メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ 』第385号「導引法」(内景篇・精)3

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第385号

    ○ 「導引法」(内景篇・精)

        ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記
         

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 こんにちは。精の章の「導引法」の続きです。
 
 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

 (「導引法」p86 上段・内景篇・精)

又法夜半子時分陽正興時仰臥瞑
目閉口舌頂上顎將腰拱起用左手中指頂住尾
閭穴用右手大指頂住無名指根拳着

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

       又法、夜半子時分、陽正興時、仰臥、瞑目、閉口、

  舌頂上顎、將腰拱起、用左手中指頂、住尾閭穴、

  用右手大指頂、住無名指根拳着。


 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
  

 ▲訓読▲(読み下し)

       又(また)法(ほう)に、夜半(やはん)

  子(ね)の時分(じぶん)、陽(よう)正(まさ)に

  興(をこ)る時(とき)に、仰(あお)ぎ臥(ふし)て、

  目(め)を瞑(ひし)ぎ、口(くち)を閉(と)じ、

  舌頂(ぜっちょう)顎(あご)に上(のぼら)せ、

  腰(こし)を將(もっ)て拱(こまぬ)き起(おこ)し、

  左(ひだり)の手(て)中指(ちゅうし)の

  頂(いただき)を用(もっ)て、尾閭穴(びろけつ)に

  住(とど)め、右(みぎ)の手(て)の大指(だいし)の

  を頂(いただき)を用(もっ)て、無名指根(むみょうしこん)に

  拳着(けんちゃく)す。


 ■現代語訳■
  
  別の方法に、夜半の子の時、まさに陽が興る時に、

  仰臥して目を瞑り、口を閉じて、舌端を顎に付け、

  腰を持ち上げ、左手の中指の先で、尾閭穴を押さえ、

  右手の親指の先で、無名指の付け根を押さえ、

  拳を握る。


 ★ 解説 ★

 精の導引法の続きです。最後の段落ですが、長いので分けて読むことにします。

 一段落めでは動作を伴う導引が、前号の二段落めでは動作を伴わない方法が紹介されていましたが、三段目の最後はより大きく動きの伴った導引が紹介されています。

 まず行う時間が指定されています。これは「煉精有訣」の動作でも同じ時間が指定されていました。他にも何度か既に読んだ部分でこの時間が登場していましたね。

 なぜこの時間なのかを知る手がかりの一端がこの文にも示されていて、されが次の「陽正興時(まさに陽が興る時)」ですね。「煉精有訣」の項目ではもっと詳しく説かれていましたね。

 つまりこの簡単な記述が「煉精有訣」の項目によって補完されているわけで、私がいつも書きますところの、省略してはいけないということがこの点でもわかります。どちらかを省略してしまったら、相互の関係が成り立たず、もしこの場合に「煉精有訣」の時間の個所を省略していたとしたら、補完する部分がなくなり、こちらも深く読めないことになってしまいます。

 ともあれ、動作詳細は、段落全部を読んだ時にまた詳細に検討してみたいと思います。

 細かい点ですが、原文の文章の切れ目が難しく、まず冒頭からして、

  夜半子時分陽正興時

 の部分で、上では

  夜半子時分、陽正興時(夜半子の時分、陽正に興る時に)

 と切っていますが、江戸期の『訂正 東医宝鑑』では、

  夜半子時、分陽正興時

 と切っています。これだと訓読は

  夜半子の時、分陽(ふんよう)正に興る時に、

 となります。やっかいなのは、「分陽」という言葉もあって、ここで切っても読めてしまうことで、だからこそ『訂正』の読み手はこう読んだのですが、これはどちらが正しいでしょうか?

 こういう場合は引用元をたどる、他の文献での使用例を調べる、などいくつか方法を提示してきましたが、結論から言えば、『訂正』の方が誤りではないかと思われます。

 長くなるので根拠などを示しませんので、どちらが妥当か、ご興味おありの方は調査してご自身のお考えと、その根拠を決定していただけたらと思います。ちなみに、原文にまだ出てきていませんが、ここは『万病回春』からの引用です。
 
 同様に、

  用左手中指頂住尾閭穴

  用右手大指頂住無名指根拳着

 の部分も、

  用左手中指、頂住尾閭穴

  用左手中指頂、住尾閭穴

 また、

  用右手大指、頂住無名指根拳着

  用右手大指頂、住無名指根拳着

 で切れるのか、という問題があります。前者なら共に、「頂住する」という動詞があることになりますし、後者なら共に「頂」は「中指の頂」であり、また「大指の頂」つまり指の先、と言っていることになります。

 これらは文章では微妙な違いですが、内容はかなり違い、導引の場合は動作の違いになりますので、細かい読解が必要でしょう。ふたつめもご興味おありの方は吟味していただけたらと思います。

 先行訳では以上の点が全て曖昧に訳されています。ひとつめに該当する部分は訳がありませんし、ふたつめも、それぞれ、

  左手中指で肛門をふさぎ、

  右手親指を中に入れて拳を握ったあと、

 としています。つまり、上で取り上げた「頂」の問題が全く無くなってしまって訳してあるだけでなく、尾閭穴を肛門とし、後者では「親指を薬指の根本に付ける」というくだりがまるまる省略されてしまっています。

 後者に至っては動作が省略されているので効果も違ってくるでしょう、やはりここは省略してはいけない部分でしょう。

 かつて身形の章の「按摩導引」の項を読んだ時に「握固」が登場しましたね。これはそれと同じ意味があると考えられ、さらに握固では紹介されていなかった、「親指の先を薬指の根本に付けて握る」という、ある意味秘伝的な内容がさりげなく記されている部分なのです。

 上で「煉精有訣」との繋がりを書いたように、こちらは「按摩導引」との繋がりがあると読み取れ、相互に補完して読むことができるのですね。

 ですので省略してはいけない部分で、また深読みして相互に読めると、東医宝鑑の構成の妙が味わえる個所でもあると思い、これもご興味おありの方は、相互参照して補完しながら読んでいただけたらと思います。

 ◆ 編集後記

 導引法の続きです。三段目を全て読むつもりでしたが、解説が長くなり、本文は短く切ってお届けしました。

 あと一号で済むか、また二つに切るか、執筆した上で決めたいと思います。
                     (2020.10.04.第385号)
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