メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第386号「導引法」(内景篇・精)4

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第386号

    ○ 「導引法」(内景篇・精)

        ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記

           

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 こんにちは。精の章の「導引法」の続きです。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「導引法」p86 上段・内景篇・精)

                                                                  又將兩腿
           倶伸兩脚十指倶〓提起一口氣心中存想脊背(〓てへん區)
   腦後上貫至頂門慢慢直下至丹田方將腰腿手
   脚從容放下如再行照前而陽衰矣如陽未衰再
   行兩三遍此法不惟速去泄精之
   疾久則水火既濟永無疾病矣回春


 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)


        又將兩腿倶伸、兩脚十指倶〓(てへん區)、

        提起一口氣、心中存想、脊背腦後、上貫至頂門、

        慢慢直下、至丹田。


 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)

 
 ▲訓読▲(読み下し)

       又(また)兩腿(りょうたい)を將(もっ)て

  倶(とも)に伸(の)べ、兩脚(りょうきゃく)の

  十指(じっし)を倶(とも)に〓(てへん區)(かか)げ、

  一口(ひとくち)の氣(き)を提起(ていき)し、

  心中(しんちゅう)に想(おも)ひを存(たも)ち、

  脊背(ついはい)腦後(のうご)より、上(のぼ)り

  貫(つらぬい)て頂門(ちょうもん)に至(いた)り、

  慢慢(まんまん)として直下(ちょっか)し、

  丹田(たんでん)に至(いた)る。


 ■現代語訳■
  
  また、両腿を共に伸ばし、両足の十指を全て引き上げ、

  一口深く呼吸して、心中に存念しながら、脊椎から、

  後頭部に上り、頭頂に貫通させ、続いてゆっくりと下に降ろし、

  丹田に至らせる。


 ★ 解説 ★

 精の導引法の続きです。前号部分からの続く方法です。前号部分では、こんな動作で始められました。

  仰臥して目を瞑り、口を閉じて、舌端を顎に付け、

  腰を持ち上げ、左手の中指の先で、尾閭穴を押さえ、

  右手の親指の先で、無名指の付け根を押さえ、

  拳を握る。

 順番として、目・口・舌・腰・左手(尾閭穴)・右手、の操作が説かれたのでした。そして今号では続いて、腿・脚・足指、と身体動作の解説が続き、そこから、呼吸に移り、さらには心中の操作に入っていることが読み取れます。

 つまり、全体としてひとつの導引動作ではありますが、身体操作が準備段階で、続く呼吸から心中の操作が、この導引の本番と見ることも可能です。

 ここに説かれているのは、今の気功で言う、いわゆる小周天に似ています。丹田に溜めた気を、下に降ろし、そこから脊柱を上らせて、後はこの文で説かれた部位と同じルートで下降させていきます。

 これに似た方法がかつて読んだ按摩導引の項に出ていましたね。次号でこの段落を読み終わるので、その際に按摩導引の項も振り返って比較してみたいと思います。

 先行訳ではこの部分で、非常に重要な「丹田」が抜けています。
 原文の「慢慢直下、至丹田」の部分を、

  またずっと下って来たら、

 と訳しています。これですと、下らせただけで、収める部位が説いてないことになってしまいます。最後に丹田まで下らせて収める、というのがこの導引の眼目でもあるはずで、やはりこれは省略しては原義から大きく離れるところと思います。

 また前号同様細かい点ですが、上で、

  兩脚十指倶〓(てへん區)、提起一口氣、

 と切ったところを、江戸期の『訂正 東医宝鑑』では以下のように切ってい
 ます。

  兩脚十指倶〓(てへん區)提、起一口氣、
 
 実際には読点は無いのですが、訓読に随うとこのように切っていることがわかります。

 これは『訂正』だと、「〓(てへん區)提」「起」がそれぞれ動詞になります。上ですと、「〓(てへん區)」「提起」が動詞になることになりますね。

 意味はさほど変わりませんが、どちらかは間違いであるはずで、どちらがより妥当か、ご考察いただけたらと思います。
  
 また、

  慢慢直下、至丹田

 の部分を、『訂正』は、

  慢慢、宜下至丹田

 としています。つまり、原文の「直」が「宜」に変わってしまったというわけです。

 これは東医宝鑑の原本を見ても、また引用元である万病回春を確認しても、どちらも「直」となっているので、『訂正』の誤字のようです。

 以前にも書きましたが、『訂正』にはその名の通り原本の誤りであろう部分を訂正しているところと、このように『訂正』内にも誤りがあり、原本との違いが訂正によるものなのか、もしくは誤字によるものなのかの判別が難しいところがあります。

 したがって、『訂正』に準拠して読むのでも、やはり原本の確認は必要と思います。

 ちなみに、
  
  慢慢、宜下至丹田

 は、訓読では、

   慢慢として、宜(よろし)く下(くだっ)て、丹田に至るべし、

 と「宜」を再読文字で読んでいます。「宜」とするとそう読まざるを得ない流れであるためそう読んだのですね。

 これも意味としてはさほど変わりませんが、やはり違いは違いで、元の「直」で読み考えた方が良いことには違いないでしょう。

 ◆ 編集後記

 導引法の続きです。まだ短く切ってお届けしました。

 ようやく次でこの導引の項を読み終わります。上に書いたように、按摩導引の項と比較などしながら、この部分を総括してみたいと思います。

                      (2020.10.11.第386号)
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