【気まぐれエッセイ】人生にディズニーフィルターを

私はディズニー映画が大好きだ。

シンデレラ城が登場するオープニングから、もう好きだ。あれは夢の世界へと誘われる最高にわくわくする瞬間。走ったり掃除をしたり、コップをとったりするだけの何気ない日常の動作がとても軽やかに見える、あの踊るような独特の動きも大好きだ。

ディズニー映画=夢物語

きっと誰もがそう思っているよね。私だってそう思っているし、それが好きなの。

でもよく考えてみると、ディズニー映画の主人公たちって実はかなりヘビーな経験しているんだよね。アラジンなんて万引きしなくちゃ食べていけないほど極貧だったし、シンデレラは両親を亡くし継母や姉たちに何年もいじめられていたし、ラプンツェルは毒親に育てられたうえにその毒親はただの誘拐犯だったし、白雪姫は継母に殺されかけるし、エルサは自分の持って生まれた力のせいで妹をケガさせてしまうし(長所にも短所にもなり得る個性を、持て余している大勢が共感しただろう)……。

もし絵のタッチや音楽、演出を変えて表現したら、けっこう酷な物語に仕上がると思う。例えばそうだな~、エヴァンゲリオンとか進撃の巨人のように描いたらどうだろう。ハッピーエンドに持っていくのが不自然で難しくなりそうなほど、わりと残酷な感じに仕上がりそうじゃない?(笑)

だけどディズニー映画は、どんなに重たいシーンもシリアスに突き刺さってこない。ちゃんと物語に入り込んではいるのに(特にアナ雪のエルサが歌いながら氷のお城を駆け上がるシーンは泣けた)、重たい嫌な気持ちにはならないのだ。必ずハッピーエンドを迎えると安心して見ていられるからでもあるかもしれない。

さて、ここまで話しておいてなんだけど、私は別にハッピーエンドの映画だけが好きなわけでもないし、好みが分かれそうな重たくて暗~い話もけっこう好きだ。

じゃあ今回何が言いたいのかって、私の人生はディズニー映画がいいなってこと。何も起きない平坦な物語もちょっと面白くないし、刺激は欲しい。困難を乗り越えて達成感だって味わいたい。勇気を出してチャレンジもしたい。ハプニングだって起きていいと思っている。でも、体が震えちゃうほどのショックを受けたり、世界が全部モノクロに見えるような鬱々とした重たい日々を送ったりは、もう二度としたくない。もう既にしてしまった経験はどれも私の一部だし、なかったことにしたいだなんて思わないけど、もうこれこれから先は必要ないと思っている。

ディズニー映画では何が起きても、ハッピーエンドがとってつけたようにならないのは、酷なシーンもすべて魔法のベールに包まれているからだ。そう、ディズニーフィルターにかけられているの。

監督もイラストレーターも声優も音響もいない私の人生に、ディズニーフィルターをかけてあげられるのは、私だけ。すべては私次第。

私は今年で32歳になる。

まだたっぷりと残された(でもきっとあっという間の)これからの人生に、ディズニーフィルターをかけてあげようと思うんだ。

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