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【小説メモ】モンスター/百田尚樹

※ネタバレなし。

「親に感謝です」

試験やオーディションに合格したとき、スポーツで結果を出したとき、素晴らしい作品を生み出したときなどに人から褒められると、多くの人がそう答える。

「この素晴らしい結果は、自分一人で出せたわけじゃない。親の支えがあったからだ」という非常に謙虚な言葉である。

だがしかし、唯一そうは響かないシュチュエーションがある。


それは、褒められたのが容姿であった場合だ。


「美人ですね」と言われて
「親に感謝です」という返答が赦されるのは、芸能人(その中でも誰もが認める超美形の人か、逆に笑いにできる人に限る)くらいなものである。

「美人ですね」と言われて
「親に感謝です」と冗談ではなく真面目に答えられる一般人は、相当な度胸の持ち主としか思えない(笑)。


このように、同じ返答に対する印象がシュチュエーションによって大きく変わるのは、多くの人が「美」に関しては「生まれつきであること」に価値を感じるからに他ならない。

だから、

「美人ですね」に対する
「親に感謝です(つまり、私の美は持って生まれたもので、私の努力の結果ではありません)」という返答は、高慢に聞こえるのだ。


でもそれじゃあもし気に入らない見た目に生まれたら、他の分野と違って自分の力で挽回できないってこと?  もし挽回しても、二流扱いを受け入れるか、手を施したことをひた隠しにするかしかないの?

不公平だよね。そんなの。ほんと、不公平。


そう言う私も、やっぱり生まれつきの天然美人に憧れるし、「同じ人間とは思えない」と感じるような美女が、実は整形していたって知ると内心ちょっと、ホッとするんだ。こんな自分が、嫌いだけど。


これだけ整形がポピュラーになった今でも、生まれつきの美に価値を感じる人は、まだ多い。

そういう意味で、容姿に拘るからこそ行うはずの美容整形は、結局自分の価値を中身においていなければ(容姿はあくまでも、メインである中身の魅力を引き立てるための包装紙でしかないと思えていなければ)、容姿にまつわる苦悩を、全部は解決してくれないんだ。

 


「美」って何だろう。



こんなにも、女の痛い部分をえぐるような作品は初めて。もう何年も前に読んだのに、ずっとトラウマのように心に残り続けている作品。後味は正直最悪なんだけど、読み物としてはとても面白い。

ページをめくる手が、止まらない。

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