生きる

今日は3月11日。東日本大震災発生日。
まずは、東日本大震災の犠牲者の方々のご冥福と、被災者の方々が心穏やかに過ごせていますよう、心よりお祈り申し上げます。
そして、1日も早い被災地の復興を心よりお祈りいたしております。

東日本大地震は私とって、色々と考えさせられる出来事なので、思いを綴っていこうと思う。

その当時の私は小学6年生で、その日も学校に行っていた。
5時間目の授業中だったかな?
確かではないけど、沖縄も揺れたと思う。
その後の休み時間、誰かが「大きい地震が来たんだって!」と騒いでいた。
沖縄はほとんど地震が来ない上に、来た時でも震度1〜2。気付かない事が多い。
気づいたら「ほらね!」とドヤ顔する人がいるくらい。
多分この時、その程度の感覚で大したことはないだろうと思っていた。

学校が終わっていつも通りの家に帰る。
私は、お父さんが仕事が早く終わって帰ってきてる日は、一緒にテレビを見るのが日常。厳密に言うと、見たいテレビがあるけど、お父さんが見てるものをしょうがなく隣で見始めるって感じ。
「ニュースつまんないなぁ。」
って思いながらこの日も見始めたけど、いつもとは違ったニュースに釘付けになった。

テレビの向こうには、流される家。泣き叫ぶ人。
臨場感のあるアナウンサーの声。
映画のような映像が流れていた。
不謹慎だけど少し興奮してしまった。
本当にこんなことって起きるの?と小6の私は思った。
こんなにニュースを一生懸命見たのは生まれて初めてだったと思う。
その日、ドラえもんとクレヨンしんちゃんは見なかった。毎週の楽しみだったのに。
それくらいにニュースに釘付けだった。

ここから1週間くらい、東日本大震災のことが1日中報道されていた。
何も変わらない現状と、被害者数が増えていくニュースをただただ釘付けになって見続けていた。
この時はすごくシンプルだけど
『悲しい』
『可哀想』
そんな感情で見ていたと思う。


時を経た今の感情もさほど変わらない。
ネガティブな気持ち。
どんな感情が正解なんだろう。
東日本大地震での津波。
人間の手ではもうどうにも逆らえない力。
『しょうがない』
被災者の方々からしたら、たまらない言葉だと思うけど、しょうがない部分もあったんだろうなと思ってしまう。
でももっとちゃんとした知識があれば被害は抑えられたんじゃないか。
『後悔』

結局どんな感情や意見が正解なのかは分からないけど、誰かが苦しんでる時に、私は呑気にテレビを見ていた。これは紛れもない事実。

誰かが経験した辛さや悲しさで、私たちがこれから生きていくために必要な知識や警戒が生まれている。これも紛れもない事実。

これからも、どこかで悲しんでる人がいる時も美味しいご飯で幸せになるんだと思う。

私が生きてるだけで幸せだと感じられるのは誰かの不幸や悲しみのおかげなんだなと思う。

私が幸せになってるせいで、誰かが不幸になってるんじゃないかと思ってしまう。

私は不幸な人と比べて、幸せだと感じているのだと思う。

だけど私は今、生きているから
感じれるだけの幸せを感じつつも
いつかの誰かの幸せのために
できるだけ長く
不幸になる事を覚悟して生きていこうと思う。
それが人間の運命なんだと思う。

東日本大地震は私にいつもそう思わせる出来事。
命を大事にしようと思わせてくれる出来事。
自分が人間なんだと感じる出来事。

生かしてくれてありがとうございます。
本当に最低な人間ですが
私は、できる限り幸せになりたいなぁと思ってしまいます。
だからこそ、本当に本当に大切に生きていこうと思います。

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