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お絵かきの意味2:お話物理:場の量子論

前回はファインマン図の一つ,摂動論の最低次数のダイヤグラムの物理的描像を見たのだった.

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経路積分の文脈で見れば,相互作用する時空の一点はこの世の全ての点を掃くわけだから,寄与するものの中には,あたかも時間を逆行する(赤)ような経路や空間的に跳ね返る(緑)ような経路もあるのだった.

今回は二つ目のダイヤグラム,ループがあるものを見ていこう.

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ループがあるものはループの中に"運動量"が回る.相互作用の各点で流れ込む運動量と出て行く運動量は保存するが,そこに自由度が残る.経路積分の気持ちで見れば,この世の全ての経路を掃くわけだから,決まり切らない運動量はそれぞれが寄与してくる.

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この"q"がループ運動量だ.

形式上は,この"q"について積分すればいい.ただこの積分には色々と問題があるのだが,ここでは一つ物理的な描像の話をしておこう.残りの問題はまた別の機会にまとめて話す.

今,場の励起(->振動のパターン)を"粒子"だと思っているわけだが,現実に観測される"粒子"は,運動量の二乗が質量になる,という条件を満たしている.外に繋がる線は実際に観測される粒子を表しているわけだから,この質量の条件を満たしている.

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しかし,ループの中の運動量は一般にこの質量の条件を満たさない.なぜならループの運動量は全ての値で積分しなければならないわけだから,そのほとんどで質量の条件を破った寄与を拾ってくるわけだ.


場の理論の摂動論を執り行う上で,一般に外に繋がらない,端と端が相互作用の点に繋がる内線となる"粒子"は実は観測される粒子の条件を破っている.線が粒子だと思い続ければ気持ちの悪いものだ.

しかしこれはok,というかむしろそうなることがわかる.

そもそも今取り扱っているのは場の理論なのだ."粒子"とは場の様々な波のパターンの中から,ある特別なパターンを取り出してきて,それを"粒子"に対応づけているだけなのだ.

シーツのシワ(のある特定のパターン)が粒子であると言っても,いくつものシワを動かしていけば,まず間違いなく,特定のパターン以外のシワの形状になってしまうだろう.しかしそれhあシーツの形状を取り扱っていると思えば,何も不自然はない.

というかそもそも粒子の相互作用を考える時に,人間には完全な解がわからないから摂動論を使っているのだ.人間のよく知っている状態だけで,人間のわからない状態を書けるはずがない.

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