ジョグジャカルタ思い出し日記⑦|西田有里
ドリアン
1年を通して夏のように暑いジョグジャカルタでも季節の変化を感じられるものがあって、その一つが果物だ。それぞれの果物の旬をはっきり把握している訳ではないけど、マンゴーやランブータンやドゥクやサラック(サラカヤシ)など、旬の頃になればあちこちの通りの道端でいっせいに売られているのを見かけるようになって、あ、マンゴーの季節になった!、などと感じることができる。
中でもちょっと特別なのはドリアンである。強烈な匂いが有名で日本ではあまり評判のよくない果物だけど、ジョグジャカルタに来て初めて食べたドリアンがたまたま新鮮でとても美味しいものだったせいか、私はドリアンが大好きだった。臭いと思ったことは無いし、濃厚でねっとりしていて、クリーム状の上等のお菓子を食べてるような幸福感に満たされる。他の果物に比べて値段も張るので、気軽に毎日食べるというよりは、買うのにちょっと覚悟がいるような特別な果物。
旬の頃になると軽トラックの荷台にたくさんドリアンを積んだ果物屋さんがマタラム通りにも現れる。私は目の前で売っているドリアンが気になって仕方ないが、意外なことに長屋の住人たちは誰もドリアンを買おうとしない。ナナンに、ドリアン売ってるね、と言ってみても、「ここらで売ってるのより郊外まで行って買った方が大きくて美味しい」とそっけない返事が返ってきた。
それでもやっぱりドリアンが気になるので、ある日思い切ってマタラム通りに売りに来ているトラックから一つ買ってみることにした。ドリアン買ってくるねと言うと、さっきまで無関心に見えたルジャールじいさんとナナンが急に、お前にはまだ美味しいドリアンを選ぶのは無理だ、代わりに選んであげる、とやる気を出して、二人ともついてきた。二人はトラックの荷台のドリアンをじっくり時間をかけてひとつひとつ吟味し、店主にあれやこれやと質問しながら粘り強く値段交渉を行っている。さっきまで興味なさそうだったくせに二人ともいざ食べるとなると真剣である。結局、バレーボールよりも小さいくらいのサイズのドリアンを一つ、たしか200円くらいで購入した。今考えれば200円もとても安いけれど、当時のジョグジャカルタはとても物価が安くて、ローカルな食堂だと1食100円以下でご飯が食べられたので、それに比べるとやはり少し贅沢な食べ物だ。
とげとげの突起がついた硬い殻で覆われているドリアンを、ルジャールじいさんが器用にワヤン作りの用の道具を使って割って、中からでてきたクリーム色の果肉をそのまま3人で土間にしゃがみこんで手づかみで頬張る。時間をかけて選んだ甲斐あって甘くて美味しい。ドリアン選びは成功だったようだ。歯の無いルジャールじいさんがドリアンを頬張りながら、「ドリアンってこうやってしゃぶってると何かエロいねんなー」としみじみ言っているが、分からなくもない。ねっとり濃厚で蠱惑的な食感と味。
この辺りで売られているドリアンはかなり小ぶりだけど、3人で分けて食べるとちょうどよい量で、みんなすっかり満足した。食べ終わった後の殻に少量の水を入れてそこで指先を洗うと、ねとねとになった指もあっという間にきれいになるという方法をルジャールじいさんが教えてくれた。さすがドリアンを食べるのにも年季が入っている。
手を洗っていたら、長屋の住人の一人ギトさんの奥さんが近づいてきて、ドリアン買ってたよね?甘かった?値段はいくらだった?と根掘り葉掘り聞かれた。次の日の夕方、彼女も家族みんなでトラックの果物屋さんで時間をかけて吟味してドリアンを買っていた。数日後には別の家族が同じトラックからドリアンを買っているのも見かけた。みんな無関心に見えて、実はドリアン選びに失敗しないように慎重に様子を伺っていただけなのかもしれない。
ドリアンと言えば、もうひとつ覚えていることがある。ある日、いつものようにマタラム通りのルジャールじいさんの家に来たら、珍しく近所のおじさんたちが集まっていた。新聞を開きながらみんな妙に深刻そうな顔をしている。何かあったのかと聞いたところ、とある村で一晩に何人もの男たちが亡くなるという怪事件があったということだった。
その原因として考えられるのが、村の夜の集会で集まった人たちがアルコール飲料と一緒にドリアンを食べていたことだという。確かにドリアンはお酒と一緒に食べると危険だと私もどこかで聞いたことがあるが、それが原因なのかはっきりしたところは分からない。イスラム教徒が多く公にはほとんど酒類が販売されていないジャワでは、怪しげな自家製アルコール飲料も出回っているから、もしかしたら直接の死因は飲み物の方なのかもしれない。それでも、ルジャールじいさんをはじめ集まっていたおじさんたちは皆それぞれにどこか思い当たる節があるようで、神妙な顔で気を付けようなと互いに言いあっていた。
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