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写真を撮る意味

ここ半年間ほどで、写真を撮る機会が急激に増えた。
自分の半径2メートル以内でささやかに楽しむ写真を撮り続けて、それをSNSにアップしていたら、ありがたいことに大学時代同じ学科だった友人から家族の写真を撮ってほしいと言ってもらえて、それをまたアップしたら、別の人からもオファーがきて。そんな風にして、少しずつ輪が広がり、撮っては編集してとたのしい日々を最近おくっています。

自分が撮った写真で誰かが喜んでくれる。まさかこんな日が来るとは、ね。

自分の撮る写真が他の誰かにとっても明確に意味をもち始めてから、これまでにないあらたな問いが私をしばしばたずねてくるようになった。

あなたは写真で何がしたいの?
・・・。私は写真で何がしたいんだろう?

初めて依頼を受けて写真を撮った日、初めて自分の写真で謝礼をもらった。
あの感動と手ごたえは忘れられない。「副業にしたら?」そんな意見も少なからずいただくようになった。写真で何がしたいかという問いは、写真をどうしたいという問いになり、漠然とした問いたちは、仕事やお金という現実的な問いにも今一度向き合う機会をくれた。

自分の写真がそれだけの価値を持ちうるところまできたという現実に、信じられずふわふわ心浮く気持ちと、じんわり滲む野心とが、交互にやってきては、おさまりどころを見つけられぬまま、私のなかを別々に泳いでいた。

酔うほどの逡巡を経て、辿りついたひとまずのスタンスは、「趣味プラスαで楽しむ」。趣味以上仕事未満といったところか。非常にグレーだ。

残念ながら?今の私には写真を通して伝えたいテーマもなければ、検証したい仮説もない。発展途上の技術と思考故という可能性も十分にあり得るが、なんとなくこれからもないままかもな、とも思う。

ただ、カメラを手にもつと、行ける場所も、会える人も、ぐっと範囲が広くなる。その日陰が日向になるような、身に起こる単純明快な変化が、今は何より嬉しい。手ぶらの私よりも、少し積極的になれたり、緊張がほぐれたり、勇敢になれたりする。慣れない人や場所も、カメラがあると安心で、いわば相棒みたいな存在だ。

カメラは、私を社会と結び付けてくれている。

抽象ではなく具体として、形而上ではなく形而下として、その事実に気付かされたとき、カメラを通していろんな人や場所とつながりたいと思った。すっかり疎遠になっていた小学校の友だちにも会いたい。お母さんお父さんになっているクラスメイトの今を見たい。撮られることに勇気を持ちたいあの子のもとへ会いに行きたい。
家から出て、街へ足を運び、手を使い、目を閉じたり開いたりして、目の前で起こる事象やその先の未来をよくよく見ていたい。

そんな私の変化と膨らんだ好奇心が、少しずつ、少しずつ、写真に含まれていくのを、ちょっぴり期待して見守っていてください。





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