るkerokという民間療法があって、風邪のひき始めなどの体調が悪い時にこのkerokやマッサージをしてもらうのは一般的だ。だいたい家族がやってくれるものだけれど、ラストゥリさんが言うには近所にマッサージがすごくうまい人がいるから呼んであげるとのこと。この辺りの住人はお世話になっている人が多いらしい。是非お願いしますと言ったら、なんとやってきたのはあの怒鳴り散らしていた老婆だった!
 怖い。やめておけばよかった。しかし、今更やっぱり要らないですとも言えず、私は老婆にされるがままになった。床のタイルが段になっている所に並んで腰かけると、老婆は私の頭や肩を揉み、蜂印の瓶に入ったオイルを塗ってコインで擦って私の背中をあっという間に縞々にした。
 彼女が話すジャワ語と、私のたどたどしいインドネシア語では正直なところ会話はあまりかみ合わなかったけれど、「日本から来たんやねえ。」「えらい遠いところからきたねえ。」「体調が悪い時はマッサージが一番だよ。」「これでもう大丈夫。」と、ぽつぽつと優しい言葉をかけてもらった。恐ろしい形相で怒鳴っていたあの老婆と冷たいタイルに並んで腰かけているのが始めは自分でも信じられなかったけど、ずっと前からよくそうしていたようなどこか懐かしいようなとても自然な感じに次第になっていた。マッサージは絶妙の圧がとても気持ち良く、小柄な割には大きくてしっかりした彼女の手に触られるのは不思議な安心感があって、もう大丈夫風邪はすぐ治るという気持ちになった。そして本当に治った。
 それからは、このおばあちゃんが路上で怒鳴り散らしていても、ああ、またいつものこと、と焦らなくなった。




「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は2024/5/25(土)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida
ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。
https://magica-mamejika.tumblr.com

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